MESSAGE


私、三浦大輔は今シーズン限りで引退します。

高校卒業して、横浜大洋ホエールズに入団して、今年で25年目。

25年間、本当に、横浜の街で育てられて、たくさんの方に応援していただき、ここまでやってくることができました。

嬉しかったこと、苦しかったこと、いろいろありましたけれど、本当にいつもみなさんに支えられて、一歩ずつ進んでくることができました。

昨日、CSに出場することが決まり、自分の気持ちとしても、全うしようとここまで突っ走ってきましたので…

残り、もう少しシーズンと、そしてクライマックスもありますが、一日も長く今のユニフォームを着て、選手たちと一緒に戦えるように、やっていきたいと思っています。

いろんな思いがありますが、感謝の気持ちでいっぱいです。

2016年9月20日 横浜市内にて

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HISTORY


  • 1991年

    1991年12月20日

    入団発表

    ドラフト6位で高田商業高校より入団。背番号は46。
    プロ入り時の目標は「沢村賞!」。

  • 1992年

    1992年10月7日

    プロ初登板

    「横浜大洋ホエールズ」として最後の試合となった対巨人26回戦(横浜)でプロ初登板。
    3番手で2回無失点に抑える。
    同試合で引退する遠藤一彦の引退セレモニーを見て「自分も引退セレモニーをやってもらえるような選手になろう」と決意する。

  • 1993年

    1993年9月4日

    プロ初勝利

    広島21回戦(北九州)で9回1失点と好投し、
    プロ初勝利を完投で飾る。

  • 1994年

    1994年8月3日

    肝機能障害から復活

    肝機能障害により約3ヵ月間チームから離脱。
    同日のヤクルト17回戦(横浜)で復活登板。
    その後も隔年で疲労蓄積による肝機能障害に悩まされ、98年にはリーグ優勝目前の夏場に発症し、
    約1ヵ月間チームから離れる。

  • 1997年

    1997年10月5日

    自身初の2ケタ勝利

    中日26回戦(横浜)で勝利し、初の2ケタ勝利。
    また自身の連勝記録を「9」に伸ばした。

  • 1998年

    エースナンバー「18」誕生

    秋山登、斉藤明夫の「17」、遠藤一彦の「24」、平松政次の「27」など、球団の歴代名投手がつけていた背番号が、エースナンバー「18」とは異なっていたことから、「『18』を横浜のエースナンバーにしたい」と自ら申し出、念願のエースナンバーを手にする。



    1998年10月6日

    自己最多タイの12勝

    ヤクルト27回戦(横浜)で自己最多タイの12勝目を記録。
    その2日後、チームは38年ぶりのセ・リーグ優勝を果たす。



    1998年10月22日

    悔しさだけが残る日本シリーズ

    西武との日本シリーズ第3戦(西武D)に先発。
    しかし2安打、6四球、4失点と“らしく”ない投球により2回1/3で降板。
    試合後、食事もままならないほどの落ち込みと悔しさを味わう。

  • 2002年

    2002年6月6日

    1000奪三振達成

    ヤクルト8回戦(横浜)でプロ野球史上109人目の1000奪三振を達成。



    2002年9月25日

    293試合連続先発登板のはじまり

    広島23回戦(広島)で先発登板し、
    プロ野球史上2位で現在も継続中の
    293試合連続先発登板が始まる。
    しかし、右ひじの異常を訴え、
    4回を投げ終えたところで自ら降板を申し出る。

  • 2003年

    2003年5月8日

    復帰登板で315日ぶりの勝利

    前年12月に右ひじ骨片除去手術を受けて以来、
    最初の登板となった同日の広島7回戦(横浜)で、
    7回1失点で勝利。復活を印象付けた。

  • 2004年

    2004年8月25日

    アテネ五輪で銅メダル獲得

    第28回オリンピック競技(2004/アテネ)に
    野球日本代表メンバーとして出場。
    3位決定戦でカナダを降し、銅メダルを獲得。

  • 2005年

    2005年10月12日

    タイトル初獲得

    広島22回戦(広島)で完投勝利し、自己最多タイの12勝目を記録する一方、最優秀防御率(2.52)、
    最多三振奪取(177)のタイトルを獲得した。

  • 2006年

    2006年5月9日

    100勝利達成

    楽天1回戦(横浜)でプロ野球史上119人目の
    100勝利を達成。



    2006年6月18日

    1500奪三振達成

    西武6回戦(インボイス)でプロ野球史上47人目の1500奪三振を達成。

  • 2007年

    2007年7月27日

    球団記録の35連続イニング無失点

    6月30日の阪神9回戦(横浜)の3回から7月27日の阪神11回戦(甲子園)の4回まで、
    35イニング連続イニング無失点を記録。

  • 2008年

    2008年11月30日

    強いチームを倒して優勝したい

    FA宣言し、移籍か残留かで悩んだが
    「強いチームを倒して優勝したい」と残留を決意。
    また会見では「ファンの存在が大きかった。
    『三浦大輔は本当に幸せだな』と感じた」と
    ファンへの思いを口にした。

