「もう1度空を飛びたい!」
長崎の航空会社で訓練に励む宮崎繁一さん、65歳。ジェット機などに40年間乗ってきた大ベテランのパイロットですが、プロペラ機を操縦できるようになるため、連日、幅広い訓練メニューをこなしています。パイロットの世界では、操縦する機種が変わると新たに資格を取り直す必要があるためで、65歳にして、いわば“新人”のパイロットとなったのです。
宮崎さんはもともと、東京の大手航空会社で国際線の機長などを任され、パイロットを指導する訓練の責任者も務めてきました。拉致被害者の家族らが帰国する際の特別便の運航も任されるなど、どのような状況にも冷静に対応できる技術と判断力には定評があり、一目置かれるパイロットでした。
去年7月に退職した際、多くの会社から顧問として助言してほしいなどと再就職の誘いを受けましたが、宮崎さんがこだわったのは“現場”でした。長崎の離島を結んで飛ぶ、プロペラ機2機の小さな航空会社を選んだのです。宮崎さんは、「パイロットとしては、空を飛ぶことのうれしさ、楽しさ、これは新たな挑戦をすることの大きな要素の一つです。今まで乗っていた機種と大きく違うので、心機一転、頑張ろうという気になっています」と話しています。
進む航空業界の人手不足
宮崎さんの再挑戦を可能にしたのは、パイロットの上限年齢の引き上げです。その背景には、航空業界で進む人手不足があります。LCC=格安航空会社の急成長や、世界的な航空需要の高まりでパイロットの養成が追いつかず、特に地方の会社で人材の確保が困難になっているのです。
このため、国土交通省は、おととし、旅客機のパイロットの上限年齢を68歳未満に引き上げることを決定。世界各国が加盟するICAO=国際民間航空機関がパイロットの上限年齢を65歳未満とする中で、この国際標準を3歳上回る日本独自の対応をとったのです。
これまで、ギリギリの人数でやりくりをしてきた会社側は、宮崎さんのようなベテランの起用に期待を寄せています。宮崎さんを招いた長崎の航空会社、オリエンタルエアブリッジの小澤美良社長は、「大手航空会社やLCCの発展のかげで、われわれのような小さな航空会社は必然的にパイロットを集めるのが苦しくなります。即戦力として働ける宮崎さんは、われわれにとって非常にありがたい存在です」と話していました。
“絶対安全”の航空業界
しかし、「安全が絶対条件」の航空の世界で、65歳での再挑戦は容易ではありません。1月下旬に行われる資格取得の試験に向けて、宮崎さんはまず、アメリカにわたって2か月間、シミュレーターによる訓練を重ねました。そして、帰国してからは、現役の機長の付き添いのもと実際に機体を飛ばすなど操縦感覚を身につけるための練習を繰り返しています。しかし、この練習は2機しかない機体をやりくりして運航の合間に行わなければならないため、時間がどうしても限られます。そこで活躍しているのが紙製のシミュレーター、通称「紙レーター」です。
操縦室の様子を紙のパネルに描いて再現したもので、手作り感が漂いますが、計器やスイッチの位置などを覚えるにはちょうどよい設備で、大手の航空会社でも使うといいます。宮崎さんは「紙レーター」も活用してジェット機とは違うプロペラ機の操縦感覚を体に覚え込ませようとしています。
健康面でも厳しいチェック
さらに、宮崎さんは操縦の技術だけでなく、健康面にも気を配っています。65歳以上のパイロットは、健康面のチェックがより厳格になるからで、通常、年に1回の身体検査が半年ごとに義務づけられるほか、検査項目も追加され、これらをクリアしなければ乗務を続けることはできません。宮崎さんは2日に1度のウォーキングを続けるなど、これまで以上に体調管理に努めているということです。 技術面でも健康面でも努力を必要とする65歳でのパイロット再挑戦。決して楽ではありませんが、宮崎さんはそうした苦労を上回る魅力を強く感じています。「健康面も含めて、あるいは技量面も含めて、ある一定の基準をクリアしていかないと、やっぱりこの職種はやっていけない。苦労なんですけれども、楽しさもあり、パイロットとして空を飛べるという魅力は何ものにも代えがたいですね」と話しています。
色あせない“現場への思い”
国土交通省のまとめでは、日本の航空業界は、現在の主力である40代50代のパイロットが大量退職を迎える2030年ごろに、深刻なパイロット不足に陥ると推計されています。運航を支える人材の「質」と「量」の両立という難しい舵取りを迫られる航空業界で、世界に先駆けて導入された「65歳以上のパイロット」。 年齢の壁を乗り越えて再び空を目指す宮崎さんの取材を通じて、高齢化社会の新たな「担い手」の原動力となっているのは、色あせることのない「現場への思い」なのだと感じさせられました。
- 社会部
- 西牟田慧 記者