平和教育は無意味?
今日もやっぱり過激な記事ですよ。はい。だってつまらんものw平和な記事ばっか書いてても。
ちなみに炎上を防ぎたい方、こちらをお読みください。
でも、自分の意見を言うためにこれを始めたんだから、言わせてもらいますね。
学校の平和教育は無駄である。
以上、解散!
いやいや、待って待って。解散しないでくださいよ。
まだ終わってなーい!!
ちゃんとこれから述べてくんですからね、叩くのはそれからでお願いしますよ。
「平和教育」とは
人間の生命の尊厳を否定する一切の暴力に反対し,平和を愛し平和社会の実現に貢献しようとする人間を育てる教育。これまで,平和教育は,原爆教育,反戦教育という側面を強調するものであった。(百科事典マイペディアより)
うん、これです。皆さんも学校でやってきたんじゃないですか。戦争についてのビデオとかを見て、その感想を書かされたり、戦争を経験した人がやってきて、結局感想を書かされたり、戦争についての授業を受けて、その感想以下略
私も受けてきましたよ、ええ。小学校から高校まで、計12年。
友人に原爆被爆県の方がいまして、彼自身は被爆者の子孫ではないんですが、原爆投下の日は学校があって、「原爆に関するビデオ」を見るらしいですよ。それも毎年。
下手すりゃ被ってたそうです。『あれ、これ前も見たぞ?』なんて。
で、彼にどう思ったか聞いたところ、
「何も感じてないよ。『戦争は良くないと思いました』って書いて毎年終わり」
…………。
失敗してんじゃねーか!文科省!
私も毎年のように平和教育の授業を受けてきたのですが、正直言って眠いんですよ、アレ。そりゃあ確かに彼の言うように、毎年同じようなコトばかり聞かされてりゃ、眠くなりますわ。あ、授業中に寝るとはけしからん!とかいう叩きはやめてください。
そんなこと言い出すと、授業中に一度も寝たことがないキリスト様に登場願わねばならなくなりますので。
長崎の友人も広島の友人も全員、
「アレは意味ないよね」
なんて言ってますし、これはひどいと言わざるをえない。
なんでこんな風になっちゃってるか?というのを考えてみました。
客観的に見てない
結局、戦争ってのは国家と国家による「兵士をコマにした争い事」なんですね。人間の歴史の中で、戦争が一度も起こらなかった時期、ってのは本当に短くて、つくづく人間ってのは愚かな生き物なんだなと思い知らされます。
で、歴史を学ぶと本当に面白いのがココ。
「どうして戦争が起こったのか?どうして〇〇が負けたのか?」
という流れを知れるところ。当然これらは客観的な資料、一次資料をもとに考察されてますから、歴史の教科書を読むだけでもためになります。
これを発展させると、
「どうして原爆が落ちたのか?どうして特攻隊が生まれたのか?」
という、より詳細的な考察も可能になります。
もちろん、今知られている真実が真実かどうかはわかりませんが、考察することに意味があるはずです。
でも、私が受けてきた平和教育の中でも、友人のそれの中でも、そういう「事実に基づく考察のための授業」がされてないんですね。
ただ「戦争が悲惨だった」という感想で終わってしまうようなものばかり。毎年おんなじビデオ見てるから、同じ感想しか出ません。
ヒトラーが大きな過ちを犯したドイツですが、ドイツではちゃんと考察を授業中にするらしいです。ドイツ人の知り合いの子が言ってました。池上彰さんの番組でもそう解説されてました。
これが日本との違いですよ。
「悲惨」という主観的なものだけに訴えかける授業と、「戦争を起こさないためにはどうしたらよいか」を客観的に考える授業。
どっちが役に立ちます?自明ですよね。
まあ、歴史の授業でやれよ!なんて指摘もありそうですね。
それなら、後述する「悲惨さ」を今までのように平和教育で教えて、歴史の授業でこっちを学ぶとか、やり口はいろいろあるはずです。
あのねえ。
悲惨だから戦争やめよう!なんて言うほど、世の中は単純じゃないんですよ。なにごとにも原因があって、それを探らない限り問題はなくならない。
ましてや戦争ですよ。何人が関わってると思ってるんですか。
さてそれでは、生徒をそういう学習への意欲へ駆り立てるためには、一体何が必要なのでしょうか。
それが「悲惨さ」だと思います。
悲惨だからやめよう!ってのはさすがに短絡的。でも、悲惨だから戦争について考えよう!と生徒が考えるきっかけになるのなら、悲惨さを伝える授業だって決して無駄じゃありません。
ここから2つ目の理由が出てきます。
表面的にしか触れてない
事実と別に、戦争を語る上で避けられないのは「悲惨さ」です。でも、平和教育で悲惨さをちゃんと表したものに触れられていないと思います。
これは長崎の友人も広島の友人も言っていました。
