うちのセツシは返事をしてくれるんですよ!
いきなり元気いっぱい馬鹿まるだしで申し訳ない。どうもネコを語ると馬鹿がまるだしになる。しかし事実なのである。名前を呼ぶとかなりの確率で「ニャッ」と返してくれる。これにわれわれは興奮している。
「セツシ!」
「ニャッ!」
これだけのことで、われわれ二人は軟体動物のようなグニャグニャの状態となる。ネコの返事は酢より効く。腰くだけの意味を身体で教えられる。たしかに、腰はくだける。
ネコ狂いの三十六歳女性がこれを見逃すはずもなく、「動画撮ろうかなあ!」と言い出したんだが、即座に「でも、あたしの声も入っちゃうな」と続けた。
「こういうのに入る飼い主の声、だいたいキモくなるからな……」
これは本当にそうで、でれでれした三十男(私)の「ウハッ!」という声が入ったりする。機械というのは冷淡なものだから、われわれがネコを見たときの恥ずかしいリアクションまで淡々と記録するのである。
だから過去に撮った動画を見ると、ネコが腹を出して転がるたびに小さな音量で「フハッ」「ムハッ」「フホッ」と男の吐息がもれている。最低の副音声である。
私および三十六歳女性の「デュフ、フウッ、デュフウ……」というくぐもった笑い声が入っていることもある。その声は幸せそうではあるが、客観的に聞きたい類のものではない。ネコのかわいさに比例して飼い主のキモさも増してゆく。これは宿命である。
「セツシ!」
「ニャッ!」
「デュフッ!デュッ!デュフフ!」
動画を撮ればこうなるわけで、ネコの返事うんぬんよりも、その後の照れたトロルみたいな生き物はなんなのかとなる。返事をするネコよりも珍しい生き物の声が入ってしまっている。気が散って仕方ない。
ということで、三十六歳女性はあまりネコの動画を撮らない。撮る時はニヤニヤをおさえて険しい顔で撮っている。たまに小鼻がヒクヒクするだけだ。返事をするネコをわれわれは二人だけで楽しんでいる。
恥ずかしい声の話はこれで終わりで、少し話題の角度を変える。
ネコ的に、返事をするのはどういう気持ちなんだろうか。あれは挨拶なのか。だとしたら何度も挨拶するのはおかしい気がする。われわれは嬉しいから執拗に名前を呼ぶが、そのたびに「ニャッ」と返事するのはネコ的に面倒なのではないのか。
しかも最近自覚したのは、われわれはさんざん名前を呼んでおいて、「ニャッ」と返事をもらえたら「どうしたの~?」と言ってる。これは異常なやりとりである。自分から話しかけているのに「どうしたの~?」は絶対におかしい。しかも正確には、
「んんん~、どぅおしたのぉ~?」
であり、鼻の下は際限なく伸びている。その表情はドスケベな馬という感じ。
ということで、自虐風の自慢で締めさせていただくと、ネコを飼うのは本当に大変である。日々、見たことのない自分を発見させられる。具体的には、照れたトロルとドスケベな馬である。ろくな自分がいない。