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物欲に負けた日

怠惰な日々の徒然

負けたダメ人間の僕がどれくらい人生で負けてきたのかを書いてみようと思う

ブログタイトルを「負けたダメ人間のあと5回負けてもいいブログ」に変更して3日が経ちました。期間限定のお遊びくらいの気持ちからはじめたんですが、見てるとなんだか良いタイトルな気がしてきて、このまま本当にタイトル変更してもいいかなって気がしてきています。

でも、本気で改名すると諸々の登録情報を修正するのがめんどくさいんですよね。どーしようかな。

まぁ、それは置いておいてですね。今日は負けたダメ人間の僕がどれくらい人生で負けてきたのかを書いてみようと思うんです。

なんだか悲しい子供時代&青春時代

なんといいますか、昔から空気が読めないやつなんですよね。ちょっと浮いちゃうタイプ。おかげでいじめられっこというか、よくイジりの対象になっていました。

幸いにも本格的ないじめには発展しなかったんですけど、やっぱりこういうことがあると自分に自身がなくなっていっちゃうんですよね。これは今でも思います。

ちなみに、小・中・高校の同級生とかで卒業後に連絡を取ったことがある人はゼロ。同窓会のお誘いも来ません。たぶんやってることはやってると思う。。。

田舎ということもあってか小・中学校では成績は良かったんですよ。体育以外はって条件付きですが

過去にも書いているんですが、マジで運動は苦手でヤバかったです。アメトーーク!の運動神経悪い芸人の動きがよく分かるんですよね。

それでも、いわゆる学校のお勉強はできたので中学の先生や親は進学校に進むと思っていたみたいなんですが、勉強嫌いだったんですね。なので、ここで勉強から逃げて工業高校に進みました。勉強超楽でした。

でも、工業高校でもやっぱり浮いてましたし、さらに工業高校って女子とかいないわけで、全く青春ッて感じもありませんでした。

さらにロボコンとかやってるマニアックな部活に入りましてですね。部員は僕の代は1人しかいない寂しい部で、一人黙々とロボットを作るという活動をしていました。

今思い返しても、子供の頃って悲惨な目にはあってないけど、イマイチ楽しい思い出も少なくて、楽しくなかったなぁと思ってしまいます。

ブラック企業に入って悲惨な日々に

工業高校から大学進学ってほとんどないんですよね。基本は就職です。

僕も、電気工事の会社に就職したんです。はい、もちろんブラックです。電気工事なんてブラックの代名詞みたいなもんです。ただでさえブラックよりの建設業の中でも特に立場が弱いブラック職です。しかも田舎の零細企業。そりゃブラックですよ。

どれくらいブラックかといいますと、残業代が出ないのは当たり前で、残業もやたらと長いわけです。1ヶ月全く休みなしで残業200時間とかあるわけです。午前3時に仕事が終わって午前8時にはまた仕事みたいなめちゃくちゃな日が何日も続くようなとんでもない会社でありました。波があるんで暇な時は死ぬほど暇だったりしましたけどね。

そんなところで、なぜか過労死することなく6年ほど勤めました。今なら最初の月でブチ切れてサクッと辞めてるんですが、当時は世間知らずだったんですねぇ。完全に奴隷の生活。人として終わってました。

なぜかマジックに目覚める

そんなブラック企業を辞めたのは、ブラックが嫌になったからじゃないんですよ。

ちょうど忙しい仕事が終わって数日の連休が取れた頃、世間では空前のマジックブームなるものが起きてました。テレビをつけるとマジシャンがマジックやりまくってたんです。バラエティ番組ではまずワンコーナーはマジック挟んでくる、情報番組でもワンコーナーはマジックを取り入れる、そんな状態でした。

ちょうど時間ができてブームに乗せられた僕は早速マジックを始めたんです。友人もいないし、見せる相手なんて全くいないのにハマりまくりまして、めちゃ練習したんです。

そのうち誰かに見せたくて堪らなくなった僕は、夜な夜なストリートでマジックをやるようになったんですよね。これが楽しくて楽しくて仕方がない。さらに、そこから興味を持ってくれた方からマジック関係の仕事をもらうようになって、次第にマジックに費やす時間の方が長くなっていったんですよね。

そんなもんで、「僕はプロマジシャンになるっす!」って言って仕事を辞めたんですよね。アクセス数3万PVくらいで「プロブロガーになる!」って言って会社を辞めるくらいの暴挙です。マジでアホっす。

イベント会社での日々

会社を辞めてから、多少はマジック関係で収入があるものの、せいぜい月5万くらい。本格的に活動していくには、自分で営業するかプロダクションみたいなとこに所属するしかないです。しばらくはフリーで営業に力をいれ、多少は収入も増えたのですが、限界を感じてプロダクションに入ることにしました。

田舎ながらイベントをやっている会社はありますので、早速売り込みをかけて雇ってもらいました。仕事内容はイベントへの派遣と会社が経営しているイベントが見られるバーでの出演です。おかげでバイトをしなくてもまぁなんとか食べれるくらいの収入はゲットできました。

そんな感じで、ぼちぼちと1年ほど過ごした頃、会社で東京進出の話がでたんです。東京にもイベントが見られるバーを作ろうって話しで、僕に店長としてチャレンジ店を作ってみないかって言われたんです。

当時の僕は将来自分でマジックバーをやりたいと思っていたので、経験的にも旨味があるというか、やってみたいと思って、何人かのメンバーと東京に出てきました。ちょうど25歳くらいの時ですね。

この時はメンバー全員で会社が借りたマンションの1室に住み、店を成功させるって目標に向かってがむしゃらに頑張りました。この時は本当に楽しかった。初めてできた仲間と青春をやり直している気分だったのかもしれません。この頃の仲間とは今でも連絡とり合ってますし、なかなか時間が合わなかったりしますが、機会をみて一緒に飲みに行ったりしています。

しかし、最初はうまくいっているように見えたお店もうまく回すことができず、業績がだんだんと悪くなり3年ほどで撤退することになりました。店長としての僕の能力のなさが閉店という自体を招いたわけです。本当に何もうまくやれないダメ人間です。

独立、自分のお店を持ったもののヒモ生活に

会社から閉店の決定を聞いた時は本当にショックでしたが、同時に独立という考えが浮かび、イベント会社を辞め独立しました。そう、サクッとマジックバーを開店したんです。とはいえ、計画的な独立ではなくて、マジでノリで開店しちゃったので金もないしアイディアもない、アホみたいな勢いだけの開店でした。

それでも夢であったマジックバーを開店し、意気揚々と頑張ったんですが、全然ダメでした。これも1年ほどで閉店してしまいました。まったく、前回の反省が活かされていませんでした。

そんで、全く金がない状態だった僕を支えてくれたのが、当時の彼女(今の嫁ちゃん)でした。イベント会社のお店で店長をしていた頃に出会って、いろいろと助けてくれていたのですが、この時は生活費も全く無い状態でヒモ状態だったんですよね。

まとめ

こんな感じで、結構適当な生き方してきてまして、人生負けっぱなしですよ。でも、さすがにいつまでも彼女の世話になるわけにはいかないと思って、サラリーマンになりまして、嫁ちゃんと結婚。今に至るわけであります。

ところで、ブログタイトルに従うとあと5回負けていいらしいんですが、何しようかなー