「チンポというのは……」
突然、立川談志が語りだした。
2010年、癌で入院中の立川談志を笑福亭鶴瓶が見舞った時だ。
病状は厳しい状況が続いていた。口を開くのもツラい症状だった。
そこには荒々しい落語の革命児の面影はなかった。
二人きりの病室。談志は軽く挨拶をした後は、何も口を開かなかった。
鶴瓶もそんな空間がどこか心地よくて黙っていた。
穏やかにゆっくりと時間が流れていた。
沈黙を破ったのが談志だった。
唐突に「チンポというのは」と何の脈絡もない話をし始めたのだ。
「(ビート)たけしは出せといったら出す、三枝(現・桂文枝)は出さない、鶴瓶は出せと言わなくても出す」※1
いつだってチンポ丸出しの人生
まさに鶴瓶は、チンポを出し続けてきた人生だ。
では、鶴瓶にとっての「チンポ」とはどういった意味を持つものだろうか。
ひとつは、その開けっぴろげなスケベな性格を象徴するものだろう。
そしてもうひとつ、実はパンクな反骨精神の象徴でもあるのだ。
鶴瓶のチンポ丸出し人生は学生の頃から始まっている。
クラスの人気ものになったのもチンポがきっかけだった。
「技術」の授業中、やはりそれを露出すると自ら万力に挟んでみせたのだ。
クラス中が大爆笑。一気にクラスの人気者になった。
高校時代の親友「木村」と仲良くなったきっかけもチンポだった。
入学後まもなくの英語の授業中。担当の先生はグラマラスでセクシーな女性だった。
近くの席に座っていた木村はマジメそうな顔で授業を受けている。当然だ。
そこで鶴瓶は、またそれを露出し、それを木村に見せつけたのだ。
木村の顔はこわばった。見てはいけないものを見てしまった、そんな顔だった。当たり前の反応だ。
だが、この一件が二人の距離を急激に縮め、大親友となっていったのだ。
鶴瓶はこのときのことを述懐してこう綴っている。
「よくこういう場合、“手の内を見せてしまう”などという表現を使うところだが、僕の場合は手の内ならぬ、チンチンまで見せることで、相手のふところに飛び込んでしまったのである」※2
弟子入りした後も同じだ。師匠から落語は教えてもらえなかったが、飲み会などには「座持ちがいい」からと必ず連れて行かれた。
そこでも鶴瓶はよく脱いで先輩たちを笑わせていた。
さらに『爆笑寄席』(関西テレビ)出演時、横山ノックと唐丸籠に入れられた際、セクシーな女優を見ながら本番中に自慰をしただとか、テレビ局のエレベーターで上まであがって、下に戻ってくるまでにオナニーでイクことができたら、千円をもらうというゲームをしていただとかといった露出エピソードを挙げればキリがない。
人との距離を縮めるためならどこまでも自分を開けっぴろげにする。そのためにはチンポを出すことなど彼にとって造作もない。これがタモリが命名した「自“開”症」たるゆえんだ。
生放送での露出事件
極めつけはテレビカメラの前でのチンポ露出事件だろう。
しかし、これは動機が大きく異なる。
「続いては温泉リポートです。どんな美女が登場するのでしょうか?」
番組アシスタントがいつも通り進行すると、カメラは温泉に入ろうとする“美女”の足元をとらえた。そのままカメラアングルがゆっくりと上がっていき、腰元、胸、顔を順に見せていくという深夜番組らしい趣向だ。
だが、この日の演出はそれにひと味加えていた。
美女と思わせておいて、実は男でした、という出オチギャグを入れたのだ。その出オチ要員に起用されたのが若き日の笑福亭鶴瓶。当時はまだ、デビューしたばかり、23歳の頃だ。関西では注目の若手だったが、東京では無名の存在だった。そんな鶴瓶を司会の山城新伍が強く推して出演が決まったのだ。
それが、1975年に放送された『独占!男の時間』である。
鶴瓶は憤っていた。
本番前、スタッフから不遜な言葉を浴びせられていたのだ。ひとりの人間として扱われていないような言動だったという。
コイツに目にもの見せてやる。そんな反骨心が沸々と沸き起こっていた。「せっかく呼んでくれた新伍さんには悪い」とは思いつつ、我慢ができずに秘策を練った。
カメラが腰元を捉えた時、事件は起こった。
鶴瓶はバスタオルを外すと、そのままカメラに接近。股間をレンズに押し付けたのだ。
生放送中のスタジオは悲鳴と怒号に包まれた。
事件はこれだけで終わらない。
司会の山城新伍の計らいで番組最終回にも鶴瓶は再登場。山城は、リハーサル前に鶴瓶に近寄るとこう囁いた。
「鶴瓶、今日でこの番組も終りやしな。なにをやってもかめへんで。おまえの好きなようにやり」※2
山城新伍に迷惑がかからないのなら、やらない理由はなかった。
再び鶴瓶はカメラに写してはいけない部分を露出するのだ。今度はお尻を突き出し、それをグーッと開き肛門をどアップにしてしまった。
以降、約30年にわたり、テレビ東京に出入り禁止処分がくだされた。
33年芸人をやった末、はじめてチンポにも値打ちが出る
この事件は明らかに自“開”症の気質によるものではない。
その強い反骨心ゆえのことだ。
自分をひとりの人間として扱わなかったことの怒りだった。
「自分の型をちゃんと理解してもらえたら、あとはパンツ一丁だろうが、ズラをかぶろうが、どんな突っ込まれ方をしようが、納得づくのことですから大丈夫なんです」※3
自分が何者か、どんな人間かがわかったうえで、ヒドい扱いを受けるのは「自分」に軸があるから問題ない。その「自分」との対比で笑わせることができるからだ。
だが、そうではなく、ただ無礼な扱いを受けるのは絶対に許さない。
それが芸人としての自分自身にスケベである鶴瓶の在り方だ。
さらに2002年も事は起こる。
『FNS27時間テレビ』で泥酔し眠ってしまった鶴瓶は、いつの間にか下着を脱いでしまっていたため、叩き起こされた拍子にまたも局部を露出してしまった。
これは自“開”症でも反骨心でもなく、ただの悪ふざけの末の“事故”だ。1度ならず2度までもお茶の間にチンポを晒した男は芸能界広しといえ鶴瓶を置いて他にいないだろう。
しかし、若き日の“暴走”が前振りとして効いてくるのだ。
大きな問題にされても仕方のないことだ。だが、逆に過去があるからこそ、「鶴瓶らしい」という笑いのネタになった。それどころか過去の事件までもが遡って笑いに変換された。
「俺も20歳ぐらいのときに出してるけど、あれはもう、ただの『事件』ですからね。33年芸人やって、はじめてチンコも値打ちが出る」※4
まさに鶴瓶にとってのチンポとは、開けっぴろげで反骨心の塊である鶴瓶自身をもっともあらわす文字通りのシンボルなのだ。
ちなみに鶴瓶には奇妙にも思えるひとつのポリシーがある。
「鼻毛は人に絶対見せん。チンチン見せても鼻毛は見せない。俺の、まあ言うたらポリシー」※5
次回「円形脱毛症にも宿る『なめんなよ』スピリット」は10/6更新予定
※1 『波』2010年8月号
※2 笑福亭鶴瓶:著『哀しき紙芝居』(シンコーミュージック)
※3 『日経エンタテインメント』1998年4月号
※4 ほぼ日刊イトイ新聞「笑福亭鶴瓶の落語魂。」04年7月26日
※5 『きらきらアフロ』15年1月28日