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キャリアコラム

出世の法則 明るい愛嬌のあるヤツが勝つ

 

2017/1/15

PIXTA

 出世する人間には法則がある――。40年にわたり経済記者として、企業経営者や官僚を取材してきた岸宣仁氏。組織の頂点に立つ人には「いろいろな意味で、傑物が多かった」と語る。おのずと見えてきたという偉くなる人のパターンをまとめた『出世の法則』(文芸春秋)を上梓(じょうし)したばかりの岸氏に“出世の極意”を聞いた。

■すしを食べるときに好物を最初に食べるか、最後に残すか

岸宣仁氏

 ある銀行の幹部から「すしを食べるときに好物から食べるのか、最後まで残すのかを観察すれば、その人間の器量が見える」と言われたことがあります。好きなものを最後まで残している人は器が小さいというか、勝負ができない人だ、ということのようでした。

 「なぜそうなんだろう」と疑問に思い、ことあるごとにいろいろな人に聞いて回っていると、ある人が例として政治家の小沢一郎氏をあげてくれました。ひところの小沢氏は飛ぶ鳥を落とす勢いで、「明日にも総理か」というときがありました。ただ、彼はそれを受けませんでした。今日の彼を見ると雲泥の差です。やはりタイミングというものがあって、それをいかに逃さずつかむことができるか。それを「すしの例え」ではいっているのかなと思います。

■愛嬌はあるか

取材メモ1500枚の集大成という

 何年か悩んだ末、新聞社を辞めることを決めたときのことです。親しくしていたホンダの広報部長に打ち明けると、「おやじさん(創業者の本田宗一郎氏)が新車発表会に来るから会わせてあげるよ」と言ってくれました。

 当日、発表会が始まる前に会場入りした宗一郎氏は、おぼつかない足取りながら新車の周りを2、3周しました。その姿がかわいいというか、愛嬌(あいきょう)があるというか。その時のことです。若い女性技術者が突然、宗一郎氏に握手を求めたのです。すると宗一郎氏は顔をほころばせ、「おれ負けちゃうな」と一言発しました。何か気恥ずかしそうというか、あの表情は今でも忘れられません。宗一郎氏が亡くなる2カ月前のことでした。

 「経営の神様」といわれた松下幸之助氏は人を評価する際、「運と愛嬌」を見ていたといいます。宗一郎氏はまさに愛嬌ある名経営者でした。

 ホンダの副社長だった入交昭一郎氏や、後に社長になる吉野浩行氏に聞くと、宗一郎氏は怒るときは本気で怒り、トンカチを振り回して追っかけてきたこともあったそうです。ところが、翌朝になるとニコニコして「お、元気でやっとるか」と。こうしたギャップが魅力でもあったのでしょうね。

■2人のドンから投げかけられた同じ言葉

 記者時代に取材先から投げかけられたひと言で、自分自身の人生でかなり大きなものとして残っている言葉があります。「人には明るさが大事」というものです。

 経済部で最初に任された東京証券取引所の記者クラブから、大蔵省(現財務省)担当に変わったときのことです。野村証券の当時の社長、田淵節也氏に異動のあいさつに行ったら、「おまえは、よっぽど優秀か、よっぽど駄目かのどっちかだな」と言われました。真意をつかみかねていると、「人間は最後、明るさが大事だからな。明るさを失わずに、しっかりやれよ」と励まされました。

 大蔵省の記者クラブに異動して、当時の官房長で後に事務次官となる山口光秀氏の夜回り(夜間に予告なく取材先を訪問する取材手法)に初めて成功したときのことです。省内でも「最も口の堅い人物」として知られ、役所では相手を小ばかにしたような、人を食ったような態度の人でしたが、午前0時すぎにもかかわらず、自宅に上げてくれて、ニコニコと丁重にもてなしてくれました。ふと気がつくと午前1時をすぎていたので、慌てて辞そうとすると、玄関まで送ってきてくれて、こう言ったのです。「人は、明るいっていうことが大事ですからね。その明るさを失わずに、頑張って下さい。いつでも歓迎しますよ」。実際にはネタはくれませんでしたけどね(笑)。

 わずか2週間の間に『証券業界のドン』と『大蔵省のドン』に、ほんとうに同じ言葉を投げかけられ、非常に印象的な出来事でした。

 「明るさ」って何なんでしょうね。ある有力経済人がこう説明してくれました。「明るさとは入場券」だと。「人と人が相対したとき、出会いの入り口で、信頼できるかどうかは明るさで見定められる」というんですね。「ただし、玄関に入ってもさらに奥まで通してもらえるかは、その人の器量次第だけど」。なるほど、そういうことかと目を開かれました。

