恵方巻ってノルマがあるのな、闇が深い
ぜーたである。吾輩は猫みたいになったが早速始めようと思う。
一日過ぎてしまったが、友人から昨日こういう話を聞いたので、さっそくネタとして使わせてもらう。
『恵方巻のノルマはマジ勘弁』問題だ。
恵方巻といえば、最近急に話題になりつつある日本の伝統文化である。
まずは恵方巻がどういう経緯で広まったか、を書くことにしよう。
まあまあ有名な話だが……
恵方巻、元は大阪の一行事
デジタル大辞泉の解説によると、
節分の日に、その年の恵方を向いて食べる太巻き寿司。心の内に願い事をしながら黙って食べると願い事がかなうという。
[補説]大阪地方の習慣であるが、平成12年(2000)ごろから全国に広がった。大阪地方では単に「巻き寿司」とよぶことが多い。
大阪地方の習慣だったそうである。いろいろ調べていってみたが、確かに大阪の一部の地方で、『丸かぶり』として食べられていた経緯はあるようだ。私は大阪出身ではないのでわからないが、大阪の友人に聞いたところ「そんなものは知らなかった」というので、もしかすると大阪のごく一部の地方の風習だったのかもしれない。
もっと遡ると、
そもそもは、江戸末期~明治初期に大阪の問屋街船場(せんば)で商売繁盛や無病息災を願って食べたのがはじまりというのが通説になっているが、諸説があり、はっきりとしたことは分かっていない。(日本大百科全書より)
江戸時代から明治時代まで行けるようだが、「諸説あり」とのことで、あまり信憑性はないようである。
色町で生まれたという説もある。どっちが正しいかは神のみぞ知る……ではないが、めんどくさいので追究しない。
データで見る恵方巻の普及率
そもそも恵方巻という風習だが、十年前の私の地域にはなかった……と記憶している。
私の親、または親世代にあたる教師に聞いてみても、「恵方巻」という文化はなかったという。まあ「n=1」とか言ってブコメで追及されそうなのでやめておく。
正直に言うと、きちんとした統計をとったわけではない。だからここは思い切って引用のパワーを借りる。スミマセン。
1. 恵方巻きの認知
〔(全員)あなたは、節分に恵方を向いて太巻き寿司を丸かぶりする「恵方巻き」をご存知ですか。〕
2016年の統計では、恵方巻を知っている人は94.9%にも上る。かなり有名というか、「普及した」といってもよさそうな恵方巻の文化。なおn=10945である。
このサイトに回答する人々にそんなに偏りがあるようには思えないので、統計としては信頼してよさそうだ。てかこれも信用ならんと言われると何も言えなくなってしまう。許してください。
注目してほしいのは第一回調査との差だ。第一回の調査において、恵方巻を知っている人は82.8%。その後、恵方巻の認知度は緩やかに上昇し、最近は微減した(これは誤差と言ってもよいのだろうか?ちゃんとした計算をしていないからわからんが)
およそ10%の差(増加)があるが、さすがにこれを無視することはできない。
もっと驚きなのは次のグラフだ。
2. 恵方巻きを食べた経験
〔(恵方巻きを知っている方)あなたは「恵方巻き」を食べたことがありますか〕
去年のデータでは「恵方巻を食べたことがある」と答えた人は75.7%、しかし第一回2005年の調査では54.4%しか食べたことがない。その差は20%にも上る。
しかも、これは「恵方巻を知っている人」への質問だ。知っていて、なおかつ、食べた人がこんなに増えた、ということだ。
20%ですよ、奥さん。
仮にだ、仮にこの統計が信頼できるものであったなら、まさに忠実に「恵方巻という文化の普及具合」を示していると言ってもよかろう。
恵方巻反対意見
そして、この恵方巻という文化に対し頑なに拒否の反応を示し続ける者がいる。
私である。
正しく言えば、
私であった。
恵方巻という文化がなかったので「頑として反対」の立場にいたのだが、ついに一昨年食べることになってしまった。夕食に出てきたのだ。
おっと、これは巻き寿司のイラストだったか。いらすとやに「恵方巻」がなかったので勘弁してほしい。
ともかく、夕食に出てきたのであれば食べるほかあるまい。私は嫌々言いながらも、時間が経ってシナシナになった噛み切れない海苔と格闘して、長い長い太巻きを食べきった。
あまりおいしくなかった。
そもそも私はカンピョウがあまり好きではない。カンピョウ農家には申し訳ないと思っているが、どうして寿司にあんな甘いものを混ぜるのだろう?
