オタクと形而上学(旧:山中芸大日記)
愛知県立芸術大学出身のある学生によるブログ。
実行犯判明と、より大きな蜘蛛の巣と――『絡新婦の理』(漫画版)第3巻
今回取り上げる作品は当然というべきかこちら、『絡新婦の理』コミカライズの第3巻です。
(前巻の記事)
各回の内容については概ね連載時に書いてきた通り。
(連載時の記事:第11話 第12話 第13話 第14~15話 第16話)
整理すると以下のようになります。
第11話:原作第6章(伊佐間パート)後半。刑事・木場修太郎が織作家の三女・葵から話を聞き、川島喜市の背景を突き止め始める。そして喜市の母親と思しき女性・石田芳江が住んでいたという小屋に向かうが、そこで次なる被害が……
第12~14話:原作第7章(美由紀パート)。美由紀は事件の真相に気づき始め、さらに学院を訪れた榎木津がさっそく殺人犯を指摘するが、ここでも新たな被害を止められず……
第15~16話:原作第8章(益田パート)。ここまでの顛末を京極堂に報告する益田。しかしそこに青木の報告が合わさると、同じ連続殺人の背景に別人による別の動機が見出されるという奇怪な事態が判明。「蜘蛛の巣」に喩えられる事件の複雑さと、真犯人「蜘蛛」の狡猾さが見えてきます。「自分が出て行っても同じだ」と事件解決には動こうとしなかった京極堂ですが、今川からの「織作家の呪いを解いて欲しい」という今川の依頼により、ついに腰を上げます。
かくして、今回は一つ一つの事件の実行犯が判明し、場合によっては捕まるという意味では「解決編」に入っているのですが、それぞれの事件には実行犯だけでなく様々な人間が関わっており、犯人を捕まえてもそれが次の段階の事件を呼ぶだけ、という構造も同時に露わになってきます。
ちょうど次の4巻(来年3月発売予定)で完結ということで、今巻が「転」で、ただ犯人を「捕まえる」だけでなく京極堂が背後関係を明らかにして締めるの次巻が「結」とも言えますが。
しかし、『魍魎』『狂骨』よりも原作のページ数は多いのに、コミカライズの巻数ではそれより少ない全4巻完結とは……
蘊蓄が端折り気味であったり、いくつかのやりとりが消えているなど圧縮を感じるのは、月刊連載という形式の都合もあったかもしれません(話しているだけの回がずっと続くことを避けたものか)。
ただ、掲載時の移動に当たっての(場合によっては早期終了も見据えた)様子見、そして最後はまたしても掲載誌の休刊と外的な事情が色々あったことですが分かっているだけに、やや残念な気はします。
いくぶんの圧縮を感じてもなお、素晴らしい出来のコミカライズではあるのですが……
そして、このコミカライズは原作の順番を入れ替えて美由紀編から始まったわけですが、最終巻も前半は美由紀パートの解決編となるわけで、(最後にこそ登場しないものの)最後まで彼女が主役の印象を残しそうです。
後、今回の表紙は木場。『コミック怪』時代はずっと京極堂だったのが、今作では京極堂、榎木津、木場と表紙のキャラを変えてきました。4巻は誰になるのでしょう。関口では冴えないだけでなく、今作でほとんど登場しない彼が表紙を飾るのも妙な木がしますが、はてさて……
また別の掲載誌を探して『鉄鼠』をコミカライズできるのか、それが気がかりです。
原作の順番(および作中の時系列)では先の『鉄鼠』がまだのせいで、たとえば今巻での敦子の「益田さん警察辞めちゃったんですか?」なんて台詞から二人に面識があることが分かっても、いつ会ってるのか不明なままなんですよね。
―――
そしてほぼ同時期に、コミカライズ第18話を掲載の『マガジンSPECIAL』も発売。
今回はセンターカラーです。
ちょっと謎の扉絵ですが。
内容に関して言うと……こちらは「憑物落とし」のカタルシスが関わるだけに、なんだか余計に急ぎ足なのを感じてしまうところはありました。
『姑獲鳥の夏』など、それまで皆が信じていた現実を解体され、あまにも残酷な真相を突き付けられていく辛さがありありと伝わってきたのですが、それに比べるといささか弱いかな、と。
ただ、そろそろ解決編ということで、どうしてもネタバレを含むので詳しくは追記にて。
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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育なぜそんな話に帰着してしまう!?
