教授の言うこと、信じてませんか?
研究室の先輩の言うこと、信じてませんか?
先行研究、信じてませんか?
教授のこと、神だと崇めてませんか?
え、素直に信じて崇めちゃってるんですか。
まぁまぁまぁ、いいでしょう。
でも覚えておいて欲しい。
論文に書かれていること、先輩が言うこと、教授が言うこと、間違えてる時けっこうあるよ。
そして、それを鵜呑みにしてしまって、卒論発表や学会発表で自分が大恥をかく。
ハハハ。
もちろん、指導教官や先輩は基本的には大多数が信頼のおける人物だ。
ただ、彼らの発言のすべてが正しいわけではない。
だって人間だもん。
正しい情報を誤った形で記憶しているかもしれないし、その人の認識自体が間違っているかもしれない。
先行研究だってそうだ。
今あなたが読んでいる論文、全面的に信用していいのだろうか?
Noだ。
現代の教科書に載っている科学知識は、長年の議論・論争を経るうちに磨き上げられた、ほぼ誤りのないものだ。
あなたが今読んでいる最新の論文は、未だ議論・論争を潜り抜けていない。
信じていいかどうか疑わしいものなのだ。
ニュートンは「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩の上に乗っていたからだ」と言ったらしいが、そもそも巨人じゃない人の肩に乗ってもしょうがない。
研究室では、頭に入る情報のすべてを疑え。
特に、他人から得た情報を全面的に信用するのは危険だ。
ある程度、斜に構える必要がある。
大学生にもなったら、「年上の人がこう言ってたから正しい」とか、「権威ある人がこう言ってたから正しい」と考える段階からは卒業しなくてはならない。
発言者の地位と発言の質は切り離して考えられるようになろう。
教授や先輩の言われた通りの作業をこなしていても、研究がうまくいっているうちは問題ない。
ただほとんどの場合、予想通りの研究結果が出ることはない。
研究がうまくいかない時は何かを疑うしかない。
どの前提知識が間違っているのか、仮説のどの箇所に誤りが含まれているのか...など、一つ一つチェックして前に進んでいくしかない。
そういった試行錯誤を繰り返した後、ようやく研究はある程度の形としてまとまる。
一つ一つ前提を疑って、少しずつ正確な研究結果を積み重ねていくのが研究であり、尋常じゃなく地味なものなのだ。
全てを疑うなら、きっと早い方がいい。
卒論発表前、修論発表前、D論発表前に自分の研究の重大な欠陥に気づいても遅いぜ。
もちろん、先輩や教授が言ったことに対していちいち「それ、ホントなんですか?間違ってる可能性ありませんか?」と問う必要はない。
それはただ性格が悪くてめんどくさい奴だ。
自分の頭の中で疑えばいいよ。
じゃ、最後に
教授に言われた事こなすだけのマシーンになってませんか?
それ、奴隷だよ
教授の言うこと信用してる学生、教授がよほど信頼のおける素晴らしい人物であるか、その学生の脳内がお花畑かのどっちかだわ
— ウィンD@はてブなフレンズ (@raye4483_WynneD) 2017年2月26日
昨日上記のツイートを呟いたので、ついでに思ったことをブログにまとめてみました。
煽ってごめん、許して。