というわけで、食べてしまったため、私は反対の立場を離れざるを得なくなったのだが、ネットの世界は広い。ただ興味がない人もいれば、遠巻きに「恵方巻=商業主義」なんて言って叩いて食べない人もいる。
食べないのは別に構わんが。
「コンビニ・スーパー業界が仕掛けた商業主義にまんまとはまるアホな日本人が食べてるんだろうな。全く、ウチの国民は流行りに乗せられやすいんだから」
散見する上のような考えには少しツッコミを入れたい。
(結構ネットには多いが、現実にこんなこと言っている人はほとんどいない。なぜだろう……?)
拗らせたような人たちが事あるごとに商業主義なるパワーワードを掲げ、カチコチに凍った恵方巻を持って「商業主義に踊らされる愚かな日本人」を叩いているが、むしろそういう人たちのほうがヤバそうな気がしてしまう。
彼らは、今日本に定着している文化のうち、本当に昔から日本にあったものを答えられるのだろうか。
例えば、「バレンタインデーにチョコを渡す」というメンドクサイ楽しい行事はいつ生まれたのだろうか。
日本チョコレート・ココア協会のサイトによれば、
現在の形のバレンタインデーの始まりは、昭和30年代(1950年代)に入ってからのようです。
多くのチョコレート会社が「バレンタイデーにチョコレート」の販売戦略を進めていくうちに、昭和40年代末から50年代にかけて、女性のこころを捉えて徐々に盛り上がり、今日のように盛んな行事になったと考えられます。
本当に普及し始めたのは昭和40年~50年代、つまり1970年くらいからということになる。たった数十年の伝統を、「文化」と呼んでいいのか?と言われれば、普及してるから文化な気もするし、でも文化にしちゃあ短いし。
これは結構有名な話だった。じゃあホワイトデーはどうだろう。
ホワイトデーのお返しといえばやっぱりチョコな人もいると思う。私もそうだ。キャンディを贈るという話も耳にするが。
だが、元々は「マシュマロを贈ろう」だったことを知っている人はどれくらいいるだろう。
このサイトによれば、
石村萬盛堂によると、ホワイトデーの起源は同社が昭和52年に始めた「マシュマロデー」だそうです。
とあるが、読めばわかるように、現在では「ホワイトデーにマシュマロを贈るのは『あなたが嫌い』という意味」なんて噂があるぐらいだ、何が起こるかわかったもんじゃない。一体文化って何なんだろう?
結婚指輪の話だって同じだ。先生や私の親世代の人たちがたまに『結婚指輪の値段は給料の三倍がいい』なんて言うのを聞いてきたし、
こういう検索結果も現れるぐらいだから、たぶん広く知られているのだろう。
これが当然「宝石業界」が持ち出す商業主義の仕業であると認めない人はいまい。
どうして三か月分なのか合理的に説明された例を、私はいまだに見たことがないからだ。
ジューンブライドという風潮も同じだ。
ホテルオークラの(元)副社長が、じめじめした6月に結婚式を挙げたがらない、クッソー儲けが出ないぞなんて考えた結果、西洋の「ジューンブライド」の伝承を日本に持ち込んだ。それが大成功、ブライダル業界で働く親戚の方曰く、6月はやはり忙しいらしい。
土用の丑の日だって同じだろうし。
あとは……鯛焼きなんてのも変則的だが挙げておこう。鯛焼きがいつ生まれたのか、については、まだ有力説が確立していない。江戸時代に生まれたなんて説もあれば、鯛焼き御三家のどこどこがつくったなんて説もあれば、まあいろいろだ。
たぶん、何処かの誰かが「鯛の形にすれば『おめでたい』んだろう」と考えて売って、それが大ヒット。お金が絡むから商業主義だよね。
といっても、砂糖は当時かなり貴重だっただろうから、何も戦国時代までさかのぼりはしない。せいぜい江戸末期か明治と言ったところ。
だが、人々の間で言えば、鯛焼きは日本の伝統的なお菓子みたいに扱われている。
というように、今では当たり前になっている文化・価値観の根底に、巨大なカネの動き……言い換えれば強大な企業による商業主義や、強烈なインパクトを利用した商売があったことを無視できまい。
これを無視して語るから「恵方巻に騙される人は商業主義に踊らされている」なんて頓珍漢な説が出来上がってしまう。
文化とか伝統なんてのは簡単に作れるのである。
訂正、「文化とか伝統が昔からあったと人々に思い込ませること」は案外簡単なのだ。
