昨夜、ちゃぶ台のうえに嫁氏は4000円を叩きつけた。
ぼくはその4000円を嫁氏のほうへすっと押しもどしたけれど、彼女はそれをつかむとふたたびぼくのまえに叩きつけ、
「その頭だけは勘弁してくれ」
というのだった。
これはきのうの「美容室をやめて理髪店にいった」話のつづきにあたる。
先にいっておくと、量産型おっさんヘアスタイルになったことで、夫婦喧嘩になったのだ。
きょうは髪型はじぶんだけのものではないという教訓をここでみなさんと分かち合いたいとぼくはおもう。
守るべきもの、たいせつなひとがいる方にこそ、読んでもらいたい。
ここまでのあらすじ
金がないので1000円カットにいったら、還暦くらいのおじさんにパナップみたいな髪型にされましたとさ。
それについてぼくはじぶんの社会的立場そのものだと解釈し、歯を食いしばって受け入れた。いつかもっとお金を稼いで、その時におしゃれを取り戻そうと心に誓った。
そもそもなぜ髪の毛を切りに行く必要があったのか
実はちかく東京にいく用事がある。先日の河出書房新社主催の第53回文藝賞を友人の町屋良平の「青が破れる」が受賞したということもあり、その受賞パーティーに出席するためというのがメインの目的である。
そのほか、ちょっといま仕事にしたいとおもっている案件でお世話になっている方々にごあいさつにいく、など普段引きこもっているぼくにとっては間違いなく今回の上京は今年いちばんのイベントということになる。
嫁氏はぼくに、
「身なりは頼むからきちんとしていけよ」
と何度も警告してきた。そこについてはぼくだって元営業職の人間だし、ちゃんとわきまえているつもりだ。だいじなのは会うという瞬間にある。最後に髪を切ったのは学生時代の友だちの結婚式の前で、それからかれこれ三ヶ月になる。そのあいだ、とくに社交的な場というものはなかったので、お金と時間の節約のために伸ばし散らかしてきた。
「人間は第一印象できまるからな」嫁氏はため息をつき、続ける。「ただ伸ばし散らかしてるのをざっくりみじかく切りゃあええってもんでもないねんで。あんたが1000円カットにいくやろ、そんでジャイアント・コーンみたいな髪型になって、それを初対面のひとがみたらどうおもうねん」
「ちょっとわらうくらいやろ」
「おまえはそこがあまいねん」嫁氏は語気を荒げた。「そういうやつに、クリエイティブをかんじるかってことが、いちばんの論点やねん」
「いや、こんかい会うひとはぼくのつくったものをすでに読んでくれてて、けっこう買いかぶってくれていたからそこは大丈夫だとおもうんだけど…」
「あとわたしが生理的に嫌や」
「お、おう」
「そんな髪型のやつとならんで歩きたくないねん」
「まじか」
「まじで」
そして4000円を叩きつけられた
前置きが長くなってしまって申し訳ないけれど、そういうわけで冒頭のシーンにいたったのである。
日帰りの東京出張から遅くに帰ってきた彼女はぼくの髪型をまじまじと見ては、
北朝鮮の人だの、
国産の松茸だの、
あらゆるものにぼくの髪型を譬えて罵倒した。
口ぶりから察するに嫁氏の政治的嗜好に由来する嫌悪をぼくの髪型に重ね、第一級の秋の味覚の尊ささえもダークサイドに落としてまで、なぜぼくを責めるのだろうか。
「できるだけはやく髪の毛を切りに行ってこい」
金がないなら貸してやる、といって4000円をぼくの方へ押しやる。
「でもこんだけ短く切られたら、美容室行っても意味なくないか?」
「それはわたしたちの決めることじゃない。美容師さんが決めるんや」
「無理やって。ワックスとかつける意味すらない長さやで」
「プロの仕事をなめるな」
※ちょっとCM ぼくの髪の毛を切ってくれる美容師さん募集中!
嫁氏の美容師さんへの信頼を信仰に近いものにまで変えてしまったことに、さすがにぼくも悪いなとおもった。嫁氏は俯いたまま、肩をこわばらせていた。
得られた教訓
あなたは
「どうせ髪型なんて」
「別にモテたいとかないし」
「おしゃれは食べられない」
なんて思っていないでしょうか?
ぼくはいま、声を大にして言いたい。
髪型はじぶんだけのものじゃない。
あなたのその短絡的な判断が、
あなたのその即物的な嗜好が、
あなたのその身勝手な振る舞いが、
あなたの大事なひとを傷つけてしまうのです。
もちろん、今回のぼくらのケンカについて、理髪店勤務の還暦くらいのおじさんはなにも悪くない。彼は仕事をして、報酬を受け取ったにすぎないし、きっと彼の散髪によってしあわせを手にしたおっちゃんだって多いはずだ。
ぼくが悪かったのは、ぼく以外のひとの声に耳をふさぎ続けたことだ。
いいか、一度だけしか言わないぞ。
「ひとは、ひとりでは、生きられない」
ぼくはいま、涙でカピカピになった4000円を握りしめながら、この文章を書いている。
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