とにかく「残酷なもの」と「教育上の衛生」は相性が悪い。教育上見せたらいけないものが映り込んだ写真なんかがいっぱいあって、本当はそれを見せたいんだろうけど、生徒の精神の健全さを優先させなきゃならんので無理だ、ということです。
残酷という理由で見せたがらない親も増えてきているでしょう。
ですが、本当に子どもたちに悲惨さを教えたいなら、純化された残酷さ、つまり「事実」を見せる必要がある、と思います。
これは何も戦争のことだけではない。交通事故だって同じですよ。
交通事故のことについてどれだけ教習所で習ったところで、実際にその悲惨さについては我々は「知らない」わけです。いや、知識としては知ってるけど、体験としては知らない状態にある。せいぜい「血がいっぱい飛んでるんだろうな」ぐらい。
見たことあります?残酷ですよ、すごいですよ。いろいろ、散ってますよ。
私、見たことありますけど、すごいです。筆舌に尽くしがたい。被害者には申し訳ないけど。
それが交通事故の事実です。本人を確認できなくなるほど、すごいことになるんですよ。「頭を強く打ち」「全身を強く打ち」は本当にいい表現です。詳しく書いちゃうとテレビでは絶対放送できませんので。
はてなブログは青少年でも読めるらしいので、これ以上詳細に書くのはやめておきますが、それはそれはすごいものです。何なら目の前の箱か機械でこう調べましょう。
「交通事故 画像」
ってね。そしたらこう思いますよ。
「怖い……乱暴な運転はやめよう」って。
少なくとも私はそう思いました。もしかしたら運転自体が怖くなる人もいるかもしれない。
※本当に残酷なのもあるので、自己責任でお願いしますね。
だから、教習所で一枚でもこういう画像を見れば、乱暴な運転とか、飲酒運転、かなり減ると思うんですよ。人間なんて弱っちい生き物で、心の薄皮一枚をはがしたところにある「恐怖」をつつけば、簡単に行動できなくなりますから。
法律なんかよりよっぽど歯止めになると思いますよ。
残念ながら、戦争と交通事故では重みが違うので、戦争に「悲惨だからやめよう理論」は通用しませんが。
事実が示す残酷さから目を背けるのは簡単です。配慮だ何だ言って。
でも、それこそが
「事実」であり
「過去」です。
そして本来、一番伝えられなければならないことのはず。
そもそも戦争というのは残酷なものだ。
それを言葉と変な絵だけで伝えて、何の意味があるってんですか。そうやって言葉を尽くさなくたって、生々しい写真があるじゃないですか。遺物があるじゃないですか。
話は変わりますが。
私は曾祖父から戦争の話をよく聞いていました。
彼は東南アジアに遠征し、乱闘の中「自分が撃った弾が相手の兵士のヘルメットを貫通した」のをはっきり見ていました。「ミソ」が飛び散っていたらしいです。自分が撃たれたかと思ったら数十センチ左の友人だったなんて話も聞きました。
赤痢にかかりました。マラリアを持って帰ってきました。銃創を右腕に作りながら、数十キロ線路をたどって歩いて帰ってきました。
全て残酷でした。夜に眠れなくなるほど。
彼は人を殺めることの意味も、その罪の大きさもよく知っていました。その話を聞いた私も、戦争の意味とか、当時の若者の考え方について、深く考えるようになりました。
なぜなら、そういう話は「事実」であり、変えられない「過去」だから。
実際に目の前のこのおじいちゃんが、人を殺めたなどということを私は信じられませんでした。いや、今でも「それが嘘であったらいいのに」なんて思います。でも、変えられないんです。
だからこそ我々は向き合っていかなければならない。
元・民間人と、元・民間人が、命を懸けて戦わされていた時代があったということ。それでたくさんの人が死んだこと。苦しんだこと。
二度と、そういう時代を作っちゃいけないということ。
もちろん、向き合うときには、「悲惨だからやめよう!」なんて主張じゃダメですね。「こんなに悲惨な戦争が起こらないようにするにはどうしたらいいか?」という視点で考えることが大事です。そのための事実資料なんですから。
まとめ
「戦争はなぜ起きてしまったのか?」を考察させる授業を取り入れてもいいと思うよ。
そのために、(可能なら)まず「戦争がいかに悲惨なのか」を現物で伝え、子どもたちに意欲を与えたらいいと思うよ。
もちろんこの主張が通ることはまずありません。絶対ないです。
そんな残酷なものを見て生徒をおかしくさせるくらいなら、最初から平和教育なんてやめろよ!なんて声も上がると思います。上がります。
じゃあ結局、我々はどういう方法で平和を伝えればいいのか。
どうして平和教育が必要なのか。
平和教育が政治的に偏らないにはどうしたらよいか。
それらこそが本当に難しい問題です。
少なくとも、今のままでは平和教育は功を奏しているとは言えない、ということはお伝えしておきます。
10年後も、私たちのように寝てしまう子がたくさんいるのか、それとも、子どもたちが平和について真摯に考えているのか、楽しみですね。