「泣いた」ではだめなんですか?(蓮舫風)
僕もSNSを少々やってたりするんですが、いわゆる普通の人の書いているのをつらつらと眺めていて、女子がたまに使う言葉がこれ。Facebookとかでもよくみるやつ。
号泣。
とりあえずたった今Twitterで流れてきた号泣をお送りしましょう。
- アニメ1話を見て号泣
- 第九を聞いて嗚咽する程号泣
- もうダメだ号泣
- 話深すぎて号泣
- どこかで聲の形見る。号泣予定なので
- んで笑ってコラえて観て号泣
- とても感動して号泣
- 我々おそらく号泣
- もう嬉しすぎて号泣
君ら、泣きすぎや。「号泣」で検索してコピペしてる間にまた溜まってるがな(号泣)
もう調べへんけど。そもそも号泣の意味、知ってるんだろうか。
たぶん意味間違えて使ってるし(号泣)
号泣というのは「大声を出して泣き叫ぶこと」です。(大辞林3版)さっきのTwtterの号泣って大声を出して泣き叫ぶ感じの出来事じゃないんですよね。どちらかというとTweetで流れてきた号泣の意味って「感極まって激しく泣く」という感じで、大声という感じじゃないなって。
平成22年に文化庁による「国語に関する世論調査」で面白い結果が出てました。
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/kokugo_yoronchosa/pdf/h22_chosa_kekka.pdf
号泣する、という言葉について載っている部分について貼ってみます。
「最近の若いやつは言葉の意味を間違えちゃって」ということでなく、全年齢が総じて意味を間違えているという結果になったのだとか。本来の意味ではない「激しく泣く」のが号泣するである、という認識が「本当の意味」になりつつあるという。
感動や悲しさ、いろんな感情を表わす言葉の中でも「号泣」は大声で泣き叫ぶというよりももっと感情を露わにした「激情の表現」として使われているのかなと。
なんか意識高いワードっぽくない?
「号泣」という言葉になんだか「意識高い系」なにおいを感じるのは僕だけでしょうか。なんかこの「号泣」という言葉を使う時、なんか自分というものをアピールした狙いを感じるというか。
- あの映画を見たら感動して号泣しちゃった。
- サプライズのプレゼントにびっくりして号泣しちゃった
別にこういうケースだったら「泣いた」でも良いわけじゃないですか。「感動して泣いてしまった」でも「びっくりして泣けてきたわ」でも。
でもそこに「号泣」という言葉を出されるとなんか「私って号泣しちゃうくらいハートがあったかいのよ」的なPRっぽいものが見えるのだ。そう、まさに意識高いっぽい。
ただ自分の自撮りをすればいいのになぜか外車と一緒に写真を撮ってしまったり、なぜか住んでもいないのにタワーマンションの玄関で写真を撮ってしまったり、何でもかんでもとりあえずポジティブ転換してしまうような。
そう、彼女ら(一部の彼ら)は号泣したいのである。号泣することで「私のピュアさ」をPRしたいのではないかと考えるのですよ。意識たっけーな君たち!
いやちょっとまて、Twitter見てると以外にも男子でも号泣、使ってるな号泣。
終わりに。
別にどっちでも良いじゃないかという「号泣」の使い方について1200文字ほど使って書いてきたわけですが、最後にもうヒトコトだけ言わせて下さい。
号泣っていっぱい書いてる間に号泣の「号」がハングル文字に見えてきた(笑)