アマゾンが12月5日、日本での販売を開始した、「アマゾン ダッシュ ボタン(Amazon Dash Button)」が話題のようである。
概要はすでに有名であると思うので、ここでは詳しく述べない。要は、普段使っている日常品が無くなりそうになったら、ボタンを押すだけでその商品が届くというサービスである。
このニュースを聞いて、自分の大学時代の先輩との会話を思い出した。
「お金ってどのくらい稼げたらいいんだろうね?」
「贅沢しようとは思わないけど、日常に必要なものが意識せずに買えるくらいあったら十分だね」
「それって、貧乏人には無理だぜ。そういうのを金持ちっていうんだ」
細かいことは覚えていないが、大体こういう内容だった。
「俺が漫画家を目指すのはそういう理由だ。エリートコースに乗るのを失敗した俺たちみたいな人間が、普通にサラリーマンになったって、日常品の値段をいつも気にしなきゃいけないじゃないか。そういう不自由はいやだ。」
「そだね。物凄い贅沢をしたいわけじゃないけど……」
そして、その先輩は大学を中退して漫画の持ち込みを始め、自分も就職せずに同じ道を選択した。
それ以前から、漫画家になりたくて入ったのも美大だったけど、あのやりとりが無茶な選択の後押しとなったことも確かだ。
あれから30年以上も経つのだが、「Amazon購入ボタン」ともいうべきこのサービスを躊躇なく使える人というのは、まさに日常品の価格を気にすることなく購入できる「金持ち」ではないのか?
Amazonの値段は世間の相場で考えると決して高くはないが、最安とも限らない。コンビニの価格よりは安いだろうが、スーパーやホームセンターの日常品の方が安いことも多いだろう。
だが、そんな些細な値段の違いよりも、手間を使わずボタンだけで商品を買う方を選ぶ人間が多いという事だ。そういう人間が多いからこそ、このサービスは成り立つ。
日常品の値段を意識せずに買えることが、金持ちの定義であるならば、まさにこのボタンの利用者がそうではないか?
自分はこのボタンを使いたいとは思わない。つまり貧乏だ。
今思えば、あの時の選択は間違いで、サラリーマンになっても頑張ればボタンを使える身分になれたと思うけれど、後の祭りである。
このようなボタンが話題になり、かつ受け入られる一方で、声をあげないけれど使えない者もいるはずだ。使えない者にとっては格差の象徴のような存在だと思う。
ボタンを押すだけで、フルーツグラノーラを好きなだけ買えるなんて、なんて素敵な生活だろう。