個人的には、とりわけ彼の短編には衝撃的なものが多かったのを覚えています。
たとえば「しあわせの理由」(同名の短編集に収録)は、少年時代に脳の腫瘍を治療すると同時に、まったく幸福感を感じられなくなってしまった青年の物語。
彼は幸福感を取り戻すため、脳内物質の操作による治療を受けるのですが、幸福も好みも脳内物質次第だとしたら、自分とは何なのか? という問いを投げかけてきます。
あるいは「ぼくになることを」(『祈りの海』収録)は、人格を含めた脳の機能を完全に複製する「宝石」を脳に埋め込むことが当然となった世界の物語。やがて老いて脳細胞が死んでいく脳から人格を完全に「宝石」に移し換えることで、不老不死すら達成できるのですが、やがて生体組織の組織を摘出して、すっかり宝石に入れ替わった時、それでも自分は自分なのか? という
このようにアイデンティティの問いに貫かれているイーガン作品ですが、今の私ならば、これはそもそも問いの立て方に問題があるのではないか、と問い返すこともできます。
つまり、そもそも人格を複製できるという前提から話しを始めるから、そういうことが問題になるのではないか、と。
しかし、仮に人格が物質としての脳の機能だと考えたところで、物質の状態ならば完全複製できるというのは本当か、ことはそれほど自明とは思えません。
それでも、イーガンの作品は強いインパクトを与える鋭さを持っていました。
――が、「祈りの海」(同名の短編集に収録)は正直なところ、つまらないと思いました。
「祈りの海」は、地球ではない異星が舞台です。
この短編の主題はつまるところ、宗教です。
舞台となる星の人間は皆、ある宗教的儀礼を行う習慣があります。その儀礼で喩えようもない多幸感を体験し、主人公を含む誰もが「これぞ神の御業」と信じていたわけですが、それがある時、微生物の分泌物による作用と判明。それじゃあ信じていたものは何だったのか、となるわけです。
……
この話は以下のような論法に基づいています。
(1) 多幸感を感じることから、その原因として神があるに違いないと考えていた。
(2) その多幸感が神なしで説明できると分かったならば、神は否定されるのではないか。
さらに突き詰めてみると、(1)のさらなる前提は結局、「多幸感のような一時的な心理状態こそ宗教の要であり、それを得ることこそ宗教的実践の目的である」というものでしょう。
が、考えてもみましょう。
たとえば、スポーツをすると疲れます。辛さもあります。しかし、達成感もあります。
では、疲れと達成感といった心理状態を脳内物質の操作によって再現できるようになれば、スポーツはもう必要なくなるのでしょうか。
スポーツ好きならば、そんなのはお話にならないと言うでしょう。
これは、「疲れと達成感」のような一時的な状態こそがスポーツの存在意義だと考える前提に問題があるからです。スポーツにおいて問題なのは過程です。その過程のあり方によって、様々な競技が分かれているのですから。
「祈りの海」の宗教観はこれと同じです。
そもそも、一時的な心理状態に限って言えば、いくら「神を体験した」と思ってもまやかしでもありうることは、古今の宗教家も説いてきたことではありますまいか。
「化学物質」という知識を挟んだところで事態に何の進展があるというのか、甚だ疑問です。
まあ、あらゆる宗教が一つの本質に合流するといえるほど、宗教が単純ではないのは事実。
一時的な状態を重視する宗教もあるかもしれません。
そして、宗教観が合おうが合うまいが、小説として面白いものはあります。
問題は――
「祈りの海」の主役の異星人たちは、地球人とは異なる独自の生態を持っています。何しろ、セックスすると男から女に性器が移って性別が入れ替わるのです。
そうした、独自の面白そうな設定がありながら、「その設定でこそできること」を掘り下げず、凡庸な問いを投げかけて終わり――これにがっかりしないでいることは難しいことでした。
