『街角のクリエイティブ』という物好きなメディアから、神奈川の田舎でクリエイティブとはかけ離れた非生産的、非創造的、非人間的な生活をしている僕のところに「何か面白いことを書いて欲しい」という極めてアバウトな依頼があったとき、正直、陰湿なイジメだと思った。
書けるわけがない。フラッシュバックする記憶。中学時代、ヤンキー先輩に追われて逃げ込んだトイレの個室。ヤンキーはおらぁ、テメー、ざけんなよ、奇声罵声をあげて僕を追い立て、「何か面白いことを言えたら見逃してやる」と無理難題をぶつけ、救いを求めるように、ア~エ~ア~って故大平首相のモノマネをする僕に水を浴びせたのである。季節は真冬。冷たい水流の中で僕は、低偏差値のヤンキーに首相のモノマネがウケないことを学んだ。そのときの苦いイジメ記憶が蘇ったのである。
この原稿を書いている時点で僕は日々面白くないことばかりの無職である。そんな僕にクリエイティブで面白いことを書けというのはイジメ以外の何物でもない。そう、思ったのだ。テメー、ざけんなよ、なのである。
さて、愛する妻や年老いた母をパート仕事に出させて、朝からプレステ4で遊戯したり、日なたでゴロゴロしたりしていると、当初は心に存在した「申し訳ない」という人間らしい気持は減退し、「僕たちは生かされている・・・」という大いなるものへの感謝に変わってしまう。おそらく、申し訳ないという気持ちが人間の心身に大きな負荷になってしまうので、人間の防衛機能がそういう都合のいい変化をうながすのだろう。職に就けないバカな若者が「地元とダチ、サイコー。ファーザーとマザーに感謝」と感謝ラップを唄うのもそうした心の動きのあらわれだと僕は考えている。
僕にはまだ「申し訳ない」という人間らしい気持ちはわずかに残っているので、掃除洗濯炊事等々家事全般を自発的にやっている。家事のほとんどが他人と接触することなく出来るのも、世間体が気になる無職(43)に優しい。もちろん例外があるのは無情な世の常でございまして、ゴミ捨てと買い物については他人との接触が避けられない。
買い物はまだいい。食品や雑貨や車や自転車を購入、消費する行為は基本的にポジティブなものであるから、無職の身でも比較的穏やかな気持ちでこなすことができる。ゴミ捨ては違う。ゴミを捨てる行為に絶頂を感ぜられるような奇特な性癖をお持ちの方は別として、ゴミ捨ては本質的にネガティブな行為である。ネガティブは誰にも見られたくない。まして僕は無職。無職のゴミ出し。ゴミ・ミーツ・ゴミ。社会の最下層。出来ることなら誰とも接触することなく速やかにゴミ捨てを行いたいし、その姿を見ないようにするのが、他人とつながっていたがりなSNS時代における武士の情けというやつではないだろうか。
日々、街並みに溶け込むようにスーツを着用して迅速かつ丁寧なゴミ捨てを心がけている。音楽が細分化されたように、ゴミ捨ても可燃、不燃、ペット、缶ビン等々細かく分別しなければならない。ロックコンサートに民謡歌手が出演したら暴動が起こるように、可燃ゴミの日に不燃ゴミを出したら、清掃局職員の作業工程が複雑怪奇化し、最悪、当該清掃局職員は暴徒化し、都市機能は喪われる。ゴミ山を前に右往左往する無力な大人。泣き叫ぶ子供たち。閉鎖される女子大学。ゴミの分別は無職が思う以上に重大な意味を持つのである。
街を守る。そんな使命感をもって僕はゴミ捨てを行っている。だって他にやることがない無職だもの。使命感をもってゴミ捨てに取り掛かっている僕に挑戦するかのごとく、分別がなされていないゴミを出す不届き者があらわれる。その日、缶とペットボトルが一緒に出されていたのである。これは街を破壊するテロである。テロリストは許せないが、まずは、この目の前の缶ペット混在ゴミを分別しなければ都市機能は失われてしまう。わずかに残った人間らしい気持が僕を衝き動かす。僕は時限爆弾を解体する爆弾処理班のような使命感を胸に、ゴミを解体・分別をおこなったのである。袋を縛るたびに「ミッション・コンプリート」と呟く僕の肉声を聞いた人類はいない。
しばらく物陰に隠れてテロリストを待ち構えたが誰も現れなかった。翌日、その翌日もテロリストは分別をせずにゴミ捨てをおこなっていた。僕の中の正義が試されていた。沈着冷静にゴミ解体を行った。孤独な戦いだった。3日目。戦いに疲れ、ゴミ集積場を見ないふりをして昼スナックでビーズやユーミンを歌い続けた。スナックから戻り、ゴミ集積場を見て、驚愕。そこには「分別されていないので持っていくことが出来ません」という意味の貼り紙がなされた未分別ゴミの袋が放置されてあった。カラスやホームレスが突いたのだろうね、ところどころ破れて穴があき、異臭が漏れ出していた。
僕が正義を怠けたばかりにプチ公害。その事実に僕は打ちのめされた。テロリストは倒さねばならぬ。僕はテロリストをとらえるため、早朝からゴミ集積場をスーツ姿で監視・警戒した。百戦錬磨のテロリストは嘲笑うように姿を現さない。僕は無職。時間と暇だけはいくらでもあった。ついにテロリストは現れなくなった。正義は勝ったのだ。僕は理解した。神様が僕を無職にしたのは、ゴミを守るための戦士にするためだったのだと。
誰も知らないひとりぼっちのテロ戦争を終えてからしばらくして、マンションのポストに管理組合からの一枚のビラが投かんされていた。そこには
というメッセージが無機質な明朝体で印刷してあった。毎朝早くからスーツ姿でゴミ集積場をうろうろしている男性とは・・・認めたくないが十中八九僕のことだろう。神様。お答えください。正義のために戦ったのにこんな仕打ちを受けるのは、僕が無職だからなのでしょうか。僕が正義の戦いを放棄した途端、未分別ゴミはあらわれなくなった。その事実が何を証明するのか。そして人は何を信じるのか。人知れず戦いに破れ、人知れず犯人の汚名をかぶり、僕は、ひとり、生きていく。