日本の現実
どうもフロッキーです。
日本は紛れもなく学歴を重視する国だ。
それは、就職一つ取っても人気・大手企業は学歴の上の学生から順番に採用していくことからも容易に検討がつく。
学生側からすると
「俺の中身も見ないで学歴だけかよ」
と思うかもしれないが、企業側すると何万と応募してくる学生を一人ひとりしっかり見ていたらきりがない。
だから時間、費用の問題を解決するために学歴というフィルターに通すというのは一理ある。
しかし、とてもまじめに勉強したにも関わらず、志望していた大学に合格できなかった人は
報われないのだろうか。
一生、学歴を気にしながら生きていかなければならないのだろうか。
浪人を失敗して気づいたこと
僕は浪人したにも関わらず、日東駒専にしか合格することができなかった。
学力水準は同じである高校の同級生で浪人した人の大半は、マーチ以上の大学に進学していることから浪人を失敗したと言わざるを得ない。
そんな周囲の環境もあって、志望大学に落ちたときはさきほどのセリフを吐きながら悩んだし、自分の運命を嘆いた。
だけど、その学歴を受け入れてから9か月ほど経て一つのことに気が付いた。
学歴を気にしているのは自分だけ
ということに。
一流大学を出ていたらバイト先などの職場の人たちは称賛してくれるが、別に浪人して日東駒専にしか行けなかったからといって見下してくる人などいなかった。
世の中の人は浪人して失敗した理由を知りたいと思うほど暇じゃない。
つまり受験が終わった当時の僕は、実際に存在しない敵と戦っていたのだ。
その敵とは世の中の人は学歴を気にしているに違いないという自分の幻想だ。
そのことに気付けた僕はそんな幻想と戦っている暇があるなら、未来の自分を変えるために時間を使おうと思った。
そのためにこうしてブログを更新しているし、みんながスマホゲームに充てている時間を知識の習得のために読書したり、大学編入も視野に入れているので英語多読で自分の英語力を磨いている。
この習慣の成果は現段階では分からないけれども、浪人の失敗を嘆いている時よりははるかに有意義な人生だと確信している。
もし、学歴コンプレックスに悩んでいる人がこの記事を読んでいるならこうアドバイスしたい。
過去は変えられないけど、未来なら今日から変えることが出来る。と。