イーガンの長編は2,3編しか読んでいませんが、同じような傾向を感じることがないではありませんでした。
何も問題はイーガンに限りません。
「その設定でこそできること」を活かさないで凡庸な問いに帰着してしまうのは、駄作の黄金パターンです。
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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育ネット書店を渉猟する
そこでものは試し、その名前でネット書店を検索してみると……
これは「著者ノーベル賞受賞記念!!」とか銘打って宣伝しても売れなさそうです。
ちなみに理科教科書の執筆にも携わっている模様。こちらは教科書選択にどの程度影響があるものか分かりませんが。
さらにどうでもいい話ながら、英語でAutophagyと題した本はたくさんあるのですが、フランス語でAutophagieとタイトルにある本はまったく見付かりませんでした。
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やはり外国人に声をかけられやすいのは京都駅や東京駅といった大きな駅です。
周りにたくさん人がいる中でなぜ自分に、と思いますが、外国人としてもなんだか話が通じそうな相手は直感的に分かるのかも知れません。
幸いにして、まずバス停の場所から答えねばならないといった難しいパターンには遭遇していないのですが(自分が普段使うバス停以外のことは分からないので、そんなことは日本語で聞かれても困ります)、意外なことで戸惑うことは何度かありました。
(1) 東京駅のホームで道を尋ねられました。相手が手にしている地図を見ると「Ueno」に大きく付けてあり、そこを指すので上野に行きたいことは誰でも分かることだったと思います。にもかかわらず、その地図を見て私はしばし首をひねりました。
少し経って気付きます。よく見ると地図の右下に「Subway Map」とあるのです。そしてここは山手線のホームだ!
東京の地下鉄路線図を見慣れている人なら0.3秒で分かったと思いますが、私は東京の地下鉄など数えるほどしか使ったことがないので、気づくのに時間がかかりました。
しかし実はそんなことはどうでも良くて、要はここは山手線のホームなのだから、ここに来る列車に乗ればいいだけです。逆回りに乗ってしまうと無駄になりますが、ホームにも駅名一覧があるので、それを見れば間違う余地はありません。分かれば伝えるのは簡単でした。
(2) 駅の売店で買い物としたところ、レジ横に立っていた外国人の女性から話しかけられました。
「Heat up」、つまり買った食べ物を温める方法を訊いている模様。
そこでレジの奥を見てみると、電子レンジは見当たらず。今し方会計を終えたばかりの店員さんに私が聞いて、ようやく店内の電子レンジをセルフで使用する形式であることを突き止めました。
ちなみに電子レンジがmicrowave ovenであるのを確かめたのは後のこと。普段学術書ばかり読んでいると、食べ物を温める話なんてしませんから。基本は指さし案内です。あまり英語を「話せる」必要性を感じません。
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日本では「古典」「名著」と言われるものの翻訳は次々と出ます。同じ本の翻訳が多すぎて、一般人向けに文献案内をしようとするとどれを挙げればいいのか分からず困ります(あいにく、既存の翻訳を読み比べることには普段ほとんど興味がないので)。
たとえば私の専門である哲学者ベルクソンの場合、第二の主著『物質と記憶』の新訳が、21世紀に入ってからすでに3つ出ています。
特に岩波文庫から新訳を刊行した熊野純彦氏はカント、ハイデガー、マルクス…・・とどれだけ古典の新訳を出してるんでしょうか。
