レッツ、正月休み!
おさっぴろでぇす。
さてもうすぐ春節だ。
春節を知らない方のために書くと、つまり中国のお正月休みだ。旧正月と言った方がわかりやすいかもね。ワタクシはかつて中国に駐在していた。当面あの国に行く予定はないが、この時期になるといろいろな事を思い出す。今回はその時の事を書いてみたい。
(ビジネス上の困った話も出てきますが、あくまでワタクシ個人の思い出話です。中国の人を悪く言うような意図はありません。念のため・・・)
中国は先払いが基本
中国とビジネスをする場合、最初に金を払うのが筋だ。
日本のビジネスに慣れているとすごく理不尽に感じるが、日本のような納品後の支払いは一切ない。先に払わねば仕事をしてもらえないのだ。しかしここが大きなポイントで、金を払ってしまったが最後、とにかく言う事を聞かない工場が多かった。
それも最初に決めた仕様を平気で変えたがる、納期を守らない、なんてのはザラだった。
このあたりの事は、ネット検索でもたくさん出てくるし、中には悲惨な話もある。ワタクシが駐在しているときも、3,000万円ほど騙し取られた独立事業主の日本人が居た。
しかし悲惨な話はここでは置いといて、ワタクシがそういった海千山千の工場オーナーと、どのように付き合ったか?を書く。
中国語曲を覚えた
ワタクシは中国語もカタコトだったし、ゴルフも出来なかった。そこでカラオケの中国語曲をたくさん覚えた。中国のカラオケについて詳しくは端折るが、女性が付くのが向こうのカラオケだ。スナックのようなものだと思ってもらえればいいかも(厳密にはちょっと違うけど・・・w)そんな訳で接待にはよく利用された。
向こうの社長さんもいろいろな方が居る。すべてがそうではないが、たいていは勝負にアツくなるタイプが多かった。野心的で、スケベで、よく笑いバイタリティのある人が多かったと思う(←褒めていますw)
その傾向はカラオケの歌唱でも顕著だった。一応こちらは発注元、つまりお客である。これが日本だと、接待する方が先に歌って盛り上げる事が多いだろう。
しかし中国はメンツを重んじる国だったので、要求こそされないが、こちらの流儀に合わせろという雰囲気はよく感じられた。だから中国の社長は先に歌うような事はしない。しかも当然中国の曲を歌う。日本の曲を歌う社長など皆無だった。
中国のカラオケには、それなりに日本の曲も入っていた。だから当然、こちらも日本の曲を歌う事になる。しかしこれでお互いを理解するのは、正直難しい事だった。
そんな状況だったのでワタクシは考えた。
その結果相手のメンツを重んじて、中国語の曲だけを率先して歌った。それはまさに想定外であり、驚きと同時にとても喜ばれた。そしてお互いが中国語曲を歌唱する事で、距離感は一気に縮まった。これは現地でワタクシが生きていくためのノウハウのひとつだった。
酒の付き合いを断らない
またワタクシは、酒の誘いを絶対に断らなかった。
工場の社長が飲みに行こうと言えば、深夜でも土日仕事になっても必ず付いていった。それしか信用される術が無かったからだ。もちろんこれで仲良くなっても、平気で手のひらを返す社長も居た。そういう人とは結局続かなかったが、そうでない人とは信頼関係が出来た。
現在の日本では、いわゆる古臭くて実践的ではない付き合い方だと言われそうだね。しかし当時の中国ではそれが通用したのだ。
エピソード
ひとつエピソードを書く。
従業員100人くらいの、とある工場の社長と仕事をした。50歳目前の人だったが軍人のように精悍な人だった。
しかも歯に衣着せぬ人で「日本人はうわべだけでどうにも信用出来ない」と言う。どうしたら信用してもらえるか聞くと、自分の友人全員と酒が飲めるか?と言われた。ワタクシはやりましょう、と即答した。
食事のお金は全て社長が払ってくれた。まず月曜に彼は、地元の警察官を大量に連れてきた。
小さな料理店が、彼の友人である警察官でいっぱいになった。ワタクシはひるまず、警察官と一緒に白酒(バイジウ)で酔っぱらった。二件目はカラオケだったが「ポンヨウ」という親友を意味する曲を、警察官と肩を組んで歌った。
その姿はケータイで撮影されており、翌日日勤の警察官がニヤニヤしながらそれを見せてきた。どうやら合格だったようだ。
