CDが最も売れていた時代」に起きた「フェス」という地殻変動

今に至る「ライブの時代」「フェスの時代」という地殻変動。その端緒になったのは、いつ頃のことだったのでしょうか?
音楽ジャーナリスト・柴那典さんがその実情と未来への指針を解き明かす話題書『ヒットの崩壊』(講談社現代新書)。その内容を特別掲載します(毎週火曜・木曜更新)。

前代未聞の「事件」がもたらしたもの

 今に至る「ライブの時代」「フェスの時代」の端緒になったのは、いつ頃のことだったのか。地殻変動はいつ頃にあったのか。

 それは皮肉にも「CDが最も売れていた時代」が終わりを告げる1997年から2000年頃にかけてのことだった。

 日本のフェス文化の端緒になったのが、1997年のフジロック・フェスティバルの初開催だ。それ以前も大規模な野外イベントはあったが、それらの多くは、野外にずらりとパイプ椅子が並べてあったり、ブロック分けが徹底されていたりするなど、実質的にはあくまで管理された空間で行われる「野外コンサート」だった。

 数万人がだだっ広い野原にオールスタンディング形式で集まるというのは、当時の常識の範囲外だった。フジロックはこうした前提を全部ひっくり返し、結果的に台風に見舞われて中止を余儀なくされたという、一つの「事件」としてスタートしたフェスだった。

(PHOTO: Getty Images)

 同じ1997年には、当時まだインディーズ・バンドだったハイ・スタンダードが主催する「AIR JAM」が初開催されている。これもオールスタンディング形式だ。バンドがDIYで企画した野外フェスという意味でも、パンクやメロコアのカルチャーを体現したフェスという意味でも、明らかにそれ以前の常識を覆すものだった。

 1998年には、初年度から開催地を変更したフジロックと、2ステージ制に規模を拡大したAIR JAMが、共に東京・豊洲に会場を移して2年目のフェスを開催した。フジロックは2日で7万人、AIR JAMは1日で3万人を動員。新聞、テレビや週刊誌などのメディアもこの盛況を取り上げた。

 その1998年のフジロックに出演し、野外フェスに慣れていなかったオーディエンスが激しいモッシュに巻き込まれて演奏の中断を余儀なくされるなど大きな反響を巻き起こしたロックバンドがミッシェル・ガン・エレファントだ。彼らが翌1999年1月に行った横浜アリーナ公演も一つのターニングポイントになった。チケットは1万5000枚が即日完売。このライブもオールスタンディング形式で行われた。

 今となってはこの感覚は伝わらないかもしれないが、当時、アリーナ規模でオールスタンディング形式の公演が行われるのは前代未聞のことだった。数百人規模の小さなライブハウスで行われる「ライブ」と、全席指定のホールやアリーナで行われる「コンサート」は、まったくの別物の公演として扱われていた。

 その壁を破ったのがミッシェル・ガン・エレファントだった。アリーナ中で汗だくのファンがもみくちゃになる光景は、当時としては非常に画期的な「事件」だった。

 また、1999年夏には幕張メッセの特設会場にて「GLAY EXPO ’99SURVIVAL」が開催されている。数々の記録的なCDセールスを打ちたてトップバンドとして君臨していたGLAYが、バンドの10周年を記念して行った野外ライブだ。

 20万人を動員したこのライブは、2016年現在でも日本の音楽史における最高動員記録となっている。規格外のスケールとなった会場やステージの規模も含め、やはりこれも前代未聞の「事件」として報じられた。

 この時期に開催されたフェスやライブは、音楽を生で体験することに関しての鮮やかな価値観の転換を人々にもたらした。数万人のエネルギーが渦巻くような「場」が生まれたことで、観客にとっても、主催者側にとっても、音楽イベントのそれまでのフォーマットと常識が塗り替わった。

 CDセールスの凋落が始まった1998年前後は、ライブにまつわる今では当たり前になった数々の新しい価値観が生まれた期間でもあったのである。

フェスは夏のレジャーの鉄板になった

 日本のフェス文化はその後も拡大を続けた。

 2000年には東京・大阪で開催される都市型フェスのサマーソニック、邦楽主体のロック・イン・ジャパン・フェスティバルがスタートし、前述のフジロック、1999年にスタートした北海道のライジング・サン・ロック・フェスティバルと共に「四大フェス」として定着。音楽ファンの年中行事となっていく。

 中でも拡大路線を進んだのがロック・イン・ジャパン・フェスだ。00年代中盤には、Mr.Childrenやサザンオールスターズや矢沢永吉など、それまでフェスに出演しなかった大物アーティストをヘッドライナーに招聘し、一般層にフェスの認知を広げる大きなきっかけを作った。

 洋楽主体のサマーソニックも00年代後半からはロックバンドだけでなくビヨンセなど海外のメインストリーム級のアーティストをヘッドライナーに据えるようになる。それ以前は「ロックフェス」と称されていたこれらの野外フェスは、出演陣の幅の広がりもあって、シンプルに「夏フェス」と称されるようになった。

 そして10年代に入ると、音楽シーン全体に対するフェスの影響力がさらに増す。

 それまでフェスには無縁だった多数の女性アイドルグループが出演するようになったのも大きな変化だった。2012年にはももいろクローバーZがサマーソニックに出演して大きな話題を巻き起こし、2013年には2008年の初出場から徐々にステップアップしていったPerfumeがロック・イン・ジャパン・フェスのヘッドライナーをつとめた。
 2014年のTOKIO、2016年の和田アキ子など、サマーソニックにはいわゆる芸能界を主戦場に活躍してきたアイドルグループや大物歌手も出演するようになった。

 こうして00年代後半から10年代にかけて、フェスはコアな音楽ファン以外にも知られるようになり、花火大会や海水浴に並ぶ夏のレジャーとして広がっていった。

次回につづく!

2016年はなぜ「時代の大転換点」だったのか?

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ヒットの崩壊

柴那典

「心のベストテン」でもおなじみ音楽ジャーナリスト・柴那典さん。新刊『ヒットの崩壊』では、アーティスト、プロデューサー、ヒットチャート、レーベル、プロダクション、テレビ、カラオケ……あらゆる角度から「激変する音楽業界」と「新しいヒットの...もっと読む

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コメント

hddz 字数の関係もあるだろうが、このまとめ方は雑すぎないか? > 約1時間前 replyretweetfavorite

DJken_ken その前にRAINBOW2000やEquinoxがあったはず。まぁジャンルが違うけどね。- 約2時間前 replyretweetfavorite

mgcnbba モノ消費よりコト消費の時代ということをフェスを通して肌で感じるし、音楽に限らずオタク現場でも同じ流れができているよなぁと 約6時間前 replyretweetfavorite