今年の正月に掲げた目標は「ハイパー青二才さんになりたい」と言うものだった。
その時に、大谷翔平投手を参考にして作った72個の目標がこんな感じ。
今年は自分磨きや自分を律するようなことを徹底的にやっていこう…と思ってた。
ところが、1〜2月にかけて、僕の人格や価値観を大きく変える相手に会ってしまったことで、今までの僕でいられなくなってしまった。
いい方向に変えてくれたことに感謝している。
だが、迷いが晴れ、肩の力も抜けた始めたことで、今までのようにブログが書けなくなってきている。
その葛藤を赤裸々に綴ることにした。
変わらなきゃと思ったのは、自分が病的なほど卑屈だと気づいたから
まず、目に見える変化は僕が川崎純情小町というご当地アイドルの宮内桃子さんと動画に映ったり、動画撮影の取材を撮影したところだろう。
ご当地アイドル:宮内桃子さんと共演して、焼き肉して「大人の世界」を見てきた話
川崎のグルメを紹介し続けてきたり、「ブログを教えるからメシおごって」という企画で人に会い続けた結果、結びついたチャンスだった。
そういう機会を作ってくれたガッキーさんにはすごく感謝してる。
それに、出たいと言ったのは僕だし、その場で出たことを感謝もされている。
…だから、「後悔」はしてない。
それどころか、嬉しすぎて、人に「最近調子どう?」と聞かれる度に、
「いいことあったよ。アイドルと動画に出て、写真撮って、そのことを記事にまとめたらお礼言われた(^o^)」
と言ってる。
ただ、人には言わないにして来たが、記事をまとめる前にはこんな葛藤もしていた。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
それは撮影した動画ができあがったり、デジカメで撮影した自分が入った画像を編集してからのこと…。
映っている自分に「何だこいつ?」と思った瞬間から、嬉しいとは全然違う考えが湧いてきた。
「うわぁ〜アイドルを応援してきたファンこそが、こういう役回りをやるべきだったんだろうなぁ…。俺みたいに別に昔からのファンでもなきゃ、画になる男でもない俺が出ちゃったことで、彼女のファンを怒らせたり…そもそも仕事としてのクオリティを下げてはいないだろうか?」
そう思った瞬間に「なんで俺だったんだろう?」という不毛な事を考えることになってしまった。
テレビに毎日出てるほどじゃないが、動画に出たいぐらい好きなファンぐらいにはアイドルで、人前に出るだけの努力を欠かさない人だ!
それだけ活動も続けてるし、評価もされている。
「人前に出る努力」をしてないわがままボディーの俺が出ちゃうのは色々おかしいのでは?
何をもって「正しい」というかは微妙だが、「フェア」ではない気がした。
コンビニでお釣りを多くもらったのを黙って店を出てきてしまったような背徳感が僕を急に襲い始めた。
この卑屈さは出版社の方々と飲ませて頂いた時にも
「あっちはプロ通り越して、レジェンドの域に入ろうとしてて、こっちはセミプロでアングラを抜け出せてない。
随分、釣り合わない飲み会をしてるなぁ〜。」
と、申し訳ない気持ちでいっぱいになってる。
いや、申し訳ない気持ちと背中合わせに、宝くじに当たったぐらいに思ってるところもあって、平常心が保てずに失礼を働いているようなところがある。
だから、いつでも平常心が保てるロボットになりたかったし、みんなロボットだから社会でやっていけるものだと…思ってた。
僕の気づかいや配慮や正しさは論理的過ぎてズレてる
ガッキーさんと週1で会いまくってた時期の最後の日、昼間はガッキーさんと会い、夜には「ブログ教えるからメシおごって!!」の企画でできた教え子達と新年会をするというダブルヘッダーのスケジュールをこなした。
その時にも、こんなことを言われた。
「三沢さんは、気を使いすぎ。」
それも言ってくださったのは、激務をこなすOLの女性だった。
…僕はお酒をお酌したり、料理を下げたり…そういう女子力の高い振る舞いが苦手だから、気を使えないところ、気が回らないところがダメだと思ってたから、今まで言われたこともないし、思ったこともなかった。
特に、僕は(特に恋愛対象の)女性に対しては爆発物だと思ってきたし、爆発物を何度も爆発させてきたから、「気を使いすぎ」と言われたことがすごく新鮮だった。
一番長く共同生活して、私にうるさく言った女性(母親)が水銀レバーみたいな女性だった。
なおかつネット上にばらまかれる女性向けメディアや女性の恋愛ブロガーはその女性の影を見ていると、決して笑い飛ばせない「爆発物の取り扱い方」に見えていたから、如何に爆発させないようにするかを死ぬほど考えてしまう人間になっていた。
そこでうまく僕の弱点を指摘してくれたのはあきさねゆうさんだった。
「考えなくてもいいことを、考えて病みすぎ。
病むようなことを考え込みすぎ。」
図星だ。
でも、
「俺主催の回で、なんでおれが説教されてるんだよ!」
と、図星だけどどうすることもできず薄ら笑いを浮かべながら逆ギレした。
図星なんだよ?
かつて、僕のブログに「転職についての記事を寄稿してくれた人」も、
「三沢さんの配慮はズレてる。」
と散々言ってる。
よく考えると、僕に「配慮(気づかい)が足りない」と言ってきたのはブラック企業の先輩とオカンだけで、僕と仲がいい人であればあるほど「気づかいがズレてる」と言ってる。
でも、新年会の場はさっき言ったOLさんが空気を読んでフォローしてくれたことで収まってる。
「でも、それだけ繊細な気づかいをする方だからこそ、あれだけ緻密なものを作るんでしょうね。」
…この言葉が今になってみると、すごく正しかったように思う。
気づかいのズレを治そうとすると、作風を変えないといけないことにうっすら気づいてきたし、何よりも、そのことで悩んでる最中だから。
なぜ、ズレた気づかいをしてしまうのか?
