戦後の前衛芸術をリード 中西夏之さん死去
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戦後の前衛芸術をリードした美術家の中西夏之さんが、23日、脳梗塞のため都内の病院で亡くなりました。81歳でした。
中西さんは昭和10年に東京で生まれ、東京芸術大学を卒業したあと、昭和38年に高松次郎さんや赤瀬川原平さんとともに、前衛芸術グループ「ハイレッド・センター」を結成しました。
東京オリンピックが開催された昭和39年には、東京・銀座の道路を洗うパフォーマンスを行い、多くの人の注目を集めるなど、戦後日本の前衛芸術をリードしてきました。その後は、東京芸術大学など複数の大学で教べんを執りながら、紫色の紙と砂などを使って京都の盆地を表した立体作品『着陸と着水』や、抽象画の『山頂の石蹴り』など、さまざまな創作活動を続けていました。
関係者によりますと、中西さんは数年前から体調を崩していましたが、23日午後6時40分、都内の病院で、脳梗塞のため亡くなったということです。
東京オリンピックが開催された昭和39年には、東京・銀座の道路を洗うパフォーマンスを行い、多くの人の注目を集めるなど、戦後日本の前衛芸術をリードしてきました。その後は、東京芸術大学など複数の大学で教べんを執りながら、紫色の紙と砂などを使って京都の盆地を表した立体作品『着陸と着水』や、抽象画の『山頂の石蹴り』など、さまざまな創作活動を続けていました。
関係者によりますと、中西さんは数年前から体調を崩していましたが、23日午後6時40分、都内の病院で、脳梗塞のため亡くなったということです。