しかし、その著作が「古典」「名著」と言われるような大哲学者についての「研究書」となると、ほとんどは専門家しか読まないでしょう。だから翻訳紹介されることもめったにありません(「研究書」の著者自身が翻訳紹介に値する学者だと認められない限り)。
が、専門家になるとそういう「研究書」を大量に読むことになります。二次文献としては必要だからです。
――で、そんなものばかり読んでいると忘れそうになるのですが、たまに広く本を探していると、世の中にはまだまだ面白い本があることを思い出します。
それも、たんに娯楽として面白いというのではなく、専門研究に関わる学術書で、なおかつ一般にもアピールできそうな面白さを備えた本が、です。
日本の書籍はリアルショップに並んでいるのを見るのもいいのですが、外国語の書籍はここでもネット書店が頼りです。
本当に、興味深い本があるもので……
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テーマ : 大学生活 - ジャンル : 学校・教育2016年9月の読書メーター
【漫画】
海底都市で暮らす女子中学生のまそらと澄音。地上の空を知らず、日常的にボンベを使って潜水したりしながらも、楽しく中学生をしている二人。だが実は、この都市の子供達の生まれと記憶には秘密が……地上に憧れ、管理をかいくぐって地上から来た男とコンタクトを取るまそら。特異な世界とその秘密、というネタ自体はオーソドックス。楽しい日常とそこに潜む不穏なものの描写は悪くないが、今後の展開次第かな。
これはすでに紹介したシリーズの続巻でも、原作紹介済みのコミカライズでもない新作です。なかなか興味深いはまだ評価は下しにくいところ。
(原作についてはこちら)
原作の順番通りに、原作1巻の第3話「不可視の胎児」途中まで。第1話「泡」は原作の1エピソードを1話で消化する展開の速さに少し驚くものの、特に過不足は感じず。絵は綺麗で読みやすく、キャラのイメージ的にも違和感はなく、良いコミカライズではないかと。ただキャラ紹介台詞の都合か鴻ノ池が鷹央と初対面扱いになってるのだけは気になった。「小鳥」という小鳥遊の渾名は伝わってるのに…。1話ごとに原作者による医療豆知識(原作にはなかった)が入っているのもポイント高い。
(前巻のレビューは2016年3月の読書メーターですが、抜粋に入れていませんでした)
原作5巻の最後、第1部完まで。バートランを失ったティグルだが、ついにテナルディエと決着をつけ王都に凱旋…漫画としてはストーリーの魅力と戦闘の迫力をよく伝えていて、今更特に言うことはない。予想はしていたが漫画版はこれで完結なのだけが残念。巻末の第2~3部予告編がまた素晴らしいクオリティで罪作り。そこでオルガやマトヴェイ、タラードの姿を見られただけでも重畳というべきか。いつか再開を期待したい。
ライトノベルのコミカライズとしてはトップレベルの出来で、これ以上語る必要もないくらいです。
ただ漫画の方が時間がかかり、原作の展開に置いて行かれる(そして、原作終了後のコミカライズをいつまでも載せ続ける余裕はどこもない)ためか、途中で終わることが多いのが現実で、本作もそれに漏れなかったのだけが残念です。
(前巻のレビューを含む記事)
ちおちゃん達にケツ闘(カンチョー)を挑む女子学生登場。その正体と真意とは…今回は5話中3話が彼女絡みで、少しずつ話が繋がって過去の件にも繋がる事態が明らかになりつつ、ちおちゃんのダメっぷりを小学生にもアピールする展開、相変わらず巧み。残る2話は真奈菜オシャレなコーヒー屋に挑む、と真奈菜傘を振るって大賢者気分、と真奈菜が目立った。ちおちゃんのゲーム感覚にこうも乗せられる彼女も同類なのがよく分かる。巻末のおまけも本作らしく、モブキャラまで見事にゲスなこと。しかし安藤さんはいい役所なこと。
(前巻のレビューを含む記事)
