言葉にしないと残らない

様々な体験や経験をすると、人は多くのことを学んだ気になる。

それは果たして本当に学んだのか。実際のところ、学んだという感覚を得るだけで、自分の血肉にはなっていないのではないか。

スキルや考え方は一度、体験するだけで身につくことなど、あまり無い。喉元を過ぎれば、というやつだ。


一体、何を学んだのか。それが言語化されない限り、脳の中には残らないのではないだろうか。

熱いストーブを触って、ストーブは危険だと気付く。「熱いものは危険」だという言葉になって初めて学びとなるのではないか。

研修や勉強会に参加して、仕事の出来事を通して、何か体験をしたら、それで勉強になったなぁ、と思って終わるのは勿体無い。


体験は、そのままにしないで言語化してみよう。言葉にしようとすれば、整理される。何が学びだったのか、考える機会になる。

言語化は、抽象化とも考えられる。起きた出来事を100%写実することはできない。余計なものは削ぎ落とさないといけない。

その過程で本質を捉えようと脳が働く。本質的なものは、応用が効く。それこそ学びと言って良いのではないだろうか。


ひとりならブログを書いてみると良いかもしれない。公開しない日記でも良い。思い返すことが大事だ。

チームなら、ふりかえりをするのも良いだろう。誰かに話すことで、言語化されていくはずだ。

言語化する機会を作ることで、考えるきっかけとなって、体験が学びとなって残っていく。


そして、抽象化して整理するには、表現力や語彙力が必要になる。概念を知ることと言葉を知ることは同じだ。思考は、言葉に縛られている。

多くの言葉を知るために、本を読むのは有効だ。何もビジネス書や技術書でなくても構わない。むしろ様々な言葉を知ることができるなら、フィクションもありかもしれない。

言葉で表現する幅が広がれば、考える幅が広がる。それは、体験や経験を学びに昇華することに役に立つのではないだろうか。