新潟県糸魚川市の市街地で大規模な火災が発生し、延焼被害は140棟にのぼるそうです。
ニュース速報では、火元はJR糸魚川駅北側の商店街にある食堂の中華料理店とか。
22日朝から強い風が吹いていて、上越地方には、強風注意報が出ていました。
火災はそのような状況のなかで燃え広がったようです。
これまでの火災に対する防火対策は、ビルや建物を中心に建築基準法や消防法で対応してきました。
しかし、今回の大火災は、密集市街地等の防災対策の重要性を改めて認識させることとなりました。
そこで、昭和以降の大火災について主だったものをまとめてみました。
ビル火災(デパート、ホテル等)
白木屋火災 :昭和7年12月16日
昭和7年12月16日、日本橋区通1丁目の百貨店、白木屋の4階玩具売場から出火。
階段、エレベーターを伝って5~8階に延焼。
開店まもない時刻であったため客は少なかったものの、はしご車や救助袋で約280人を救出しましたが、火災による死者14人(うち13人は店員)を出す大惨事となりました。
この大火災により、警視庁は、翌年からスプリンクラーや屋外に避難階段を設置することなどを義務づける建築規則を施行します。
さらに、昭和11年9月内務省令第31号として、全国的に規制することにつながっていきます。
同火災は、現在の高層建物における防火、避難対策のきっかけとなった大火災でした。
日本の防災は、いちも大災害が起きてから行われるようです。
千日デパート火災 昭和47年5月13日
1972年(昭和47年)5月13日、大阪市南区(現在の中央区)千日前の千日デパートで起きた火災。
死者118名・負傷者81名、日本のビル火災史上最悪の大惨事。
大洋デパート火災 昭和48年11月29日
1973年(昭和48年)11月29日午後1時15分に、熊本市下通にあった百貨店「大洋デパート」で発生した大火災。
死者103人、負傷者124人。
当時は衛星回線を使ったテレビの全世界中継が始まっており、ヨーロッパで実況放送が放映されていた。
ホテルニュージャパン火災 昭和57年2月8日
1982年(昭和57年)2月8日に、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災事故。
死者33人、負傷者34人。
出火の原因は9階に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の酒に酔った寝タバコが原因。
街の大火
函館の大火 昭和9年3月21日
昭和9年3月21日、明治から現在までに発生した火災の中で最大規模の大火です。
当日の函館は風速20mの南南東の風が吹き荒れており、市内弁天町、住吉町、海岸町、蓬莱町、大縄町、新川町の6か所で漏電し、火を発して全市で停電。
午後6時53分、住吉町の火元となった家では屋根が吹き飛ばされ、2階の炉の残火が風で舞い上がり、火の手は八方に飛んで翌朝の6時ごろまで約12時間燃え続けたとあります。
この大火によって函館市の3分の1は焼失し、死者2054人、行方不明662人、負傷者12592人、焼失面積約416万平方メートルというたいへんな被害を生じました。
糸魚川大火 平成28年 12月22日
12月22日10時28分頃、糸魚川市大町1丁目の中華料理店で火災が発生。
市の中心部に位置し、雁木が連なる商店や住宅など木造の古い建物が密集する地域であったことに加えて強風により延焼が拡大。
火元から海岸に向かっての約140棟が焼損、消火に約10時間半を要した。
また、新潟県最古の酒蔵として知られた加賀の井酒造や割烹・鶴来家など歴史ある建物も焼失している。なお、人的被害は軽傷者2名のみ。
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