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インタビュー

家康を愛し、稲を愛し、信幸を愛する本多忠勝。
演じている藤岡弘、さんにその生き様をうかがいました。

 

武士道に重なる本多忠勝の人物像

武士道には、「最も剛毅(ごうき)なる者は、最も柔和なる者なり。最も勇気ある者は、最も愛ある者なり。驕(おご)れし者を打ち砕き、敗れし者を慈しみ、失われぬ他者への哀れみの心。平和の道に立つること、これすなわちもののふの道、武士道なり」という言葉があるのですが、これこそ本多忠勝の人物像に重なります。演じるというよりも、“忠勝になりきりたい”と常に思いながら、撮影に臨みました。

大小合わせて57回にも及ぶ合戦に加わっても忠勝が無傷であったのは、敵方の武将までも魅了するほどの忠義の精神を体現した無私の雄姿と、また、その姿を追う家臣達が「この殿に死んでほしくない」と必死で共に戦い守りぬいたおかげかもしれません。単に強いというだけではなくて、分け隔てなく人を心から思いやる人情、すべてを消化しようとするような人間臭さを、きっと持ち合わせていたのでしょう。『真田丸』で本多忠勝を演じる機会をいただいたことは、役者冥利に尽きる出会いであり、本当に嬉しく思っています。

忠勝に対しては、すごく親近感を抱いています。体が喜んでいるというか(笑)。僕は、忠勝は戦が好きではなかったと思うんですよ。甲冑(かっちゅう)の上から数珠を下げるということ自体が、忠勝の気持ちの表れだったと思います。当時は戦国時代ですからね、置かれた宿命の中で戦わざるを得なかった。生きて生きて生き抜くために戦う必要があった。あくまでも私の想像ですが、忠勝は、敵であろうと味方であろうと相手を敬う気持ちを常に抱き、人間の悲しさ、痛みがわかった慈愛の武将であったのではないでしょうか。

大小合わせて57回にも及ぶ合戦に加わっても忠勝が無傷であったのは、敵方の武将までも魅了するほどの忠義の精神を体現した無私の雄姿と、また、その姿を追う家臣達が「この殿に死んでほしくない」と必死で共に戦い守りぬいたおかげかもしれません。単に強いというだけではなくて、分け隔てなく人を心から思いやる人情、すべてを消化しようとするような人間臭さを、きっと持ち合わせていたのでしょう。『真田丸』で本多忠勝を演じる機会をいただいたことは、役者冥利に尽きる出会いであり、本当に嬉しく思っています。

見せたいと願った、もののふの生き様

第37回「信之」での、忠勝が婿殿と一緒になって、家康に昌幸と信繁の助命を嘆願するシーンは、とても良かったですよね。もう感動しました。今の時代にこそいてほしいと思う真の男像、もののふの生き様というのを見せたいと願っていたので、脚本を読んだ時は「やった!」と思いましたね。

忠勝としては、愛娘を嫁がせた婿殿がこの戦乱の世を生き抜くことができるのか、ずっと鋭い視線で見ていました。余計なものは一切なく、すべて直球です。そしてその中で、人となりに触れ、婿殿に惚れていきました。信頼を寄せる婿殿が命をかける。その姿に、忠勝は同じもののふとして共感し、己の命を捧げる覚悟を抱いたのだと思います。もののふの覚悟というものは、このような時にこそ見せるものです。

忠勝はこの助命嘆願で初めて家康に刃向かいますが、そこには私利私欲はありません。親子や一族の絆の大切さを、次なる未来に対して伝えたいという思いがあっただけでしょう。徳川家康に対しては、器が大きく、惚れ込んで仕えてきた殿であれば、必ず願いを受け入れてくれる、と信じていたと思います。
このシーンの撮影では、命をかけた、真の男の侍魂をぶつけました。緊迫した良いシーンになったのではないかと思っています。

もののふの道は、未だ修行の旅の中

第31回「終焉(しゅうえん)」では、寺島進さん演じる出浦昌相との戦闘シーンがありましたが、とても楽しみにしていたシーンでした。出浦は汚れ役となり、人を殺めることもいとわず、中心となり真田家を守ってきた人物です。一方、忠勝は常に家康の側にあって、徳川家を守ってきました。対立する両者の戦いはご覧になるみなさんの想像力もかき立て、とても面白かったのではないでしょうか。

戦いというものは命のやり取りですから、迷いなく覚悟を決めて対応する、一本芯の通った部分が出れば良いと思いながら、臨ませていただきました。気と気の戦いですからね。寺島さんの殺陣もすばらしく、しかも出浦は忍者で、忍びの術も備えていましたから、視聴者のみなさんに楽しんでいただけたのではないかと思っています。

僕はふだんから、剣術だけではなく、槍(やり)、手裏剣、小太刀、薙刀(なぎなた)などのトレーニングを行っています。いつも真剣を使用しているので、殺陣で使用した槍は僕には軽すぎて、ちょっと違和感がありました。僕の場合、真剣が体の一部のようになっているので、そちらの方が実感があるんですよ。本物に触れていると、いろいろと感じるものが違うんです。馬上で槍を振り回したこともありますが、これには相当な胆力が必要となります。忠勝は甲冑を身にまとい、名槍・蜻蛉切(とんぼきり)を自在に扱っていたわけですから、想像を絶しますね。甲冑も槍も、当然、重いわけですよ。忠勝に比べれば僕はまだまだ未熟で、本当に修行の旅の途中ですね。

僕はふだんから、剣術だけではなく、槍(やり)、手裏剣、小太刀、薙刀(なぎなた)などのトレーニングを行っています。いつも真剣を使用しているので、殺陣で使用した槍は僕には軽すぎて、ちょっと違和感がありました。僕の場合、真剣が体の一部のようになっているので、そちらの方が実感があるんですよ。本物に触れていると、いろいろと感じるものが違うんです。馬上で槍を振り回したこともありますが、これには相当な胆力が必要となります。忠勝は甲冑を身にまとい、名槍・蜻蛉切(とんぼきり)を自在に扱っていたわけですから、想像を絶しますね。甲冑も槍も、当然、重いわけですよ。忠勝に比べれば僕はまだまだ未熟で、本当に修行の旅の途中ですね。

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