社説

核燃料デブリ調査/廃炉への道筋は依然険しい

 東京電力の福島第1原発で初めて、メルトダウン(炉心溶融)した核燃料とみられる物質が撮影された。
 燃料のウランと周辺の物質が溶けて混じり合った「デブリ」は、2号機の原子炉(圧力容器)を突き破って、外側を覆う格納容器内に落下したことが確実だ。
 原子炉の真下に当たる作業用足場の上には、溶融燃料らしき物質が付着しているように見える。ただ、これで全量というわけではないだろう。
 廃炉のためにはまず、どこに、どれだけの量の溶融燃料が存在しているのか、突き止めなければならない。今回はその作業のスタートラインに立ったにすぎない。
 さらに1、3号機でも同様の確認作業を行い、溶融燃料をどうやって取り出すのかを決める必要がある。1979年に事故を起こした米スリーマイルアイランド(TMI)原発のケースが当面の参考になりそうだが、福島第1はさらに困難な作業を強いられるのは必至である。
 東電任せにせず、国が責任を持って真剣に取り組まなければ、安全で確実な廃炉作業は不可能だ。
 世界に衝撃を与えた原発事故としては、福島第1以前にTMIとウクライナのチェルノブイリ(1986年)があり、いずれも核燃料の溶融や破損に見舞われている。
 チェルノブイリは核燃料が入ったまま原子炉を「石棺」で覆ったが、TMIは取り出しを終えている。
 財団法人「エネルギー総合工学研究所」の調査では、TMIは取り出し方法の決定と必要な設備の完成に5年、取り出し作業にさらに5年を要した。具体的には、溶融燃料を水の中に浸してから油圧式ドリルなどで破砕し、炉内から除去したという。
 溶融燃料の取り出し方法は水中で行うか、空気中で行うかの二通り考えられる。水中なら強烈な放射線を減衰させることが可能で、作業効率は一般的に高いとみられる。
 ところが、TMIは溶融燃料が原子炉内にとどまっていたのに対し、福島第1は1〜3号機とも原子炉が破壊されて格納容器に落下したという決定的な違いがある。原子炉より大きな格納容器を水で満たすのは、より難しい作業になると思われる。
 どの方法を採用するにしても、TMIは2号機1基だけだったのに対し、福島第1は1〜3号機の3基。廃炉作業の負担は比較にならないほど大きいだろう。
 仮に取り出したとしても保管場所が大問題になる。TMIはアイダホ国立原子力研究所へ輸送して保管したが、福島第1の場合は全く白紙。
 米国のように広大な国土を持つならまだしも、日本国内で保管場所を確保するのは至難の業。原発事故からもうすぐ6年だが、解決できるのかどうか依然不透明な問題が山積しているのが現状だ。


2017年02月04日土曜日


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