「プロ野球選手になりたい!」とか、そういったキラキラした夢をあまり持つことのないまま、気づいたら25歳になろうとしています。
今振り返ってみると、将来こうなりたいという、夢を描くことのないまま大人になってしまいました。
仕事に対する向上心とか出世欲はかなりあるものの、明確にこういう風になりたいという像があるわけでもなく、ただひたすら問題を片付けていく毎日です。
このように夢を持つことなく大人になった自分に関して、自分自身のルーツをたどっていこうと思います。
身体が弱かった幼少期
僕は予定されていたよりも2ヶ月も早く産まれてきました。
体重は2400グラムくらいだったと思いますが、1ヶ月くらい保育器みたいな、箱に入れられて治療を受けていたそうです。
そのせいもあってか、アレルギー性の気管支喘息を持病として抱えていました。
何度も喘息をこじらせて肺炎を発症し、小児科に入院したのを覚えています。
何故か個室に入院していたことがあって、研修中の看護師さんが僕を可愛い可愛いと可愛がってくれたのを覚えています。
(そんな彼女らがもう45歳くらいになるのかと思うと、胸にくるものがありますね。笑)
それは置いておくとして、3歳から4歳になる年の時は、幼稚園に行くのと病院に行くのが半分くらいで、月によっては全く幼稚園に通えないこともありました。
当然、病院で過ごす時間も長くなり、そこで接する人たちとお話をする時間が長くなりました。
次第に僕の病気を良くしてくれるお医者に対して憧れを抱くようになり、あんな風になりたいと思うようになりました。
あえて言うならば、これが初めて僕が抱いた、夢だったのかもしれません。
しかし、今現在の僕が医者になっていないことからも分かるように、この時に抱いた夢というのは何が何でも医者になりたいという強い決意ではなく、強いていうなら医者になりたいかな、というような淡い希望でした。
そして歳を重ねるうちに次第に身体は強くなり、幼稚園を卒業する頃には、病院には通っていましたがほとんど入院をすることは無くなりました。
その頃から違和感に気付き始めます。
周りの子供達が「サッカー選手になりたい」とか、「プロ野球選手になりたい」みたいなキラキラした夢をドンドン言い放つわけです。
当時の自分はというと、何かの発表で夢を書く欄があれば隣の友達の夢を書き写したり、なんとなく医者と書いて見たりとどうして周りの子達が意気揚々と〇〇になりたいと声高らかに叫べるのか、理解ができなかったことを覚えています。
そんな幼少期でした。
夢と現実を比べた
幼稚園を卒園した後は地元の公立小学校に通い始めるわけですが、当時のクラスメイトにジャイアンみたいなやつがいたわけです。
僕はそのジャイアンに負けることやジャイアンにクラスの天下を取られている気がすることがなんとなく悔しかったのでジャイアンに尋ねるわけです。
君はどうしてそんなにデカくて力が強いのか、と。
彼は柔道をしているからだ、と答えました。
そうして僕は柔道を始めました。
こうやって書くと妥当ジャイアンという負けん気魂で始めたのかと誤解されるかもしれませんが、そうではなくてここで始めたのは彼を倒したいという思いではなく、単純に彼を強くした柔道というものに対する好奇心でした。
柔道を始めると、試合の前に門下生たちが集められて、それぞれ目標を言わされるのです。
そこで彼らは皆こういうんですね、優勝したいです、と。
またしてもここで僕は理解ができないわけです。どうして優勝したいと思えるのかということ。
なぜなら、当時通っていた道場はとても強かったので、自分の道場だけを見たとしても明らかに自分の体重が2倍もあるような同学年のやつを差し置いて、現実的に自分が優勝できる可能性なんてほとんどないわけです。
「二回戦まで勝ちたいです。」
これが当時の僕の回答でした。
当時8歳か9歳にして、自分がやれることの限界を自分で決めていたのです。
彼らは柔道の推薦で進学を決めていくパターンがほとんどでした。
しかし当時の僕には全くその進路に現実感がありませんでした。
「柔道で飯が食えるのは、ほんの一握りだ。今ここで柔道に没頭したところで、僕の未来は明るくない」
好奇心は親からのプレゼント
柔道の方ではいち早く勝てそうにないということを悟り、現実ばかり見てそれ以上向上しようとは思いませんでした。
一方で勉強の方ですが、小さな頃からどんなことにも興味があり、とくに当時は数で遊ぶことが好きでした。九九を覚えたのは4歳くらいだったと思います。
その背景にあるのは、親がいつも褒めてくれたことだと思っています。
親に褒めてもらえるのが嬉しくて、いろんなことを覚えたり、質問したりしましたが、親はしつこくそれに答えてくれました。 だからこそ、今の僕があるのは親の育て方のおかげだという思いがとても強いのです。
この育て方のおかげもあってか、あらゆる物事に対する好奇心が芽生えました。
この好奇心が、なにを行うにしても大きな原動力になっています。
自分の頭脳に自信があった
小学校に入った時点で一番楽しみにしていた算数は、初めての授業で線を書く練習から始まったことに大きな苛立ちを覚えたのを記憶しています。
早く算数がしたい!そう思いました。
習うことに対しても大きな好奇心を持っていたので、自分で意識的に、もしくは他人から強制的にやらされて勉強をしているということはなく、気づいたら覚えてしまっているという状態でした。
だから、テストの勉強をしなくてもそれなりには点数が取れました。学年が上がるにつれて、自分の頭脳に大きな自信を持ち始めました。いかに勉強をせずにいい成績をとるのかということにクールさを感じていました。
テストの点数を取るということに興味があるのではなく、本質を理解した結果どんな問題が出てこようとテストで満点をとれる、これが理想でしたし、答えだけ覚えるようなことには興味はありませんでした。
そのせいもあってか、テストでは猛勉強してきたやつには勝てませんでした。でも心のどこかで自分の方が本質を理解しているし、テストの点数で負けているだけだという得体の知れない自信がありました。
考える力とか、本質を理解する力、そういったものを頭脳だと思っていたので、頭脳には人一倍自信がありました。
「とりあえず」東大を目指した
とりあえず、というとすごく嫌味な言い方に聞こえるのかもしれませんが、そうではありません。
ここでいう「とりあえず」という言葉の意味は、「やりたいことが決まってないから」と置き換えることができると思います。
18歳くらいで社会を見たときに、どうしても学歴社会であるということは一目瞭然であり、
やることがない今、何かやりたいことが出て来たときのために足かせは作りたくありませんでした。
さすがに東大の入試問題は難しかったので、この時ばかりは試験対策をしました。
好奇心を原動力に本質を理解することに努めていたので、鬼のように勉強をしたというわけではありませんでしたが、1日12時間くらい勉強して東大に入りました。
(現役では受からなかったので、これは浪人時代の話です。)
「とりあえず」コンサルタントになった
東大を卒業する頃になって、やりたいことも結局あまり決まらず、とりあえず転職に強そうなコンサルタント系の職業を目指しました。
今の仕事は考え続ける毎日だし、それなりに楽しさもあり、満足しています。
しかし、何か明確にこれをやり遂げたいとか、そういった野望があるだけではなく、
僕を突き動かすのは、
- 出世して金と地位を得て、今まで見たことのない世界を見たいという好奇心
- やりたいことを見つけたときのためにとにかくできることを増やしたい
この二つなんですね。
やりたいことが出て来たときのために頑張るという、モラトリアムからずっと抜け出せずにいるのです。
こういう人たちって、結構多いのかな、とそんな風に考えています。