それは、ゲーム的で数理的で論理的な正しさを「その場の空気」に求めてしまうからだそうだ。
…「その場の空気」なんて「偶然の産物」でしかない。
あの人とこの人が出会った偶然は「運命」でしかない。
法則性を見つけて分析し、正しくシステマティックな形を取ろうとする
「論理的」
「ゲーム的」
「数理的」
なモノとは対局にある。
「運命」は演出できるかもしれないが、分相応に来るものではない。
世の中には「悲劇の天才」だっているし、「なんでこいつが」と思う人が日本のトップに立つことだってある。
僕はそういうものがアンフェアに感じて、「悲劇の天才」を取り上げて悲劇から救う態度を取ることを好む。
だから、グルメでは雑誌に載らない店を開拓するし、マンガを紹介する時にはアニメ化されてないものを選ぶし、フリーゲームは極力書籍化しやすいホラゲーではなく、RPGなど書籍化しにくいジャンルのゲームを選んで紹介している。
それどころか、自分自身も「悲劇の天才」と呼ばれる実力をつけて、「なんでこいつが」と思ってるやつを吊し上げて、そいつの地位ある姿をぶっ殺したいと思ってる自分がいる。
良くも悪くも「チャレンジャー気質」なんだよね。
…自分から仕掛けていくことや、一人で動き回る戦いにはめっぽう強い。
でも、トップを守り抜く戦いとか、与えられた役割をこなすような連係プレーになった瞬間に「なんでお前が?」と自分自身に葛藤し始める。
トップに立たなくても、「運命」によって「なんでお前が?」と自分自身に思うようなことはある。
そういうことを相手に言わせないために、相手が引いたり疲れたりするほど確認と注意を払ってみたり、
そういうことに対してすげー考え込んでしまった挙句、申し訳なさで自己嫌悪して自滅したり…僕はそういうことがすげー多かった。
そういう時に、騙し騙し納得したい自分のために、相手にしつこいほど理由を聞いたり、なにかしらの自分の行動をきっかけとすることで自分に言い聞かせたりしてた。
…色々言ったけど、シンプルに言えばこうだ。
今までの僕の強さ
・世界は間違ってる←だから俺と俺ぐらい考えてる人達で正すんだ!
今までの僕の弱さ
・世界は間違ってる←そして、今の僕は間違った側にいるからしんどい。
で、このことを頭に入れてからの自分
弱さを克服したことで言えるようになったこと
・世界は間違ってる←間違いは正せないし、その場の当事者がみんな正しいと言ってるから良しとしよう。
・世界は間違ってる←正しい世界って何?そうだったことなんてある?
…意図的にニヒルを飲み込む形で、今まで病んでいたことでやまなくなった。
おかげで、今年の目標にしていた「ハイパー青二才」への一歩を踏み出した気がする。
その一方で、今まで書いていた書き方ができなくなり始めている。
昔の僕にニヒリズムはなく、僕にとって幸せか不幸かを判断し、不幸なことを取り除こうと、不幸を配って歩く人を攻撃してた。
…母親に似たようなことを言って理不尽を男性に強いる女性、中身のない堕落した文化、論理的整合性が取れてないバカ…それらは僕にとっては生きづらさで、取り除けば幸せになれる…と思ってた。
ところが、そうした攻撃性が「僕はこの場にふさわしくない人間だ」と、自分に向いた時に、自分を不幸にすることに気づいた。
ニヒルをしまう強さも覚えたが、ニヒルにならないことが自分の強さであることも気づいた。
これを出し入れすることは、矛盾にならないのか?
また、その矛盾を指摘されたり、責められた時に僕はどう振る舞っていいのか?
ブログを書く時間だけ、世界と思いっきり向き合って、偶然に対しては「運命」を信じて、分相応ではない自分にニヒルを決め込む僕は卑怯でかつ、「自分に甘く、他人に厳しい」と言う形で矛盾して、嫌いな母親や、バカ女達と同じ生き物にならないのだろうか?
もし、母親と似ることでしか生きていけないことに気づいたら、僕の人生って何だったんだろうか?
ムダだったとしたら、より効率的に正しい道を行った人間を追い越すことはできず、もうすでに敗北しているのではないだろうか?
そういう結論が、もう一歩まで迫ってるから本当に死んでしまいそうになってる。
・母に似たような女と結婚しない(関わらない)こと
・母のような理不尽を他人に与えないこと
・無自覚に矛盾と思慮の足りない善意を押し付ける人間に出会ったら気づかせる
ことを人生の信条としてきたし、それを成し遂げることで充実感を獲得してきたし、チャンスも逃してきた。
が、これがなくなった僕の人生ってどうなるんだろう?
ニヒルを矛盾しないように使いこなすこと…矛盾に気づかれない形で使うことなんて本当にできるんだろうか?
あるいは、矛盾しないために今の強みを捨てて、新しい作風に目覚めたらそんな自分に読者は付くのだろうか?
矛盾したら、嫌いだった人間と同じ生き物になるし、きっと僕は僕に嫌われる。
だから、ニヒルを手に入れたが、ニヒルの使い方に悩んでいる。
使いすぎたら、ブログが書けなくなるどころか、キレがなくなる。
使わなかったら、「運命」を受け入れられず、自滅を重ねる。
どこまで使っていいんだろうね?
こういう悩みを扱ったマンガが読みたい人はこれをどうぞ。
このマンガを勧めた人が、僕にニヒルを与えた人であり、 ニヒルを持ってない女の子が自己嫌悪に悩んでいる描写の話だから。