  • 2009年

    2009年9月21日

    2500投球回達成

    阪神22回戦(横浜)でプロ野球史上44人目の
    2500投球回を達成。



    2009年10月3日

    2000奪三振達成

    中日24回戦(横浜)でプロ野球史上19人目の
    2000奪三振を達成。
    翌年には平松政次投手の2045奪三振を抜いて
    球団新記録を樹立した。

  • 2011年

    2011年7月10日

    415日ぶりの勝利で引退の危機を回避

    前年5月21日の日本ハム1回戦(札幌D)を最後に勝利から見放され、この年も春先に登板した
    3試合でノックアウトに終わるとファーム調整に。
    頭の中に「引退」の2文字が過ると、
    夫人からの「三浦大輔はこんな終わり方で
    いいの?」の一言に奮起。
    中日12回戦(ナゴヤD)で6回1失点と好投し、
    415日ぶりの勝利。
    また平松政次投手の18年連続勝利を抜く
    球団新記録を樹立した。

  • 2012年

    2012年4月1日

    DeNA初勝利

    阪神3回戦(京セラD)で7回2失点と好投し、
    「横浜DeNAベイスターズ」を初勝利へと導いた。



    2012年7月4日

    150勝達成

    巨人7回戦(横浜)でプロ野球史上47人目の
    150勝利を達成。
    自身の150勝を自分事のように喜んでくれるファンの姿に、ヒーローインタビューで「横浜に残って良かった」と心情を語った。

  • 2013年

    2013年7月24日

    3000投球回達成

    中日13回戦(ナゴヤD)でプロ野球史上27人目、
    球団では平松政次以来2人目の
    3000投球回を達成。



    2013年10月5日

    500試合登板達成

    中日24回戦(ナゴヤD)でプロ野球史上91人目の500試合登板を達成。

  • 2015年

    2015年5月5日

    23年連続勝利

    ヤクルト8回戦(横浜)で工藤公康、山本昌に並ぶプロ野球記録となる23年連続勝利を記録。



    2015年7月12日

    球団新記録の先発167勝利

    ヤクルト15回戦(神宮)で球団最多の201勝を記録した平松政次の先発166勝を抜く167勝目を記録。

  • 2016年

    2016年7月11日

    24年連続安打

    中日12回戦(横浜)で投手としては世界記録となる24年連続安打を記録。
    8月にはギネス世界記録にも認定される。

※記録は2016年9月20日現在

STATS


左右にスワイプしてご覧ください。

年度 球団 試合数 勝利 敗北 セーブ ホールド HP 完投 完封勝 無四球 勝率 打者 投球回 安打 本塁打 犠打 犠飛 四球 死球 三振 暴投 ボーク 失点 自責点 防御率
1992横浜大洋1000  000.00062000000100000.00
1993横浜15330  100.50025560 1/360410212612023233.43
1994横浜17220  110.50022847 2/361262250352127234.34
1995横浜25880  301.500619147 2/3131171625241075066643.90
1996横浜345100  400.333582131 1/315117965511010082724.93
1997横浜261030  411.769578142 1/311391035131294154533.35
1998横浜251270  210.632656158 2/313812646031194064563.18
1999横浜309100  431.474729175174221515121302092834.27
2000横浜241160  401.647665164 2/315422833231223064593.22
2001横浜261160  520.647673168 2/3137141755321351056542.88
2002横浜194100  422.286488119 2/3108121312821001046433.23
2003横浜15550  100.500420101 1/3941842215821048464.09
2004横浜22680  101.429618144158171723351357069684.25
2005横浜281290001023.571856214 2/3168201355241774068602.52
2006横浜30812000933.400912216 2/3227192554451603094833.45
2007横浜281113000430.458793185 1/3184151665171595074633.06
2008横浜21710000411.412589144137221442941114063573.56
2009横浜281111000610.500799195 1/3175281843741382082723.32
2010横浜1638000000.27336579 2/31081291234582067647.23
2011横浜1856000210.455463111 1/3969171317741039362.91
2012横浜DeNA2599000611.500738182 2/3160151814831074061582.86
2013横浜DeNA27913000210.409731175 2/3181262423311095088773.94
2014横浜DeNA1556000101.45540394 2/39914120234553038323.04
2015横浜DeNA1766000000.50041698103943251625047454.13
2016横浜DeNA202000000.000438 1/31721010600888.64
通算534172183000782316.485136253269 2/3313435729363879762473702142012993.58

※2016年9月20日現在