何十人もいる出演者の一人に、大麻で捕まった容疑者が含まれているのだとして、一体そのことで誰が迷惑を被るというのだろう。あるいは、その容疑者が映っている場面を放送することで、われわれの社会のどの部分が傷つき、毀損され、危機に陥るというのだろうか。
こんなバカなことが起こるのは、クレームに対応する立場の人間が、クレーマーに対して毅然と対応する気力を持っていないのか、でなければ、苦情をはねのける説得の言葉を用意できていないからだ。そして、彼らは、視聴者の総数からすれば0.1パーセントにも満たない卑怯なクレーマーの声に屈して放送を楽しみにしている何十万人ものファンを裏切っている。なんとも愚かな展開ではないか。
公共交通機関は、多様な人間を乗せて走るものだ。
「多様な」というのはつまり「他の乗客に負担をかける乗客を含んでいる」ということだ。
ベビーカーを押す母親は、通勤客にとって、迷惑な乗客だ。
しかしながら、迷惑だからという理由で乗客を排除したら、電車は電車ではなくなってしまう。
とすれば、マナー広告が発信するべきメッセージは、
「ベビーカーは迷惑にならないように、車内では折りたたむように」
というお話ではなくて、
「ベビーカーと同じ車両に乗る乗客は、ベビーカーのために力を貸してあげましょう」
であらねばならない。
杖をついて歩く人間でも、車椅子移動者でも同じことだ。
公共交通機関は、迷惑な乗客を折り込んだ上で運行されなければならない。
とすれば、電車に乗る人間は、他人の迷惑をいやがるのではなくて、同じ車両に乗る乗客の負担を分かち、移動や乗車が困難な乗客を助けなければならないはずなのだ。
もちろん、そんなことは乗客のほとんどが分かっている。
分かっていても多くの人が協力できないのは、日本の通勤時間帯の電車があまりに混みすぎているからだ。
そして、スペースがないという物理的な問題を「マナー」で解決しよう、というのは、根本的に方向が間違っている。
ベビーカーは錦の御旗ではない。だが、まずはお互い、荷物扱いされていることを怒るべきで、荷物どうしで八つ当たりしあっても仕方がない。
その意味で、化粧をする程度のほんのささいな迷惑を、踊り付きで糾弾してやまないあの広告の凶悪さは、何度強調しても足りない。まあ、そこがギャグなんですということなのかもしれないが。
結論を述べる。マナー広告は、むしろ“迷惑”を歓迎するマナーを啓発しないといけない。
最大の問題は、人間に荷物のマナーを強要する日本の都市構造や勤務体制にある。だからといって心の底から荷物になっていいものなのか。
わたくしどもは迷惑をもたらすお客様を歓迎します、と、ウソでも良いからそう言うのが、大人のマナーってものだぞ。
結局、見慣れているかどうかだけの問題なんでしょうか?
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