現に、恵方巻を批判する人が同時にバレンタインやジューンブライドの例を持ち出して、巨大企業による商業主義を正当に批判する例を、私はほとんど見たことがない。
恵方巻は否定するのに、バレンタインや鯛焼きを否定しないのは筋が通っていないように思われる。
そして周りは言う「いやいや、アンタも同類やろーが」と。
「自分に突き刺さるような言葉は言わないでね!」というだけのことね。
ネットならまだいいが、現実世界の友人には軽々しく言わないほうがいい。そういう風に思われかねないから。
※これが、「恵方巻に商業主義を感じるから食べない」ならごく真っ当な意見であろう。実際、バレンタインデーホワイトデーハロウィンイースター恵方巻、いろんな行事を全て「商業主義!」の一言で切り捨てている友人を私は知っている。
ただし、彼はあくまでそれを他の人に強要したりはしないし、ましてや「日本人の浅はかさ」なんて問題に結びつけて、日本人全体を叩いたりもしない。
私は、「商業主義論法」全てが問題ではなく、恵方巻という商業主義を根拠に日本人を叩く行為がブーメランなのだ、と言っているだけだ。
食うも食わぬも自由だが
で、いろんな意見を総合して出てくる結論はこれしかない。
「食うも食わぬも自由だな」
と。つまり、食べるのも食べないのも、そこに理由を付けるのも個人の勝手で構わない、と。
バレンタインを祝う人がいてもいいし、祝わない人がいても構わない。互いの生活はねじれ関係を描き、決して交わることはないはずだ(決して恋愛の対立を煽る意味で言っているのではないから誤解なさらぬよう)。
なのに、「恵方巻」がこんなに叩かれてしまうのは不思議な気がする。
一つ仮説を立てるなら、それは『恵方巻という文化自体が、存続・消滅の二択を迫られている時期だから』と言えるだろう。今を乗り切れば、三十年後、恵方巻はまるで日本の伝統でしたとでも言わんばかりの顔で鎮座しているに違いない。そのころにはみんなそう思い込んでいるはずだ。バレンタインがそうだったようにね。
逆に、「恵方巻?ハァ、バカラシイ」なんて人が多ければ、そのまま廃れてしまうだろう。
そこに良いも悪いもない。文化はその場その時の人々の総意のようなものでしかなく、文化自体に良し悪しを付けること自体が無意味に思われる。
ただ、文化を押し付けることに関して、私はあまり賛成しない。全ての文化は開かれていて、実践するもしないも自由であるべきだ、というのが私の意見だからだ。
私は食べない、それだけの話である。
※とはいうが、最近のコンビニ・スーパー業界の売り込みの仕方は若干引いている。
あいつらあの人たち、「食べないんですかー?みんな食べてますよ?伝統ですよー?」みたいな感じで宣伝してるから、これはまさしく『押し付け』になるのではないかと推量。まあ売れればいいんだろうな。
ノルマ事件
そんな中起こったのが、コンビニバイトする友人の事件だ。彼は私と違う大学に通っており、大学近くのコンビニでアルバイトをしている。結構稼げるらしい。
だが、そんな彼の悩みは「ノルマがあること」らしい。どうも、クリスマスケーキやらおでんやら恵方巻やらを「一人何十個!」売らなければならない、と。
彼はノルマとして今年およそ30本売るように言われたものの、結局8本売ることができなかった。売れた約20本も、家族とか親戚とか友人に売った結果がほとんど。
頑張ったなあ。
8本どうするか?
自腹。
自腹である。
大学生アルバイトにそこまでさせるのか、と思った。話を聞く限り、もっと売れてない人もいるようで、その人も全部自腹ということだ。
「それで、その8本はどうするの?」
「どうもしないよ、食いきれないから帰って捨てる」
「そっか……」
酷い話だ。
確かに私は先ほどこう言った。
「文化や価値観の形成には多く商業主義が絡んでおり、安易に否定することはできない」と。
だが、それとこれとは別だ。その商業主義のせいで、売れればいいやという考えのせいで(恐らく)たくさんのアルバイターたちが苦しんでいるのだろう。
もしこういう無理な売り方を続けるなら、恵方巻という文化に未来はないかもしれない。
無理なノルマの押し付け、自腹切り、大量廃棄の現実を見るに、コンビニ・スーパー業界も闇が深いな、と思わされた事件であった。
皆さんは、恵方巻食べましたか?