彼の両親も、それぞれ23区ど真ん中にある一軒家で育った。
夫の親族のほとんどは都内に家があり、大半は大学出で、半数が東大か海外の大学を卒業している。
母方のひいおじいさんは大学教授、おじいさんは会社経営者で、父親は超大企業に勤めていた。父方の祖父は医者だ。
ど都心にある両親の実家はそれぞれ部屋数が10以上あり、庭は子供が鬼ごっこをできる広さがある。
ここまで聞くと、小町によくあるような夫自慢に思えるかもしれない。
夫は都内の私立の中高一貫校に進学し、専門学校(夫曰く、名前を書いたら入れるそうだ)を卒業してエンジニアになった。
年収は同世代の中央値のちょい上くらいで、1千万円を超えることは一生ないだろう。
一方私は、中堅地方都市にあるアパートで育った。うちはどちらかといえば貧乏寄りで、住んでいるアパートを同級生に見られるのが嫌で嫌で仕方なかった。
家は6人で暮らすには明らかに狭く、自分の部屋がある友人がとても羨ましかった覚えがある。
奨学金と親族からお金を借りて学費をやりくりしたのだが、曲がりなりにも大学に娘を通わせられたのだから、そこまで貧乏というわけではなかったと思う。
そんな私にとって、夫は今まで出会った人の中で最も育ちがいい人間だ。
夫は乱暴な言葉を決して使わない。いつも柔和で物腰も柔らかく、大きな声を出しているところも見たことがない。
躾が厳しいお祖母様が、ジェントルマンとしてのマナーや所作を教え込んだらしい。
夫は怒らず、驕らず、感情的にもならない。女性を見下すことも絶対にしない。
対して私の言葉遣いは乱暴だ。仕事中は丁寧に話すことを心がけているが、すぐ地金が出てしまう。
ホテルで食事をしたことも、きちんとしたフランス料理も食べたこともないからマナーもわからない。少ないお小遣いは本に費やしたため、趣味らしい趣味もない。
夫との育ちの違いを最も感じたのは、箸づかいだ。私は箸づかいがとても悪い。練習してもうまく使えるようにならなかった。
私とは何もかも違う人間だ。
夫に貧困の話をすると、明らかにピンと来ていないのがわかる。
驚いたのは、「うち(私と夫)は、中流の下くらいだよねえ」と言ったことだ。
うちは共働きでそれぞれ正職員として勤めていて、都内のマンションにすんでいる。
すくなくとも私の実家よりはるかに余裕がある暮らしをしている。
「じゃあ、君の実家はどのあたりなの?」ときくと、「僕の実家がちょうど真ん中(の生活水準)だと思う」と返され、二の句が継げなかった。
思い出したのは、義母との会話だ。義母の庭は定期的に職人に手入れしてもらっており、色とりどりの季節の花や木が植わっていて、とても見応えがある。
「こんな素晴らしい庭は見たことがない」と伝えると、「そんな立派なものじゃないわ。近所の方や、知り合いの家の方がよっぽどすごいわよ」と家族一同に全力で否定された。
その時は、「謙遜してるんだなあ」と思ったが、今思い返すと、あれは本気で言っていたのだろう。
私にとって一番凄い庭は夫の実家のものだが、夫の家族はもっと広くてもっと手入れされている庭をいくつも知っているのだろう。
私にとって一番凄い家は夫の実家だが、夫の家族はもっとお金持ちでもっと格式がある家をいくつも知っているのだろう。
夫にとっての「貧困」は、テレビで写し出されるアフリカの現状のようなものなのかもしれない。
存在は知っているが、リアリティを感じないし、遠すぎて自分の家と比較をしたりしない。
夫が大学に行かなかった理由の一つは、「行く必要がなかった」からではないか。
私は狭い家を抜け出し、自分の部屋で生きて行くためには絶対に大学に行く必要があった。
すくなくとも、18歳の私はそう思っていた。
しかし、夫にはそう言った飢餓感や、行かなければならない必然性がなかったのではないだろうか。
大学に行くと、様々な人がいた。
東京で庭で駆けずり回れるクラスの土地を所有している人間は流石にごくわずかだぞ。足立区とか北区とか練馬区とかならともかく、あんまり盛るなよ。
社会学でハビトゥスっていわれるやつだよね。子供のころの、周囲の環境や親による育ちの良さ。