翌日火曜日も食事に付いていった。昨日よりもっと小さな六畳一間くらいの小さな店だった。
ドアを開けると大きな円卓がひとつあり、そこに数えきれないくらいの青島ビールが瓶で置いてあった。そして社長が言うには、今からくる友人とここにある酒を全部飲めば今日は終了だと言われた。よく見るとテーブルの下にも箱入りの青島があった。
この日は、地元の小さな工場の社長達がやってきた。
カラオケに行くでもなく、小さな店で円卓を囲み、食事をしながらゲームをした。そのゲームとは手のひらに隠した楊枝の本数を当てるという、実にシンプルなものだった。
しかしながらイカサマする社長ばかりで、ワタクシは負けまくった。しこたま飲まされ、その日はテーブルに突っ伏した。
翌朝ホテルで目が覚めたが、水が飲みたくて食堂に行くと、昨日の社長達が皆でおかゆを食べていた。どうやら彼らも帰れずにホテルに泊まったらしい。皆が立ち上がってワタクシを呼んだ。そして一緒におかゆを食べた。どうやらこの日も合格だったようだ。
さて水曜日は、工場のスタッフとの飲み会だ。さすがに全員ではないものの、30人くらいのスタッフとホテルの宴会場を借りての飲み会だ。
ここでワタクシは一番はじめにステージに上がらされ、歌う事になった。この時は映画「頭文字D」に主演していた、ジォウジェイルンの中国語のラップ曲を歌った。
正直早くなる部分は滅茶苦茶な歌唱だったが、どうやら根性を認めてもらったらしく大いに盛り上がった。ちなみにこの曲は今でもカラオケで歌う事がある。
▼ 歌った曲「ママの言う事を聞きなよ」というタイトル。(興味あればw)
www.youtube.com
翌日木曜日は、怪しげな仕入先の人が来て、ゲテモノ料理の店に連れていかれた。
この日の社長は酒は控えめだったが、とにかくなんでもよく食べた。ワタクシも負けずに、ハクビシンやヘビや、いろんな奇妙な生き物を食べた。・・どれも割とうまかったw
翌日金曜日は、社長と一緒にホテルの銭湯へ行き、二人並んで全身マッサージをした。その後カラオケで食事してサシ飲みをした。
この晩はじめて「ここまで付き合ったのはお前が初めてだ」と言われた。
連日の酒で、日中まるで仕事にならず、正直肉体も悲鳴を上げていた矢先だったのでうれしかった。既に限界かと思っていたが、この日もしこたま飲んだ。社長も相当酔っぱらっていた。
そして週末土曜日。この日は休みでワタクシは死んだように眠っていた。しかし昼に社長から電話があった。おいおいまだあるのかよ・・・と正直怖くなったが、逃げるわけにはいかない。
社長が迎えに来た。いつもにこやかな社長だったが、この日は何故か神妙な面持ちで「休みのところ悪いな。一緒に来てくれ」とだけ言った。
彼の車に乗る。日本嫌いと言ってたくせに、彼はアコードに乗っていた。そしてやたらスピードを出すのが好きだった。しがみつきながらたどりついた先は病院だった。
(イメージです)
部屋に案内されると、ベッドに老婆が寝ていた。
社長は言った「俺の母親だ。病気なんだが今日は具合がいい。お前の事を話したら、是非逢いたいというからさ、すまなかったな」と。
最後のこの日は、酒無しで社長とお袋さんとワタクシの三人で、一緒に遅めの昼飯を食べた。碗に盛った白米に、豆腐と野菜の炒め物という質素な食事だったが、社長もお袋さんもとてもうれしそうなのがわかった。
ワタクシは吞んでいないのに、この日飯をほおばりながら涙があふれ出た。うまく言えなかったが、認められた事が心からうれしかったのだ。
という訳で、ここまでがワタクシのエピソードだ。
この社長とはその後も数年間に渡って仕事をした。よくケンカもしたが、冒頭に書いたような裏切りは最後まで無かった。しかしその後ワタクシは駐在が終わり日本に帰国した。
結局彼とは、60歳を過ぎた時に廃業したとの連絡をもらったきりだ。
シメのひとこと
中国とのビジネスはいろいろな事がある。
ワタクシのは、あくまでもひとつのエピソードだが、こんな事もあるという事をシェアしていただけたらうれしい。
ヲサーンの昔話にお付き合いいただいてありがとう。
という訳で今回はここまで。
皆様、良い中国ビジネスををを!