肖像画家兼、令嬢カタリーナの礼儀作法の家庭教師としてヴェネツィアにやって来たアルテ。だが礼儀作法が身に付かないというのは表向きの姿、作法に乗っ取った振る舞いも授業も拒む彼女の秘密とは…。貴族社会の慣習への反発と、好きなことの追究。自らも貴族の家を出て画家を志したアルテにとって共感するところがあろうが、このままで良いとも思われず、家庭教師の仕事も果たさねばならない。社会慣習から外れ、穴を開けて生きつつ、積極的に変革すべく戦うわけではない生き方、どこに落とし所を見出すか。相変わらずアルテの明るさが気持ちいい。
【小説】
(前巻の記事)
心を書き換えてられ連れ去られたスヴェンを取り戻すべく、レベッカの協力も受けて王都ベルンに向かうルート達。ゲーニッツ中将との過去、対決、そして迫られる決断。宮廷賢者ハヌッセンに前々から仄めかしはあったブリッツドナー、それに極東の国ヤマトの人達と、割と上手い具合に助けが入る展開が目立ったが、まあ布石はある程度はあった、ということか。まだ続くということで、物語の向かう所はまた分からなくなった。まあ問題は、不穏な、そして万能の解決はない国際情勢の中で、それでも彼らは一介のパン屋として生きる、ということなのだろう。
(前巻の記事)
迷宮司書官の資格を受験することになったメリダとエリーゼ。だがそこには「革新主義者」達の陰謀、さらに犯罪組織「黎明戯兵団」の襲撃が…。前巻よりも命のやり取りを巡る緊迫感は高く、一人一人の成長も感じられたのは良かった。ただ前巻で登場した他の騎士公爵家の娘ミュールとサラシャ、それに今回の黒幕セルジュ公といった面々の思惑と陰謀、メリダの父フェルグス公の意志、そして最後にはロゼッティと成長と彼女とクーファの絆と色々あって、しかもまだ謎も多く、もうちょっと一人ずつの動向と心情に集中しても良かったのでは、と思ったり。
ルチアは王城に勤める洗濯婦だが、汚れを落とすシャボンの魔法を使える。そんな彼女の魔法に魔物を鎮める力もあることが判明し、異世界から召喚された聖女の浄化の旅に急遽同行することに。現代日本からファンタジー世界に召喚された女の子が脇役で、平凡なつもりで実は非凡だったその世界の少女が主人公の物語。異世界から無理矢理呼ばれたマリアの我が儘ぶりと、彼女とルチアの交流もいい感じ。ルチアの明るいキャラで楽しませてくれる。ただ最後で不穏な急展開に突入。引きを計算してのことか、単にページ数の都合か……
「小説家になろう」の女性向け作品を書籍化するレーベル、アリアンローズの新作です。
18歳にしてデンバー魔法大学の教授に就任した結界魔法の研究者コルク。当大学の学長を務めるのは、十代前半の姿のまま250年を生きる不老少女レイチェル。何だろう…話の比重としてはコルクと幼馴染みのアレン、カリナの三角関係を巡る話が一番大きく、無意識の結界魔法に苦しむ少女と結界魔法研究の話が所々で、そしてレイチェル学長の過去と黒幕を巡る話が最後に披露されて終了した感じ。バランスは良くない。魔法研究は主人公がそれほど成果を披露することなく半端だったし。ただ期日に追われるもめぼしい成果のない状況に親近感は湧いた。
最近は文庫でのライトノベルを刊行していたところが、判型が文庫でなく単行本のレーベルを新たに立ち上げることが増えており、ついに『このライトノベルがすごい!』でも文庫部門から独立した単行本部門が新設されるほど。
単行本はWEB作品の書籍化を中心にやっているところも多いのですが、本作はWEB出身ではない新作の模様。
ただ内容については……どうもいくつかの題材間でのバランスの悪さが目立ちます。
余談ながら、不老の少女と彼女をそのような身にした黒幕、という構図は『魔法先生ネギま!』のエヴァンジェリンと始まりの魔法使いを思い出したり。
【スポーツ】
