『ハドソン川の奇跡』は実際の事件を元にした作品である。わずか7年前のできごとなので、記憶している人も多いだろう。2009年1月15日、ニューヨーク・ラガーディア空港を離陸した飛行機が鳥の群れに衝突し、左右の両エンジンが推力を失う非常事態が発生した。一歩間違えば、大都市マンハッタンの中心部へ墜落する危険性もあるなか、ベテラン機長のチェスリー・サレンバーガーは、ハドソン川への緊急不時着水を選択する。着水は成功し、乗客と乗務員を合わせた155人は全員無事、機長は一躍アメリカの英雄となった。しかし事故後の調査結果から、飛行機は空港へ戻れたのではないか、エンジンは推力喪失していなかったのではないかといった疑惑が生じた。無謀な不時着水で乗客の命を危険にさらした可能性があるとして、国家運輸安全委員会から厳しく追求される機長。最終的な結論は公聴会に持ち越されることとなった。監督は、『グラン・トリノ』(’08)、『アメリカン・スナイパー』(’14)などで知られるクリント・イーストウッド。
本作で中心となるのは、果たして機長の判断が正しかったのか、公聴会によって真実がつまびらかにされるまでの過程である。そのため本作は、裁判映画のかたちを取っている。アメリカ人は、何しろ裁判映画を好む。「じっさいハリウッド映画においてもっとも息の長い人気サブジャンルは裁判映画(法廷映画)である。アメリカ人が大好きな映画ジャンルはSF映画でも戦争映画でも、まして西部劇でもなく、明らかに裁判映画である」*1と論じたのは、映画批評家の加藤幹郎である。
加藤よれば、裁判映画にはアメリカ型民主主義のエッセンスが凝縮されているという。市民が参加し、全員一致によって被告人の罪を決する陪審員制度を含め、評決が徹底した話し合いのすえにくだされるがゆえに、裁判はアメリカ型民主主義を体現しているのだ。アメリカン・ドリームの達成には、万人に法の正義が適用される環境が必要であり、アメリカのデモクラシーそのものを題材とする裁判映画は、観客の心をかきたててやまない。これまで長らく俳優、そして監督として、アメリカの精神を描きつづけてきたイーストウッドが、裁判映画のフォーマットを通じてヒーローを描くという図式には大いに納得がいく。これぞアメリカ映画、という堂々とした作風である。
両エンジンの損傷が発生してから、不時着水までわずか208秒。本作の脚本を手がけたトッド・コマーニキは、「サリー(著者注:機長の愛称)にとって、それまでの人生すべてがこの離れ業のための準備期間だったのです」と述べている*2。ある決定的な一瞬のために、全人生が存在していること。機長は、来るべき208秒のために、生涯を通じて訓練を重ねてきたのだといえる。このような瞬間が自分にも訪れるのだろうかと、観客は想像をめぐらせるだろう。果たして自分は「決定的な一瞬」に正しい判断ができるものだろうか?
ここでイーストウッドは、人生をある種の貸し借りに近いものとしてとらえているようだ。それまでの人生をすべて清算しなくてはならないタイミングが、不意に訪れるのだと、この映画は伝える。思いもよらぬ瞬間に、人生はあっけなく破滅してしまうことがあり、こうした危機を乗り越えられるかどうかは誰にもわからない。機長に訪れたのは「清算日」のようなものだ。そして彼は、職務に対する実直さをもって乗り越えた。
ある日、それまでの人生をすべて清算する瞬間がやってくるとして、人はそのようなタイミングを無事に乗り切ることができるのだろうか。「清算日」は、われわれを怯えさせる。それは未来の不安そのものであるためだ。ただ実直に機長の役割をこなすサレンバーガーは、日々の訓練という名の貯金を40年に渡って続けたことで、突然の「清算日」にも支払いができた。こうした貸し借りの感覚はどこか宗教的なイメージもあり、人をふしぎな気持ちにさせる。
本作のテーマが他人事でないのは、観客もまた、いつかやってくるであろう決定的な一瞬を予感しているためではないか。トム・ハンクス演じる機長のひたむきさは、日々の積み重ねがあれば予期せぬ危機を乗り越えられるという希望へとつながる。いつの日かやってくる「清算日」へ向けて、静かに備えてきた男の姿に鼓舞されるのだ。
*1 加藤幹郎『映画の論理』(みすず書房)p102
*2 『ハドソン川の奇跡』劇場用パンフレットより引用
『ハドソン川の奇跡』
公開日:2016年9月24日
劇場:丸の内ピカデリー 新宿ピカデリー他全国ロードショー!
監督:クリント・イーストウッド
出演:トム・ハンクス、アーロン・エッカート、ローラ・リニー
配給:ワーナー・ブラザース映画
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