かつて、言葉は意味よりも先にカッコよさで入ってきた。
私が小学生のころ、「ターボ」という言葉がすごくカッコよかったんだが、これは『ストリートファイター2ターボ』のせい。通称スト2ターボ。
ある日、クラスメイトの一人がスト2ターボと言い出し、誰もがその響きに魅了され、次の日には男子があちこちでターボと言い始めていた。舌から舌へ、ことばはすさまじい速度で感染する。気持ちいい言葉の爆発的感染力。
同時期、ターボファイルというものもあった。これはスト2ターボよりはマイナーだが、当時の私はRPGツクールというゲームにはまっていて、そこで使う付属品だった。ここにもターボがいる、と子供ながらに思っていた。そして数年後、オリコンチャートでブイブイいわせていたTMレボリューションが、「TMRエボリューション・ターボタイプD」に改名した。ここにもターボ!
小学校から中学校にかけてのすりこみだった。短い期間にターボの三連打を浴びた。この言葉は今後の人生において中心的な役割を果たすのだろうと思った。カッコいい言葉の代名詞として、自分は高校生になっても、大学生になっても、就職しても、ターボと言うのだろうと思った。ターボで仕事を終わらせ、ターボで国道を走り、ターボで子供たちの待つ家に帰るのだろう。
しかし数年後、あっさり気づいたのは、ターボという言葉は全然使わないということだった。ターボに関する私の記憶は、中学あたりを最後にブツンと途切れている。現在私の日常にまったくターボは存在しない。ターボなしで平気で暮らしている。
こういうことは、本当によくある。子供の頃にゲームやマンガやテレビで学んだ単語は、日常ではほとんど使わないのである。
考えてみれば当然で、ゲームの世界には勇者や戦士や盗賊や魔法使いがおり、魔王やトロルやゴーレムやドワーフがいるが、いま挙げたものを日常で見たことはありますか。合コンで相手の職業が戦士や魔法使いだったことありますか。カフェでとなりの席にドワーフが座ったことありますか。河川敷でゴーレムがうたた寝してるの見たことありますか。
子供のころに覚えた言葉の大半は、ターボのように、自然とほったらかされる。出番がないからである。かわりに使われるのは「モチベーション」とか「コンプライアンス」とか「納期」とかである。ターボと別れ、納期と出会うことが、大人になることなのである。
私は、カフェで近くの人々がゲームの話をしているのを聞くのが好きである。このあいだは近くの席の男集団が「賢者の石」という言葉を連呼していて楽しかった。ドラゴンの倒しかたを話しているのもよい。一瞬、自分が2017年の日本にいるのか分からなくなる。異世界に迷い込んだ感じ。