■明るいヤツが勝つ

「トップに立つ人はみな明るい」

 振り返ってみると、やはりトップに立つ人はみな明るいですね。

 なかでも記憶に残るのはトヨタ自動車の社長を務めた奥田碩氏です。トヨタは長く取材してきましたが官僚的な印象です。質問しても当たり前の答えしか返ってきませんし。でも奥田氏は違いました。「なんでこんなことを言っちゃうの」みたいな。しかも明るくガハハと笑うし。私の知っているトヨタの風土とはずいぶん違っているので、社長になれるとは思っていませんでした。それが、トヨタにとって『新しい血』として、逆にフィットしたのでしょうね。

 とりわけ長く取材した大蔵省でも、偉くなった人に暗い人や憂鬱そうな人はゼロでした。大蔵省の仕事は他省庁を相手に、予算要求を「駄目です、無理です」と切ることです。課長級の主計官が相手とするのは次長クラス、課長補佐級の主査だと課長以上。同じ官僚の先輩を相手にするわけです。双方とも真剣勝負ですから、器の大きさとか、明るさとか、何かを持っていなければ生き残れません。

 明るさは生まれ持ってのものなのでしょうが、どこか意識して、自分で変えられるものはあるのかな、と思います。例えば、部下を叱るにしても言い方があります。ねちねちと怒っても反発を買うだけでしょう。相手に少し救いを与えることができれば、印象は大きく変わるはずです。明るさというのは、相手のことをどれだけ考えられるか、ということなのかもしれません。

■本を読め 散歩に励め

 出世は読書量と比例すると思います。結局のところ、人との会話とか付き合いで、問われるのは人としての深みというか、面白みというかいうものであって、頭の良さだけでは世の中は渡っていけないように思えます。それを裏打ちするものが読書量ではないでしょうか。

 ある先輩記者は「文章力を規定するのは、幼児期の読書量と大人の会話にどれだけ参加したかだ」と言っていました。たしかに、読書量が多い人は話がうまいし、引き付けられます。わたしがお会いしたなかで一番は横浜市長、日本社会党委員長などを務めた飛鳥田一雄氏です。公用車には車内のあちこちに本が積んでありました。B級戦犯を弁護して助けた話やパリコミューンの話など、話題も豊富で話術にも優れ、報道各社は市長との懇談をいつも楽しみにしていたものです。

 取材したトップには散歩派が数多くいました。

「トップに極端に太っている人はいなかった」

 野村証券の田淵氏はタウンウオッチングとしての散歩を心がけていました。ある日の夜回りでのことです。田淵氏が「おまえ、散歩はしてるか」と尋ねてきました。そして「原宿に行って、竹の子族というのを見に行ってきた。おまえも、一度見てきたらいい」と。「証券界のドンと呼ばれるまでになっても、世の中の動きを感度高く観察しているのか」と驚きでした。

 健康のために熱心に散歩に努める方もいました。日本長期信用銀行(現新生銀行)の取締役やソフト化経済センター理事長を務めた評論家の日下公人氏は、当時長銀があった東京・大手町から日比谷までの地下通路1.8キロメートルを毎日のコースにしていました。やはり自制心なのでしょうか、トップに立つ人に極端な肥満の人はいなかったように思えます。

 印象深いのは旭化成工業(現旭化成)の宮崎輝氏です。52歳で社長に就任、82歳で亡くなるまで、30年間にわたり経営の第一線に立ち続けてきた経営者です。宮崎氏は帰宅する際、会社を車で出るものの、途中で降りて革靴をズック靴に履き替え、自宅まで5、6キロを歩いていました。同行して質問を投げかけても無言。最後には「この散歩は極めて大事な時間なんだ。歩いているとよく考えがまとまるし、経営判断はここでしている。邪魔されてまったく迷惑千万だ」と怒られました。宮崎氏は散歩を考える時間に使っていたのです。

■ギャップのあるヤツが偉くなる

 新聞記者時代、特ダネを求めて毎晩のように夜回りをしていました。取材もさることながら、組織で昼間に見せる顔と、夜に自宅で見せる顔との大きなギャップにとても興味を引かれました。帰宅後に見せる表情や態度から、本性というかその人が持っている器の大きさが見えてくるのです。この人こんな一面があったのかと驚かされたこともたびたびです。振り返ってみると、そのギャップの大きい人の方が、偉くなっているような気がします。

岸宣仁氏(きし・のぶひと)
1949年埼玉県生まれ。73年東京外大卒、読売新聞社入社。横浜支局を経て経済部に勤務し、大蔵省や日銀、証券、民間企業などを担当した。91年退社し、経済ジャーナリストに。日本大学大学院知的財産研究科講師。主な著書に『財務官僚の出世と人事』など。

(平片均也)

「キャリアコラム」は随時掲載です。

出世の法則 財界・官界のトップから日銀総裁まで

著者 : 岸 宣仁
出版 : 文藝春秋
価格 : 1,296円 (税込み)

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