vol.2 黒川文雄のエンタメ異人伝

Interview

立川のショップから上場企業へ…名作ゲームを量産した秘訣とは? 日本ファルコム創業会長 加藤正幸氏(中)

立川のショップから上場企業へ…名作ゲームを量産した秘訣とは? 日本ファルコム創業会長 加藤正幸氏(中)

音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。

そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。

記念すべき第1回は、日本のパソコンゲームの黎明期から現在に至るビデオゲームのパイオニア的存在である、株式会社日本ファルコム 創業会長 加藤正幸氏です。コンピューターを愛し、サラリーマン時代を経て、ソフト販売のショップを開店、ソフト開発を行い、日本におけるパソコンゲームの市場を開拓してきました。今まであまり語られることのなかった加藤氏の半生を追いしました。

※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの第2回です。第1回(上)はこちら

インタビュー取材・文 / 黒川文雄


アップルのドラスティックな施策とショップ転換期

加藤 ただ、アップルは仁義を守るっていう会社ではないんですよね。ある日突然、バンって(販売権を)そこから全部取り上げちゃって。確か、東レが権利を取ったんだったかな? ああ、アメリカの会社っていうのは、こういうドラスティックなことをやるんだなと実感したのを覚えています。

コンピューターに興味がある人たちが集まるようなサロンになっていたということでしたが、そこから徐々に商業的なゲームを作ろうとなっていったわけですか?

加藤 先ほど言われたようにヒマだったのですが、何十万円っていうマシンが売れる瞬間を逃したらアウトですから店を空けるわけにはいかなかったんですよ。店を離れられないので、その間に売っているアップルのゲームを遊び倒したわけです。

なるほど、ずっとプレイしていたわけですね。

加藤 それがやっぱり基礎になったといいますかね。そうして、いろいろなゲームをやったり見たりしていたら、「これだったらウチでもできるんじゃないか」となりまして。店に来ているお客さんに「やってみない?」と(笑)。日頃から彼らが作成したものや打ち込んだものを見てあげたり、直したりしていましたからね。その中にわりと優秀なお客さんがいて、「待てよ、これは商品になるんじゃないか?」というものもありましたから。

それが『ドラゴンスレイヤー』シリーズの木屋善夫さんだったりしたわけですか?

 

加藤 そうそう。もっとも最初の頃は売り物になるかわからないようなもので、とりあえずやってみるみたいな感じでした。報酬もお金じゃなくて大型テレビとかね。

ゲームをお出しになって、これはいけそうだなと思われたのはいつ頃ですか?

加藤 最初からいけそうかなとは思っていました。やっていることは非常にこぢんまりとしていましたけどね。ただ、最初にソフトを出したときのことは今でも忘れられません。この話はよくするんですけど、当時はそういうゲーム専門の卸店というものはないですから秋葉原に技術書などを卸している本屋さんに頼んでいたんです。それが元になって後にI/Oさんとかがやり始めるわけですけど、最初はそういうところが卸しをやっていたんですよ。昔風の本が山積みになっていてクレーンとかがあってね。社長が作業しながら出てきて、「ああ、これ。じゃあ置いといて、後で注文出すから」みたいな感じで。

牧歌的な時代ですね。

加藤 それで誠光堂さんっていう本屋さんがあったのですが、そこから最初の注文が来たのが700何本かな? 今ならどうということはない数ですが、当時の僕らは「ええっ、そんなに?、作れないよ~」となりましてね(笑)。だって、コピーから箱詰めまで全部自分たちでやっていましたから。来ているお客さんたちにも手伝ってもらったりしました。

1本1本すべて手作業だから大変ですよね。

1981年 開業当時のファルコムショップ内の風景 写真左は加藤氏

1981年 開業当時のファルコムショップ内の風景 写真左は加藤氏

加藤 ジョゼフ・ルドンさんっていうフランス人のゲームコレクターの方がいるじゃないですか。彼がテレビに出演していたとき、ウチのソフト『GALACTIC WARS 』が出てきたんですよ。「おお、懐かしい」と思って見ていたら現在の値段が40万円って。確かに世に出たのは約700本だけですから希少価値はありますよね。でも、観たときは「ええー、ちょっと待って!」、「まだ、裏に残ってないか?」となりました(笑)。

1987年頃「ウルティマ」開発者リチャード・ギャリオット氏と来店のおり、エプロンをつけての記念写真

1987年頃「ウルティマ」開発者リチャード・ギャリオット氏と来店のおり、エプロンをつけての記念写真

ゲーム・パッケージ開発秘話

いや~すごいですね、それは。

加藤 そのゲームはすごく思い出深い作品なんですよ。当時のパッケージはチープなものがほとんどだったのですが、ウチはきれいな箱に入れてイラストを貼ってね。そういうことを始めたのは、かなり早いほうだったと思います。でも、お金がないから兄の描いたイラストをタダで使わせてもらって。実は、ウチの兄はイラストレーターなんですよ。

そうなんですか?

加藤 カッパ・ブックスみたいなペーパーバックの挿絵や扉絵などを描いていたんですよ。それで、兄のところへ行くとアトリエに描いたものがダーっと山積みになっているわけです。その中から探してきたものを使っていました。「これ貰っていい?」とか言ってね。兄が描いた絵がパッケージですからね。今でもすごく思い入れがあります。ルドンさんに言っとかなきゃ、それは(笑)。

いろいろな工夫されていたわけですね。

加藤 今、起業する人たちみたいにお金を借りてドーンという方法ではないですからね。最初にも言いましたが、とにかく起業して「何か仕事ありませんか?」みたいなのを見ていると、ちょっと違和感があるんです。まず、仕事が先だろうと。

1981年 開業当時のファルコムショップ内の風景 外国人のお客様も多かった

1981年 開業当時のファルコムショップ内の風景 外国人のお客様も多かった

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