「やってみないとわからない」という思考停止

「やってみないとわからない」だから、試すんだ。そのことは間違いじゃない。確かにその通り。

立派な計画を立てても実行しなければ、1ミリも社会に影響を与えない。

頭でっかちにならずトライアンドエラーで、逐次修正しながら進めよう。

アジャイルにやっていきましょう。少しずつ小さく試していけば大丈夫。


そう、世の中には、やってみないとわからないことばかりだ。正解が決まっていないことの方が多い。

だから、やってみる、行動してみるということに価値はある。

・・・だけど、それ、本当にやってみないとわからないことなのか?と考えたか。「やってみないとわからない」といって、考えてみることも放棄してないか。


考え尽くしたあとに、やってみないとわからないことを試さないと、やってみたことが良かったかどうかもわからない。

やってみることに仮説があるかどうか。

なぜやるのか。仮説をもって取り組めば、仮説が正しかったか、間違っていたか、わかる。仮説がなければ、うまくいっても、何が良かったのかわからない。逆もしかりだ。


そして、仮説に説得力はあるか。ただの思いつきは仮説とは言えない。

ロジカルでなければ説得力はない。当てずっぽうでは、いくらでも時間がかかってしまう。

事前に複数の選択肢を出したかどうか。いくつものアイデアの中から、ロジカルに選んだものは、説得力のある仮説となる。


やってみるのも良いが、その前に考えよう。考えるだけなら、コストはゼロだ。考えた末に、それでもやってみないとわからないのだから、やってみる。

考えるけど、行動しない。だから、わからないままでいる。それよりは試した方が良いのは間違いない。だけど、考えなくて良いわけではない。

もちろん、程度の問題だ。考えるコストより、やってみるコストが低ければ、やってみれば良い。

アジャイルもリーンスタートアップでも、考えずにやりましょう、なんて誰も思っていない。行き当たりばったりではなく、臨機応変なのだ。

「やってみないとわからない」は思考停止。