2017年1月4日14時17分
オリンピックで沸き立つ2020年、私たちは誰と、どこで、どう生きているのだろう。漠たる不安とふくらむ希望。新しい生き方を描こうとする人たちが歩む先を訪ねていきたい。
柔らかな冬の光に包まれた井の頭公園に、大きな影と小さな影が重なる。
「ママー、早く来て」
丸山真由子さん(32)は、走る長男(3)の後を追う。しっくり来ない気持ちはぐっとのみ込む。
昨年の夏、一度だけ「パパだよ」と言ってみた。「女ではないのに」という葛藤から、口にした。でも、まっすぐ目を見つめ「違うよ。ママでしょ」と言う。
「産んだのは私。息子にとっては母親。それはそのとおり。性別にとらわれないで、ありのままの自分が向き合えばいい」
いまはそう言える。
◆男でも女でもなく「らしく」生きる
丸山さんは「Xジェンダー」といわれる、男でも女でもない心を持つひとだ。
福岡県で生まれた。ひとり娘として可愛がられた。小学校でいじめられた時「優しく我慢強く」という母の教えを意識して「やめて」と言えなかった。家で父が「女の人がいれるお茶はおいしい」と話すのを耳にした。そんなものかな、と思っていた。
お茶の水女子大大学院修了後、コンサルティング会社に就職した。男性上司は日々「色気を出せ」「銀座で買った服を着たら」と言った。同僚は反論しない。
「世の女性たちはみんな、こんな状況に耐えてきたのかもしれない」。言われるがままスカートをはき、長い茶髪を巻いた。だが、強い違和感から心が苦しくなって、退社した。
しばらくして、知人の紹介で出会った会社員の男性(41)と結婚した。
気づいたきっかけは、4年前の妊娠だった。妊娠6カ月ごろ、膨らみ始めたおなかを見た知人に「母性が出てきた?」と聞かれても、意味を理解できなかった。
無事、男の子を産んだ後も違和感は続く。
熟睡する夫の隣で、目をこすりながら授乳する長い夜。長男は泣きながら、大きく張った胸にすがりつく。「胸に哺乳瓶がついているみたい」。自分のものとは思えなかった。かといって、性転換手術を望むわけでもない。
自分は何者なのか。長男が1歳になった頃から毎晩のように三鷹市の自宅でパソコンに向かい、「心の性 ない」と検索画面に入力を続けた。「Xジェンダー」という概念にたどりついた一昨年の秋、「生きていていいんだ」という思いがこみあげてきた。
*
「性別帰属意識がうすいんだけど」
昨年1月、夫に言葉を選びながら告げた。
夫はさほど驚かなかった。「らしくていいじゃない。でも、僕には女性に見えているよ」
「Xジェンダー」もLGBTといわれる性的少数者のひとつのカテゴリー(範疇〈はんちゅう〉)に入れられている。でも「そんな分け方もいつかなくなれば」と願う。
男か女か。白か黒か。右か左か。すべてをきっぱり分けようとする社会に、違和感を募らせるのは性的少数者だけではないはずだ。だから、自分を隠さない。
新年を前に、行きつけの吉祥寺の美容室を訪れた。予約時にメールで「男性でも女性でもないXジェンダーなんです」と初めて担当美容師に伝えた。
「顔が丸いから、シャープに見せたい」
男性の写真を元に、手際よく後頭部が刈り上げられていく。まっすぐ見つめた鏡の中に、穏やかで晴れやかな表情が浮かんだ。
2020年、長男は小学校に入学する。彼は、何色のランドセルを選ぶのだろう。何色を選んでも「いいね」と言うつもりだ。
「何色が好きでも、どんな服を着ても、誰を好きになっても、ならなくても、おかしいことは何もない。自分が何者かは自分が決めることだから」
(円山史)
<X(エックス)ジェンダー>
男性、女性のいずれでもない、もしくは両方である、さらにそのどちらでもないという性に対する自認を持つ人たちを指す呼称。男性と女性の中間の「中性」、男性と女性を行ったり来たりする「不定性」などがある。性的少数者(LGBT)に含まれるとされている。電通が2015年、全国の約7万人に実施した調査では、LGBT層に該当する人は全体の7・6%。
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