12月9日、韓国国会で朴槿恵大統領の弾劾訴追案が可決された。11月29日の朴氏の談話を受けて一時は不透明となった弾劾案の可決だが、12月3日に開かれた232万人(主催者発表)のろうそく集会が風向きを変えた。非主流派だけでなく朴氏に近い与党議員の多くを可決賛成に導いた原動力には、韓国人の持つ「正しい国民の意志」という考え方があるという。韓国の情勢に詳しい木村幹・神戸大学教授に話を伺った。
――韓国人は自分たちが政治を動かしたという意識が強い。
韓国人には、現在の民主主義体制は80年代の民主化運動を通じて「民意で作った」という意識がある。法律上の建前としてではなく、民主主義のイデオロギーを真正面から韓国人は受け入れている。現在の若い人たちは、80年代の民主化の当事者ではないが、「かつての世代と同じように今度は自分たちが新しい政治を作るんだ」という意識を有している。
韓国人の考え方は、ルソーが社会契約論の中で唱えた「一般意志」に通じるところがある。個人の問題とは別に、韓国人は「国民全体の意志」が存在し、その実現のために行動するのが民主主義だと考えている。
そのヒントとなるのが、韓国人がよく口にする「正しい」という言葉だ。日韓の歴史問題でも「正しい歴史認識」などと言うように、彼らの中には「正しい国民の意志」というものがある。
――何が「正しい」かは判断するのは難しい。
「正しさ」を考える時、逆の言葉を考える方が分かりやすい。この場合、「歪曲された」が当てはまる。これも韓国人がよく使う言葉だ。
日韓の歴史問題が話題になる時、韓国では「歪曲された韓国の歴史」と言う。韓国には、日本が韓国を植民地支配しなければ「こうなるはずだった歴史」が別にあり、それが「正しい歴史」となる。つまり、こういう風に話す時、韓国人は事実についてではなく、「あるべき存在」の話をしているわけだ。
民主主義も「あるべき存在」について語っているのだと思う。今回の「正しい民主主義」とは、朴氏により歪められた「本来あるべき民主主義」で、デモはこれを取り戻すための運動だった、と言える。
――「国民の意志」はどのように知るのか。
だからその物差しとして、「世論調査」が重視される。韓国ほど世論調査に対する信奉度が高い国はないのではないかと考えている。大統領選挙の予備選に世論調査が使われるほど、韓国では世論調査の数字が大きな意味を持つ。今回も9割以上が朴氏を支持せず、8割が弾劾を望んでいた。そこで「正しい国民の意識」が形成された、という理解が成立する。
しかしこれでは、韓国の政権は短いスパンで変わる韓国の世論に合わせていかなければならないということになる。例えば、李明博政権下の2008年に起きた大規模なろうそく集会の争点は米韓自由貿易協定(FTA)とそれに伴う米国産牛肉の輸入だったが、米韓FTAは盧武鉉政権が通し、李明博大統領は大統領選挙の公約にこれを掲げていた。つまり、国民も大統領選挙でこれを受け入れた訳だ。にもかかわらず、あれほどの大規模なデモが起こったのは「国民の意見が変わったのだから、大統領も意見を変えるべき」という世論があったから。もっとも、李氏は「いくら批判されようとも、米国との約束、大統領選の公約は曲げない」とし、米国産牛肉の輸入を押し通したが。
――国民の意志に流されやすいことはリスクとならないか。
デモが起きたことそのものではなく、本来は選挙で選んだ政治家に任せるべきことを、国民の意志で簡単に変えてしまうことは将来的なリスクになり得る。
今回の朴氏のスキャンダルは確かに問題だが、過去の韓国の大統領の腐敗に比べたら問題そのものはむしろ軽微と言える。つまりこれからは、一定以上の世論が「これは政権を変えるに足る条件だ」と判断すれば、大統領が糾弾される可能性が生まれる。
2004年、盧武鉉大統領の弾劾が最終的に憲法裁判所で棄却されたため、弾劾のハードルは高まった。しかし、今回の弾劾が成立すれば、このハードルは一気に下がることになる。ろうそくに火が灯れば、大統領は辞めなければならないような話になりかねない。
大統領制は、任期が固定されていて安定が売りの政治システム。任期が不安定になれば、政治の空白も生まれやすくなる。そのようなリスクが増すのは、国にとって明らかなマイナスとなる。
――次は親中従北の傾向がある左派の大統領になる可能性が高いと見られている。日韓関係や韓国の外交にどのような影響があるか。
短期的には、大きな変化はないだろう。今回のデモでは、朴氏を糾弾する声は強いが、朴氏の具体的な政策に対する批判はあまり聞こえてこない。政策論争になっていないので、左派政権になったとしても、ビジネスや外交に即座に影響を与える可能性は低いのではないか。
ただ、日本と韓国の軍事情報包括保護協定(GSOMIA)は、やり玉に上がる可能性はある。朴氏のスキャンダルが明るみになってから署名されたためで、GSOMIAそのものより「朴氏が進めたからけしからん」ということになるだろう。その意味で、GSOMIAは時期的に最悪だった。
今の韓国は混乱しているように見えるが、政治が混乱しているのであって、政策が混乱しているわけではない。来年度の予算案も通った。国際的金融危機のような外的要因が起これば別だが、大統領の職務停止で「何も決まらない状況」がむしろ、短期的には安定をもたらす、という皮肉な結果につながるかもしれない。その意味で、大変なのはむしろ大統領選挙以降かもしれない。(聞き手 坂部哲生・清水岳志)
<プロフィル>
木村幹:神戸大学大学院・国際協力研究科教授、法学博士(京都大学)。京都大学大学院法学研究科博士前期課程修了。専攻は比較政治学、朝鮮半島地域研究。政治的指導者の人物像や時代状況から韓国という国と韓国人を読み解いてみせる。受賞作は『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(ミネルヴァ書房、第13回アジア・太平洋賞特別賞受賞)など。
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