昭和40年代までの東京の電車には、身の丈の半分ほどもある巨大な籠を背負った農家のおばあさんや、ツルハシやスコップをかついだ工事労働者や、赤ん坊におっぱいを含ませた状態の母親が平気な顔で乗り込んできたものだった。人々のマナーは今と比べれば明らかに劣悪だったが、その分だけ、他人の逸脱には寛大だった。というよりも、寛大もなにも、「いろんな人たち」が乗ってくるということが電車の基本設定で、化粧どころか、着替えをはじめるオヤジや、弁当を食べる学生やタバコに火を点ける爺さんも含めて、電車は無法地帯だったのである。
私は、21世紀の都会を走る電車の車両内を、1960年代標準の無法者天国に戻せと言っているのではない。
そんなことは不可能だし、実現できたとしてもあんまり素敵な未来像ではない。
私が言いたいのは、21世紀の私たちが、昭和の日本人が(やむなく)そうであったように、他人が自分と同じでないことに対して、もう少し鷹揚であっても良いはずだということだ。
2014年の5月、東京メトロのマナー広告について、私はツイッターで、こんなやりとりをしている。
《一般の客よりクレーマーの声が尊重される時代になっているということなのだろうな。》
2009年以来、私が抱いていた懸念は、どうやら現実化している。
つまり、鉄道会社は、もっぱらクレーマーの目線に配慮した姿勢でマナー広告を制作しているということだ。
これは、彼らがクレーマーにコントロールされているということでもある。
おそらく、鉄道会社にとって、クレーマー対策は、相当にアタマの痛い問題なのだろう。
車内のマナーに、あるいは、列車が遅延する度に、居丈高に怒鳴り散らすクレーマーに、駅員や乗務員は、決して口答えをすることができない。
その苦労は、いかばかりかと思う。
でも、落ち着いて考えてみれば、駅員という「決して反論できない人間」に詰め寄るクレーマーは、人間としては明らかな卑怯者である。
その卑怯者に鉄道会社が迎合することは、結果として、一般の乗客をスポイルしてしまうことになる。
そのあたりの出入りについて、一度真剣に考えてみるべきなのではなかろうか。
鉄道会社に限らず、21世紀の企業は、おしなべてクレーマーに弱い。
たとえば、つい2日ほど前、元女優の高樹沙耶容疑者(本名:益戸育江)が、大麻所持の容疑で逮捕されたことを受けて、テレビ朝日が、再放送を予定していた人気ドラマ「相棒」の内容を、高樹容疑者が出演していない放送回の録画放送に差し替えたが、これなども、私は、幻のクレーマーにおびえて、テレビ局が先手を打った形だと思っている。