鶴瓶のスケベ学

なぜ師匠は落語を教えてくれないのか。なぜ、なぜ、なぜ……?

落語家入門後、すぐにラジオのレギュラー番組を抱えるなど、人気者だった鶴瓶さん。けれど、落語の師匠・松鶴さんには、肝心の落語をまるで教えてもらえなかったそうです。それは一体なぜだったのでしょうか。
芸歴40年を超える大御所芸人、笑福亭鶴瓶。還暦を過ぎた今も、若手にツッコまれ、イジられ、“笑われ”続けています。そんな鶴瓶さんの過剰なまでに「スケベ」な生き様へ迫る、てれびのスキマさん評伝コラムです。

その坂は「ため息坂」と呼ばれていた。
夕刻をすぎると「口笛坂」とその呼び名が変わる。

坂の先には笑福亭松鶴の自宅があった。松鶴が落とすカミナリのすさまじさから、一門の弟子たちは坂を登るとき、思わず「ため息」を漏らした。逆に帰り道には開放感から「口笛」を吹いて降りていく。そんなことから一門の間でそう呼ばれるようになった。
それほど松鶴は厳しく、畏れられていたのだ。

そして笑福亭鶴瓶が「スケベ」になったのは間違いなく、この師匠の教えが根底にあるのだ。

しかし鶴瓶は、松鶴に落語を一席も教えてもらえなかった。

相手の勘違いがまさかのしくじりに

きっかけは些細なある事件だった。
一番最初に稽古をつけてもらう前のことだった。鶴瓶は師匠たちのために飲み物を用意していた。

ちなみに鶴瓶は松鶴を「おやっさん」、その奥さんを「あーちゃん」と呼んでいた。おやっさんにはブラックコーヒーを、あーちゃんにはミルクティをこしらえるのが日課だった。

鶴瓶の父親はコーヒー好きでインスタントではなく、豆からコーヒーをたてて飲んでいた。その際、ミルクを流すようにスーッと入れていた。それが恰好いいと思っていた鶴瓶は、大事な師匠夫人へ飲み物をこしらえるのだから、とそれを真似た。
あーちゃんにミルクティを入れる際、紅茶にミルクをスーッと流し、表面をミルクで覆うようにしたのだ。

それを見て勘違いしたのはあーちゃん。

「わて、ミルクて言うてないがな!」

もちろんかき混ぜればミルクティだったのだ。だが、口答えをすれば、あーちゃんに恥をかかせてしまう。「すんません」と謝った。

「だあほっ! だいたいお前は、いつもそうやって人を笑わそうと思うとうねん!」※1

誤解した松鶴も烈火の如く怒り、それから落語の稽古をしてくれなくなったというのだ。
兄弟子たちに稽古をつけるときも、一緒についていこうとするとおやっさんは言う。

「お前はもうええ」

ある日、それを不憫に思った兄弟子の一人が「おやっさん、今日機嫌がいいから言え」と囁いた。
意を決して鶴瓶が松鶴に直談判した。

「師匠、すんません」
「なんや」
「あのう、明日から、稽古お願いします」

しかし、返ってきた答えは身もふたもないものだった。

「嫌や」※1

可愛がられたが、落語は教えてくれなかった

松鶴は鶴瓶を嫌っていたわけではない。実際、飲み会などには必ず鶴瓶を連れて行った。
落語を教えなかったのも彼のしくじりだけが理由ではないだろう。

ひとつの理由は、兄弟子への配慮からだっただろうと鶴瓶は推察している。
鶴瓶に落語以外の仕事が入ったのはなんと入門わずか4日目のことだった。
いつものように松鶴の自宅で留守番をしていたときにその電話は鳴った。

「どなたでも結構ですから、お一人お願いできませんか」

ラジオ番組に出演予定だった兄弟子が病気で出演できなくなり、その代役を探していた。

「でも、今、丁度誰もいてないんですわ。困ったな……」

返答に困っている鶴瓶に電話口のスタッフは「あなたも松鶴さんのお弟子さんでしょ。あなた、お願いできませんか?」と言う。
確かに急な要件ではあるが、少なくても師匠なり兄弟子なりに一言断らなければと考えるのが普通だろう。だが、鶴瓶のスケベ心がうずいたのか、鶴瓶は即答する。

「そりゃ、僕で良ければ行かせてもらいますけど」※2

その時は、代役でラジオ出演したにすぎなかったが、初のプロの仕事で無我夢中でしゃべったのが功を奏してディレクターからは大好評。

「君、次からもきてくれるか?」

その結果、兄弟子を差し置いて、初のレギュラー番組が決まってしまったのだ。
この番組を皮切りに鶴瓶は次々とラジオやテレビに出演していく。
オーディションに参加すればほぼ百発百中で合格した。結果、入門1年目でテレビ・ラジオのレギュラーをなんと6本も抱えるようになった。
落語家らしからぬ風貌と語り口がウケたのだ。

だから、おそらく松鶴は自分が他の弟子よりも厳しくあたることで、兄弟子からの嫉妬から鶴瓶を守ろうとしたのだろう。

「あんまりいじくりまわさんほうがええ」

もうひとつ落語を教えなかった理由はすぐに鶴瓶が落語よりもテレビなどで自由な発想のしゃべりを磨かせたほうがいいと見抜いたからだろう。
「こいつはあんまりいじくりまわさんほうがええ」と思ったのではないかと鶴瓶は述懐する。

