どうも、今年いっぱいで国家公務員を辞めることになった kobo です。
よくネット上で
「職場の〜〜が納得いかないから辞めることにした!ぼくは自由に生きるんだ」
「レールの敷かれた人生はもううんざりだ!だから辞めてやった」
みたいな前衛的なポエムを目にするんですけど、正気ですかと問いたい。問わないけどね。
彼らがぼくの友人だったら一言アドバイスでもするのになぁーとか思いながらポテチを片手に傍観しています。
今回の記事はあまり長くないので、サクッと読んでみてください。
Contents
「自由な人生」を定義してみてくれる?
彼らがよく逃げ口上として使う「自由」というターム。一体どういう意味合いで使ってるの?
「好きなことで生きて行く」っていうアレ?
YouTuber とか ブロガー、アフィリエイターが楽して稼いでいると本気で思っているの?
もしそう思っているなら、今からでも遅くないから土下座して辞表を撤回したほうがいい。
この広い世界の中で「自分」という存在をブランディングして、そこに価値を生み出す。
これがどれぐらい大変なことか想像してみてほしい。
雇われるだけの「代替可能なパーツ」でいた方が、9割ぐらいの人にとってはメリット大きいですよ、実際。
「納得いかないこと」は遍在してるから、それが嫌なら死ぬしかないよ
社会に生きる限り、必ず不満は生じる。そんなの他人同士が集まって暮らしているんだから当たり前でしょう。
コンビニのバイトだってマッキンゼーのコンサルだってフリーランスだって、多かれ少なかれ「納得いかないこと」に折り合いをつけながら生きているんですよ。石油王だって「あーつまんねぇなー」と愚痴をこぼしているかもしれない。
不満の原因が「人間関係」なのか「制度・システム的なもの」なのかは知らないけど、ネガティブな理由で退職する人は死ぬまで腰を据えられないよ。
「レールの敷かれた」って、それ、そもそも本当にレールなの?
たいした大学も出ずに、取り立てて努力もしてこなかった人間に限って「レールの敷かれた」というフレーズを使うんだよね。
いやいや、君のはレールですらないから。っていう。
レールにうんざりするには、少なくとも一定期間「レールに沿った人生」を送らないといけないのに。摩訶不思議です。
ブサメンが「人生顔じゃない!」って顔真っ赤にしてるのと同じぐらい滑稽ですよ。
「レールの敷かれた人生を離脱する」という新たなレールを走るだけ
浅慮のまま仕事を辞める人って、概して「将来」に対する見通しも甘いから、結局何もうまくいかなくて人生詰むんだよね。
そりゃそうだよね。お金は湧いてくるわけじゃないんだから。
そのまま歳を食って、かつて見下していた「社畜」よりもはるか格下で、下卑た精神性のまま誰かを憎んで死んでいくだけ。悲しすぎる。
メタ的に見れば、その生き様そのものが新たな「レール」なのですよ。
「よくいる痛いやつの一生」という王道のレール。
完全に事故ってるけどね。本日も運行お疲れさまです。
社会への不満をこぼし、自分の生き方を見直すのは自由だけど、「そこから離脱する」のは最終手段。
ナマポ孤独死したくないならね。
「会社様の庇護」がなくなったあなたは丸裸。もう誰も守ってくれないよ
与えられた仕事をこなして、お金をもらう。
クリエイティブでもなければ大したスキルも持っていないあなたが生きて行く唯一の方法なのに。
会社様の権威性にぶら下がることももう二度とできなくなるけど本当にいいの?
「お前はどうなの?」への回答
ぼくはよく頭の中で「仮想敵」を作って、論争しています(笑)
今回仕事を辞めることにしたけど批判は一切受けていません。でもそれだとぬるすぎるので仮想敵に批判させるのです。
あらかじめ言っておきますが、ぼくはフリーランスになるために退職したわけではありません。
当面のゴールは「米国公認会計士試験の合格」、そして「外資系監査法人への転職」です。
雇われることのメリットも知っているからね。
その上で、副業にも注力しながら次第にシフトしていくという「計画」があります。
ぼくはまだ、レールの上にいるのです。