2016-10-18 ホント世間は地獄だぜ
森に生えてる木々は似ているようでどれも同じではない
なるほどなと下の記事を読んだ。
このタイトルを見て思い出したのは、『フルメタルジャケット』のあのセリフでw
「(世間から)逃げる奴は発達障害だ、逃げない奴はよく発達した発達障害だ」
と言う感じの連想をさせたいんだろうなと。
よく誤解されるんだが、発達障害というか、自閉症スペクトラムの人たちは、いつまでも同じ状態にいるわけではない。例えば、発語が乏しく、表情も出にくいなど、コミュニケーションに困難を抱えていても、次第にそれぞれの子なりの表現で意思を伝えてくるようになる。カードを使ったり、メールを使ったり、何らかの手を身に付ける。教育されなければできないというわけではなく、なんとなく、できないことをできるようになることもある。
子どもがひとつひとつ課題を克服して、能力を身に付けることが「発達」と言えるだろう。発達障害を疑われる子たちは、それが普通の子と進み方がまったく違うから、『発達障害』というんだろう。あれはできるのに、これはできない。みたいな個々の発達に差が大きく、同年代の子から見て、差が激しいと、“発達に障害があるのでは?”と疑われる。傍からみても、能力がゼロではなく、ある部分が抜けているだけみたいなので、「訓練したら治りそうだね」とか言ってしまいそうだ。
だから、「よく発達」させれば、普通の子に近づいていくと、親も思ってしまうんだがなぁ。
発達してない部分を伸ばせばいいじゃないかって発想にはまりがちなんだが……それがとても難しいから、発達障害なんだな。そして、「よく発達した」としても、脳の構造や五感など生得的なものは変わらない。治療をして、感知するようなものじゃないんだよなぁと。
ま、そういうわけで、上の記事を読みながら、娘は「よく発達した」側に入っているんだろうかと思った。
見た目楽しそうなJKとして日々を過ごしているが、世間に合わせるために、本人がどんだけ苦労と努力を重ねているのか知っていると心配になってくる。「よく発達する」ことは、本人にとっては、常に緊張しながら、アップデートを繰り返すみたいな状態。それが延々続くのを、傍からハラハラ見守るってことでもあるんだろう。
発達障害という診断名によって、これまで生き続けてきたという事実が棄損されることがあってはいけないと私は思うし、それは、発達障害という診断名に該当しないけれども種々の個人差を抱えながら生きているすべての人達にも当てはまることだと思う。その延長線上として、現代精神医学の診断病名に該当しないからといって、その人が「ラクな人生を歩んでいる」などと謗る論調にも私は与したくない。医学的な判断の根拠となる診断基準のさらに根っこの部分には、「ともかくも娑婆世界で生き続けている人は、みんな、たいしたものだ」という理解と、生きている人達への敬意があってしかるべきだと思う。そこのところを、発達障害と診断される人もされない人も見失ってはいけないし、発達障害と診断する側も見失ってはいけない、と私は思う。
要は、世間が、地獄過ぎなんだよね。