テレビの役割はどう変わったか
これまでは10年代のヒットチャートの変化について語ってきた。
「CDがたくさん売れていること」と「その曲が流行っていること」がイコールではなくなり、結果として「ヒット曲が見えなくなった時代」が訪れたことを分析した。
では、ヒット曲を生み出す大きな役割を担っていた地上波テレビというメディアは、この数年、どう変わったのか?
かつて80年代は『ザ・ベストテン』や『トップテン』が歌謡曲の時代を支え、90年代は『HEY!HEY!HEY!』や『うたばん』などの音楽番組が高視聴率を記録した。
しかし、それらの時代の「テレビと音楽の蜜月関係」はもはや成立していない。かつては無類の強さを誇った「月9」タイアップも効果は薄れてきている。
しかし、10年代に入って、テレビと音楽の間には新たな関係が生まれてきている。その背景には、スマホとSNSの普及によって、テレビというメディアが持つ役割が変わってきたことがある。ここでは、そのことを解き明かしたい。
東日本大震災が変えたテレビと音楽の歴史
10年代の音楽番組のあり方は、それまでと大きく違う。
まず指摘したいのは、生放送の超大型音楽番組が増えた、ということだ。特に毎年夏には『THE MUSIC DAY』(日本テレビ系)、『音楽の日』(TBS系)、『FNSうたの夏まつり』(フジテレビ系)など、数時間、時には10時間を超えるような特番が民放各局で放映されるようになった。
先駆けとなったのが、2011年7月16日にTBS系列で放映された『音楽の日』だ。放送前日の新聞広告には「テレビ史上初、7時間越えの音楽番組」「生放送で約50組のアーティストが集結!」と大きなキャッチコピーが掲げられた。
安住紳一郎TBSアナウンサーと共に司会をつとめたSMAPの中居正広は、当時のプレスリリースに「7時間を超える大きな音楽番組ということで、TBSにとっても僕にとっても新たな歴史のはじまりになるのではないかと思います。今こういう時代なので、音楽の力で少しでも皆さんに楽しんで頂ける番組になればと思っています」とコメントを寄せている。
ここから読み取れることは二つある。一つは、その後数年であっという間に定番化する「7時間を超える音楽番組」が、当時のテレビにとっては史上初の挑戦であったということ。もちろん『NHK紅白歌合戦』や『FNS歌謡祭』など、年末に放送される長時間の音楽番組は昔からあった。
ただし、それらの番組の放送時間はどれも5時間以内。それまでの歴代最長記録は2004年12月31日に放送された『CDTVスペシャル 年越しプレミアライブ2004〜2005!!』の5時間15分だった。7時間40分に約50組のアーティストが出演する生放送の音楽番組というのは、当時、前代未聞のものだった。
そしてもう一つは、中居正広が「こういう時代なので」とコメントしている、ということ。前述の新聞広告には「震災復興大型音楽番組」「今こそひとつに。」「ジャンル、国境を超えて歌で〝日本〟を〝東北〟を元気に。」ともある。
2011年は、東日本大震災によって大きく社会が揺れ動いた一年だった。原発事故も、それによる電力供給の低下と計画停電もあった。震災後にはテレビのバラエティ番組やエンタメ全般の自粛ムードもあった。
その一方で、震災後には多くのアーティストたちがいち早く復興支援の活動に乗り出していた。その中で大きな存在感を示したグループがSMAPだった。
メンバー5人が揃う番組『SMAP×SMAP』で募金を呼びかけ、メンバー自身もいち早く寄付を行い、孫正義や王貞治と共に「東日本大震災復興支援財団」の発起人となり、中居正広も被災地をたびたびボランティアで訪れていた。
そういう時代背景の中で中居正広を司会に『音楽の日』がスタートしたことは大きな意味があるだろう。当時のテレビからは繰り返し「ひとつになろう」「日本を元気に」というメッセージが伝えられていた。そういった文脈の中で「音楽の力」や「歌の力」という言葉も使われていた。そして大型音楽番組がスタートした。
いわば、東日本大震災がテレビと音楽の歴史を変えたのである。
次回につづく!