オリンピックは開催国の利益やアピールのために行うものではないし、選手あるいは団体同士の争いであって国同士の争いではない。重視すべきは歴史・文化・環境である。その意味で2020年東京オリンピックの政府方針には問題が多いことを、政府方針とオリンピック憲章を比較検証、また'64年五輪との対比も行って指摘。そして、本来のオリンピズムの精神に適ったスポーツ選手・スポーツ界にできることの提言。五輪が頂点とは限らない、競技の発展のためには五輪に依存すべきではないという最後の話も含めて、概ね納得できる内容であった。
最後には2020年東京オリンピックの政府方針がそのまま掲載されていたりで(まあ資料として便利ではありますが)、ただでさえ200ページに満たない本の中で著者の論に割かれているページはさらに少なめ。
ただ、論旨は明瞭です。
誘致の段階から私も反対してきましたが、他にも疑問はあります。
たとえば、なぜ野球が五輪種目入りなのか。
あんな不祥事があったばかりで――というのもさることながら、そもそもなぜそんなに五輪種目入りさせたがるのでしょうか。
たとえば国会議員を務めている堀内恒夫氏のような年長の世代は「やはり国際大会の頂点と言えば五輪」というイメージが強くて、この件を熱心に進めてきた感があります。
そんな中、五輪は限られた日程で消化せねばならない都合上、参加国が限られ、強豪国が予選落ちしてしまうことがあるなど問題も多い、競技の発展のためには五輪依存から脱却を、という本書の論は腑に落ちるものでした。
タイトルの「崩壊」は大袈裟、7月時点で今期前半の総括的プロ野球評論という感じ。最新の話題メインなのが見所。全体に文章の繋がりが途切れがちで散漫な印象はあるが、目立ちたがり自己中采配の目立つ阪神・金本、何もしている気配のない読売・由伸への批判は明瞭。その他球団への言及は少なく、中日・谷繁への期待とDeNA・ラミレスへのダメ出しは外れ。ハム・栗山への評価と合わせてその後変化したか知りたいところ。「ソフトバンクのネックは工藤監督」は当たりか…ちょっと笑う。不祥事続く球界への警鐘とリーダーの資質は傾聴の価値あり。
名指しで「巨人びいき」の審判を批判し、彼が審判部長や指導員になったので「驚いた」、「とても人の上に立つような人材ではない」と言った挙げ句、「こういう審判がいなくなったのも、巨人が弱くなった原因の一つだろう」(p. 115)だとか、毒舌ぶりは過去著作以上。野村氏の著作には内容の被りも多いのですが、本書は最新の事情をもっぱら扱っていることもあり過去著作との被りは少なめで、その点では悪くない一冊。
ただ、一節の中で一つの主題に関して、肯定的な論調から否定的な論調へ(あるいはその逆に)話がズレていったりと、いささか論旨が散漫な印象はありました。
【学術系】
C.P.スノー『二つの文化と科学革命』。科学と文学、つまり理科と文科という二つの文化の分裂と相互無理解を指摘、だが他方で産業革命のような近代の「科学革命」以降、ますます社会における科学の影響力が大きくなっている現状を見て警鐘を鳴らす。割とイギリスとアメリカやロシアとの比較が多いのが印象的。後半は産業を手にしているか否かによる世界的な貧富の差を問う。今なおアクテュアリティを失わない好著。慣用句的な言い回しが多いのが学術書に慣れてるとやや馴染みにくい英語だったが。なお邦訳にあるその後の考察や解説は収録なし。
邦訳はこちら↓
読んだ本の詳細は追記にて。
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しかし、入学試験の結果待ちでそこまで緊張した覚えもないのですが。
まあ入試は今や、事前に結果を判定しやすいというのもありますし、それにだいたいいつ合格発表が行われるか分かっているというのもあります。いつ通知が来るか分からないものを待っているのは、結構精神的に負担なのです。
(しかも学会誌に投稿した論文の査読結果は合否いずれにせよ通知が来るからいい方で、世の中には話が完全にスルーされるということもあり得ますし……)