「師匠は新しい形の落語というものをつくりたかったんだと思いますよ。そうとしか思えないし……、だから『鶴瓶には好きなようにやらして、余計なことしたらアカン』と」※3

ラジオやテレビのレギュラーがあったとはいえ、若手落語家。高座に上がらないといけない。だが、師匠からは落語を教えてもらっていない。仕方なく、学生時代、落語研究会などで磨いた落語を披露していた。

ある落語の審査会では、「堀の内」を演じた。それは男子校向けに時代背景をめちゃくちゃにし、急にオートバイに乗ったオッサンが出てきて、ブロックに頭をぶつけて流血するといった男子受けする場面を加えたものだった。会場は大ウケだった。

しかし、審査員からは「時代錯誤も甚だしい。だいたい、オートバイに乗ったオッサンが江戸時代に出てくるわけがない」と真っ当に酷評された。
同じく審査をしていた師匠である松鶴も「こんなん、落語やおまへん。こいつには稽古つけてまへん」と飄々と言い放った。

だが、その帰り道。
松鶴は鶴瓶のお尻を「バーン!」と叩くと、耳元で囁いた。

「おまえが一番おもろかった」※1

「普通の人間でいることが大切」という教え

落語を教えなかった代わりに、「日常」については厳しく指導された。挨拶の仕方はもちろん返事の仕方ひとつに至るまで徹底的に直された。

実際に松鶴は鶴瓶と顔を会わすたびに「なにやってんのや」と怒鳴っていた。本当にこんなことに意味があるのか、と思えるような細かいことから叩き込まれた。

松鶴には「芸人も、普通の人間でいることが大切なんや」という信念があった。だから、「人の道」にはものすごく厳しかったという。

「だから、学生時代までチャランポランやったボクが師匠と出会って、性格が一変しましたもん。
マジメになりました※4

鶴瓶はそう3年間の修業時代を振り返る。
時には、ただ機嫌が悪いから難癖をつけて怒っているのではないかと思えるような理不尽なものもあった。

だが、松鶴はいつも最後に決まってこう言うのだ。

「訳、判らんやろうけど、これが修業や」

確かに、修業時代には、師匠が言ってることや、怒ったり、殴ったりする深い意味は皆目分からなかった。
だが、修業が終わってからわかったという。

落語家の弟子というのは環境に流されやすい。好きな道に入って、好きな師匠の弟子になってそれだけで満足してしまう。師匠の言われたまま雑用をこなしていれば、普通に生活ができてしまうからだ。
だから、目的意識を持っていないと途端に時間が過ぎてしまう。3年間の修業期間で、意識の違いによって大きな差ができてしまうのだと鶴瓶は言う。

「ボクは3年の修業中に、自分なりに工夫したんですよ。何も教わらへんから、自分で何か勉強するほかないな思うて※4

落語を教えてもらえないから逆に自分から勉強をしたのだ。落語の本はもちろん、他人を笑わせるのだから雑学を豊富に知っていたほうがいい。だから普段読まない本も読み漁った。日常で見聞きしたことをノートに付け始めた。
そうして鶴瓶は悟ったのだ。

なぜ師匠は落語を教えてくれないのか。なぜそんな些細なことに怒るのか。
なぜ、なぜ、なぜ……?

「この『なぜ』を、いい年した人間が絶えず自分のなかで自問自答して、〈自分なりの答えを出すのが修業なんだ〉という事に気がついた」※4

大事なのは自分自身で答えを出し、それを自分で「そうなんだ」と信じ抜くことなのだと。

「弟子の時分からキッチリやって、いつか、なんぼ仕事きてても態度を変えずにやってれば、周りもオマエのことを認めてくれる」

そんな松鶴の教え通り、いまも日常生活を「普通の人」の感覚を忘れずにキッチリ生きる鶴瓶。日々勉強をし、常にノートを持ち歩きメモを欠かさない。

そしてあらゆる物事に対し、スケベに「なぜ?」と問い続けている。
鶴瓶のスケベのルーツは間違いなくこの師匠・笑福亭松鶴にあるのだ。

のちに松鶴は鶴瓶についてこう語っている。

「もう、おまえはほっといてもええわ。おそらくおまえはおまえで考えてることもあるやろうから、おまえの生き方で一つの芸域というものを築いてくれ。それがわしの望みや」※5

※1:浜美雪:著『師匠噺』(河出書房新社)
※2:笑福亭鶴瓶:著『哀しき紙芝居』(シンコーミュージック)
※3:『BIG Tomorrow』00年7月号
※4:『BIG Tomorrow』88年11月号
※5:『GALAC』08年1月号

この連載について

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鶴瓶のスケベ学

てれびのスキマ(戸部田誠)

芸歴40年を超える大御所芸人、笑福亭鶴瓶。還暦を過ぎた今も、若手にツッコまれ、イジられ、“笑われ”続けています。しかし、落語家なのにアフロヘアでデビュー、吉本と松竹の共演NGを破った明石家さんまさんとの交流、抗議を込めて生放送で股間を...もっと読む

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