※2016/12/23 リライトしました。
ドラねこ書店 おすすめの本70
こんちわ、今世紀最大のドラねこだよ!(*´∀`*)
みんな元気にクソな人生を生きているかい?
いつも思うけど、
成人の日になると日本の各地でお騒がせなヤンキー集団は騒ぎを起こすのだろう?
そこで今回は、ちょっと早いけどそんな日本人とヤンキーのメンタリティをおもしろく読み解く本をご紹介しましょう
世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析
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読んでみて驚いた。
何がって、その意外さにである。
今まで漠然と感じていたヤンキー文化に対する疑問が、
ここまで掘り下げられた本というのも珍しいのではないだろうか?
記念すべき70回目に紹介する「世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析」は、精神分析医である著者の斉藤環氏が綴るヤンキー文化論の本。
まずヤンキーを「文化」として捕らえて、精神分析という観点から様々なヤンキー的な音楽・人物・ドラマ・漫画・実際の人物など多岐にわたって論じているのがおもしろい。
その一部を取り上げてみると、
「BOOWY」「X」「氣志團」「義家弘介」「金八」
「本気っ!」「ジョジョ」「ウシジマくん」「白州次郎」など、
金八先生なんてどこが一体ヤンキーなんだろうと一見首をかしげてしまうが、読んでいくと、「あ!確かにあれもヤンキーか!」と改めて気付いてしまう著者の鋭い眼差しに、日本人の根底に潜むヤンキー文化礼賛をこれでもかと知性的にみせられた思いがする。
半知性的な「ヤンキー」というものにこれほどまで肉薄した本は、
そうザラにはないのではないだろうか?
ヤンキーと音楽
中でも色々語られている中でわしが一番関心したのは「音楽」
著者はヤンキーと音楽が日本という土壌でどのような結びつきをしたのかを鋭く指摘する。
ヤンキーにとっては、音楽は目的というよりむしろ手段であることが、結果的にみて多いからである。平ったく言えば、それは表現である前にまずビジネス(シノギ)なのだ。
なるほど、確かにヤンキーはロックが好きといういささか単純なステレオタイプが頭に浮かぶが、それはなにも日本人だけではない。
世界に目を向けてもそれはあり得ることである。
その頂点は言うまでもない、今でも現役でロックン・ロールをしている「ローリング・ストーンズ」だろう。
- アーティスト: ザ・ローリング・ストーンズ
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2002/09/26
- メディア: CD
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彼らはデビューした時、ライバルのビートルズが「優等生」というイメージであるのに対してあえて真逆のイメージである「不良」というコンセプトを取り入れてこれまで長く活躍してきたのである。
それはまさに「ヤンキー」というアイコンが世界でも常に人々に愛されることを証明している。
彼らも「不良」というアイコンを使って音楽を「ビジネス」として、長らくショービジネスの世界に君臨してきたのだ。
こうしたことから確かにヤンキーというものが音楽を「ファッション」そして「ビジネス」として割り切ってきたという指摘は「なるほどな」という感じがする。
(前略)80年代初頭のヤンキー・ブームが、この時点ですでに、ややノスタルジックなパロディであったという事実である。言い換えるなら、「シャレ」と「マジ」の境目が曖昧になりやすいヤンキー文化の特色は、この時期はっきりと確立されたのではないか。
p52
ただしここで指摘するように音楽を「ビジネス」と割り切る彼らが、実際に「本物の不良」であったかという点はまた別問題である。
例えばX JAPANのYOSHIKIみたいにガチの不良もいただろうが、氣志團のような「なんちゃってヤンキー」も存在する。
ようするに「不良」というファッションに身を包んでしまえば、ガチなのかそうでないのかは関係なく、彼らは「ヤンキー」というマスコットとみなされて聴衆をうまく味方につけることができるということである。
これは前述のストーンズでさえ例外でない。
実際ストーンズのボーカルが本当に「ガチの不良」であるかどうか、今でもその真偽を疑われているほどである。
彼らの強みは、ロックンロールからパンク、メタルまで、あらゆるジャンルを取り組む雑食性だ。
そう、キャロルがブリティッシュ・ロックを、クールスがロカビリーを、アナーキーがパンクを、BOOWYがニューウェーブを、さらにX(JAPAN)がメタルを吸収したように、である。
p62
そう「ヤンキー」であることの強みは、
そうした雑食性によって様々なものと常に融合しつづけ、
おもしろいものを生み出してく発展性にあるのだとわしは思う。
ヤンキーと家族主義
それともう一つ。
読んでいておもしろいなと思ったのはヤンキーと家族との関係である。
少々意外なように思われるかもしれないがヤンキーというものはやたらに「家族」を大事にする。
彼らは権力による介入を忌み嫌う反面、家族による拘束には喜々として甘んずる。ヤンキー文化にとっては友が、仲間が、そしてなにより守るべき家族が最も重要な存在なのだ。仲間も家族の延長線上と考えるなら、ヤンキー主義の根幹をなしているものが一種の家族主義であることはには疑う余地がない。
p143
ヤンキー主義の根幹をなしているもの=家族主義
この指摘は読んでいて目からウロコが落ちたような気がした。
確かにEXILEなんかも典型的な家族主義。見た目もそのまんまヤンキーである。
言われて見れば「家族」「仲間」「絆」など、東日本大震災のころ頻繁に聞かれた言葉が、ヤンキーの好むところであるのは間違いない。
特に、やたら「母親」というものをリスペクトする傾向がある。
これも本書で詳しく語られているので詳細は避けるが、一種のマザコンに近いこうした感情は、ヤンキーが母親を特に更生してから敬意を払うようになるというのは世にある「ヤンキーもの」の鉄則である。
ようするにヤンキーとはマザコンなのである。
最後に、著者の言葉で非常に興味深いものをあげてここで締めくくろう。
(前略)日本文化は、きわめてハードで保守的な「深層」と、きわめて流動的で変化しやすい「表層」の二重構造を持っている。日本人はあらゆる外来文化をまず表層で受けとめ、その影響を吸収しながら表層は次々と変化していく。
結果的に、あまりに受容的かつ柔軟な「表層」は、外来文化から「深層」を守るためのバリアーとしても機能する。こうして「(表層が)変われば変わるほど(深層)は変わらない」という形で日本文化は維持されていく。
p103
アメリカという外から入ってきた外来の文化も、結局は日本という「深層」には届かずに「表層」で日本独自の「ヤンキー文化」というもに変質してしまい、今ではもうすっかり日本人にはお馴染みのモノになっているような気がする。
本書でも紹介されていた白洲次郎のような自ら権威を傘に着ない姿勢、プリンシパル=粋と、西洋のヤンキーが止揚することによって、日本にヤンキー文化がもたらされたのだ。
本書は、そうした日本固有のヤンキー文化を読み解く上で非常に有効な参考書である。