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さて、また少し遅くなりましたが、今月も『マガジンSPECIAL』発売、『絡新婦の理』コミカライズ第17話掲載です。
内容的には当然原作第9章、つまり美由紀編(聖ベルナール女学院)の締めに入ります。
実行犯が捕まったものの、まだ決定的証拠は挙がっていないから警察には引き渡せないとか(保身のため)あれこれ言って警察と揉めている学院関係者たち。
そんな中、渦中の美由紀は自分の犯人指摘が正しかったのか、今更悩んだりするのですが……
そこえすぱっと断言し、「前向きに生きなさい」と言ってくるのが、榎木津です。
原作だと、善人ではあるけれど今一つ言葉に実感のない柴田(前理事長)とは正反対だとか書かれていて、真剣味がないように見えて不思議と頼れるし、勇気付けられる榎木津への美由紀の信頼感がよく伝わりました。
その辺は漫画版でもよく感じられます。
そして、「うるさい奴」こと京極堂が来ることを告げる榎木津。
「探偵のお仲間ですか?」と美由紀が訊くと……
(京極夏彦/志水アキ「絡新婦の理」『マガジンSPECIAL』2016年No. 10、講談社、p. 268)
(同誌、p. 269)
「あれはどちらかというと死神だな…悪魔かな?」
「この世界はなるようになるようにできている なるようにならないようにする為にはあの男が必要だ」
今回の作品においては、真犯人「蜘蛛」の仕組んだ仕掛けにより事件が進展していくことは京極堂と言えど止められないのですが、しかしこの言葉はある意味で当を得ています。
起こる出来事は起こる。ただ言葉を操る陰陽師は、意味を変えることができるのです。
そんな中、この期に及んで両方への同情から、犯罪を指摘する側(美由紀)と指摘される側とで「意見のすりあわせ」はできないか、等と言いだす柴田前理事長。
学院内から売春・殺人者を出し、その犯行が確定すれば学院経営を続けることは難しいという状況ですが、ここで「最善を尽くそう」と言うのも、往生際が悪いだけにしか見えません。
(同誌、p. 271)
そしてそんな学院に、目潰し魔の捜査に木場修が訪れます。
(同誌、p. 278)
原作だとここで、美由紀が木場のことを「この人が探偵の呼んだ悪魔?」と思うものの、榎木津の反応からすぐに違うと気付いたり、はたまた30何年の付き合いらしいが罵りあってばかりの榎木津と木場の関係(まさに男の友情)を理解できなかったりする場面があり、それはそれで好きな場面だったのですが、漫画版では誌面の都合でカット。
まあ、ストーリーへの影響は少ない部分なので、仕方ないところでしょうか。
そんな中、学院内に勾留中の容疑者が新たな騒ぎを起こすのですが、その緊迫感の中、ついに京極堂が登場。
(同誌、p. 285)
とは言え、京極堂の仕事はたんに事件を解決することではなく、「呪い」を解いて、犯人たちが自らのやったことを受け入れられるようにすることです。
それがただちに「救い」になるとは限りませんが、しかし救いの可能性はおそらくそこにしかないのです。
かくして、次回から京極堂の憑き物落としが始まります。
(同誌、p. 296)
―――
来月には単行本3巻も発売予定で楽しみ……と思っていると、なんと『マガジンSPECIAL』休刊の報が。
『コミック怪』に続き、なぜ掲載誌の休刊が付きまとうのか……
2017年1月20日の号で最後ということは、あと4号でしょうか。
本作に関しては一応、原作第9章と第10章を2話、第11章を1話で片付ければ休刊号で完結できる計算ですが……あまりそのしわ寄せが出ないことを祈ります。
そして、百鬼夜行シリーズ残り作品のコミカライズはあるのでしょうか……何とか、また別の掲載誌を見つけてやって欲しいところですが。少なくとも飛ばした『鉄鼠』を……
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