数多の有名ロゴを生んだ永井一正。実践で培ったデザイン&ロゴ論
富山県美術館- インタビュー・テキスト
- 杉原環樹
- 撮影:豊島望 編集:宮原朋之
充実した近代美術の常設展示や、世界屈指のポスター公募展『世界ポスタートリエンナーレトヤマ』などの取り組みによって高い人気を誇ってきた富山県立近代美術館が、今夏、「富山県美術館」として新たに再出発する。
この船出にあたり、新しいロゴも発表された。「アートとデザインをつなぐ」というコンセプトや、富山の豊かな自然をシンプルに凝縮したシンボルマークをデザインしたのは、1950年代からグラフィックデザインの第一線で活躍してきた重鎮、永井一正だ。永井の名前を知らずとも、彼がこれまでに手がけた数々のロゴを知らない人はいないだろう。札幌冬季オリンピックにJR(監修)、JA、三菱東京UFJ銀行、アサヒビールまで。その作品は、我々の日常生活の、ありとあらゆる場所に存在している。
そんな永井は、「ロゴはときに関係者の意識を変え、組織に大きな変化を与えることができる」と話す。さらに、人々に「和」の意識をもたらすロゴは、この国に古くから存在していた日本人の得意技だとも語った。新しいロゴに託した思い、そして時代とデザインの関係とは? 87歳を迎えた永井によるデザイン論。
従来の美術館が展覧会ごとにデザイナーを変えているなか、館としての統一的なイメージを作るために、全印刷物のデザインを任されたんです。
―今回、新しくオープンする富山県美術館のロゴをデザインされることになったのは、どのような経緯からだったのでしょうか。
永井:富山県美術館の前身は、1981年に開館した富山県立近代美術館です。この美術館は、近代美術はもちろん、ポスターや椅子など「デザイン」の収集にも力を入れる全国でも珍しい美術館だったんですね。
僕は同館で、開館から2016年末の閉館までの35年間、ポスターや図録など美術館にまつわる全印刷物のデザインを任されてきました。そんな経緯から、今回のリニューアルにあたり、ロゴを新たに制作して、新美術館の船出を飾ってほしいと依頼を受けたんです。
―35年間にもわたって、一人のデザイナーに一貫してデザインを依頼するのは、とてもユニークな方針ですね。美術館にはどんな意図があったのでしょうか?
永井:これは、初代館長の小川正隆さんの方針でした。小川さんは館長に就任した際、従来の美術館が展覧会ごとにデザイナーを変えていることが気になったそうです。つまり美術館は「紺屋の白袴」(他人のことで精一杯で、自分のことがおろそかになること)で、展示作品は大事にするけど、肝心の美術館自体のブランディングには疎いんじゃないか、と言うわけです。
今では美術館のあり方もだいぶ変わりましたが、当時の展覧会では、ただ出品作を前面に使うポスターを作るのが普通で、印象が毎回、変わっていたんですね。しかし、それでは美術館としての統一的なイメージは作れない。そこで、特定のデザイナーに任せようと考えたのです。
―実際、永井さんが近代美術館のために制作した数々のポスターは、通常の展覧会ポスターを逸脱するものでした。
永井:僕は、ポスターというのは、展覧会の視覚的な前奏曲だと考えているんです。前奏曲というのは、本演奏の抜粋ではないですよね。独自のものであり、本演奏に誘い込むものです。
たとえば1984年の『ルオーの版画』展では、彼の版画を、十字架の真ん中に小さく置いています。ルオーの素晴らしい版画は、展覧会に行けば観られる。むしろポスターで重要なのは、ルオーの世界観をデザインで増幅させ、人の関心を引くことにあるんです。こうした継続的な取り組みが、美術館の個性になっていきましたね。
ロゴ自体を優れたものにすることはもちろんなのですが、それを育むのはあくまでもクライアント自身なんです。
―そんななか、今回の富山県美術館の新しいロゴはどういった点から考え始めたのでしょうか?
永井:ひとつは、「アート&デザイン」がサブの名称につくということ。また、立山連峰や、世界的にも美しさで知られる富山湾など、富山の豊かな自然を取り入れること。どちらも富山県知事のご意向でしたが、それらをすべて昇華するという、欲張ったことをしてみたんです(笑)。
具体的には、富山の「T」とアートの「A」、デザインの「D」という3つの頭文字が入っている。また、立山連峰のかたちと富山湾のブルーも入れました。通常、ロゴは丸や矩形のものが多いですが、バランス的に新鮮な縦長を採用しています。
―シンプルな形態のなかに、さまざまな要素が詰まっていますね。
永井:ロゴは、シンプルな方がいいんです。シンプルだと、「これは何だろう」と考える余地が生まれる。そして、「あ、Tか」と納得したとき、より後に残るものになるんです。
―何案ほど考えられたんですか?
永井:考えたのは7~8案ですが、美術館にお見せしたのは3案ですね。
―永井さんはいつも3案を提案されるとお聞きしました。
永井:ええ。そして必ず、社長など最高責任者に選んでもらうようにしています。というのも僕は、ロゴは「累積効果」だと思うんですね。
ロゴ自体を優れたものにすることはもちろんなのですが、それを育むのはあくまでもクライアント自身なんです。サイン計画としてさまざまな場所に使われたり、広報物に使われたり、美術館自体が素晴らしい活動を行うことによって、ロゴは、相乗効果でますます良くなっていくんですね。
―まだロゴが完成してから日が浅いですが、これが新しいロゴだという認識は、美術館の職員のみなさんには、あっという間に浸透しているとお伺いしています。複雑だと、「どんなロゴだっけ?」と思い出せないけれど、今回デザインされたロゴは本当にスッと入ってきますね。
永井:シンプルなほど、人々のイメージが重なりやすいんですね。それは、そこで働いている従業員にとっても同じです。そして、多くの従業員にとってロゴが組織への思いの「よりどころ」となったとき、それは組織に大きな力を与えるものになるんです。
美術館情報
- 富山県美術館
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3月25日(土)よりアトリエ、レストラン、カフェなどが一部開館される。4月29日(土)には屋上庭園「オノマトペの屋上」が開園。8月26日(土)には全面開館し、開館記念展『LIFE-楽園を求めて』(~11月5日)がスタートする。
時間:9:30~18:00(入館は17:30まで)
休館日:毎週水曜日(祝日除く)、祝日の翌日、年末年始
プロフィール
- 永井一正(ながい かずまさ)
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1929年大阪生まれ。1951年東京藝術大学彫刻科中退。1960年日本デザインセンター創立に参加。現在、最高顧問。JAGDA特別顧問、ADC会員、AGI会員。1960年以後、日宣美会員賞、朝日広告賞グランプリ、日本宣伝賞山名賞、亀倉雄策賞、勝見勝賞、ADCグランプリ、毎日デザイン賞、毎日芸術賞、通産省デザイン功労賞、芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、勲四等旭日小授章、ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞、ブルノ、モスクワ、ヘルシンキ、ザグレブ、ウクライナ、ホンコンの国際展でグランプリを受賞。