映画づくりの大半は「政治と経済」である

スクリプトドクターの三宅隆太さんと、直木賞作家の三浦しをんさんによる「創作お悩み」対談第2回。数々の作品を生み出し、そしてその実写化にもかかわってきた三浦さんの「小説」と「映像」双方に対するお悩みに、三宅さんはどんな処方箋を出すのでしょうか? そして日本の映画業界、脚本家教育の現場がかかえるお悩みとは?

とにかく顔を合わせて話すのが一番!だけど……

三宅隆太(以下、三宅) さっきも言いましたが、実は映画製作の現場側の事情として、原作者さんに話を持っていく時点では、まだ具体的なアレンジの方向性が決まっていなかったり、決定的な説得材料を持てていない状態だということも多いんですよね。

三浦しをん(以下、しをん) はい、そういうことはあるでしょうね。

三宅 それでドクターとして参加していると、たまにプロデューサーから「まだ決まっていないことが多いので、原作者と顔を合わせるのを躊躇している」と相談されることがあるんですけど……ぼくは顔を合わせたうえで、シンプルに「本音」を言えばいいと思うんですよ。「我々にはこういう意図があるものの、まだ確定とはいえないから、とりあえずプロットが上がるまで待ってくれ」って。

しをん はい。プロデューサーさんがそう言ってくださってるのに、「うんにゃ、待てん!」って怒る偏屈者はいないと思います。

三宅 ただ、やはりこれも日本映画界の構造の問題で、企画の開発から実際の制作までのスケジュールに余裕がないことも多い。原作者にプロットを見てもらうことにして万一NGが出たら、シナリオの初稿にすすめないし、プロット段階でキャスティングをしたり撮影場所の許可をとったりということもできなくなるんですよね。それが原作者とのディスコミュニケーションの一因ともいえる。

しをん えーと、ちょっと待ってください。プロットの段階で、すでに撮影の準備をいろいろすすめてるんですか? 私はどんなときも、「シナリオを読んで納得するまで契約しない」という条件でお願いしているんですが、三宅さんのおっしゃるようなケースでは、シナリオどころか、もうプロットを読む前から契約しちゃってるってこと?

三宅 おそらくそうでしょうね。

しをん それは問題発生率が高まりそうな気がしますな。

三宅  ん? ……ああ、そっか。ごめんなさい。ちょっと言葉が足りなかったかもしれませんね。プロットで撮影の準備を進めるといっても、原作者がなにも知らされないうちに、いつのまにか勝手に映画化の準備が進んでいる、ということではありませんよ。映画化チームがスムーズにシナリオ段階へと進むことができずに、プロットを詳細に詰めていく作業が続いてしまうケースがある、ということです。
 少し長くなりますけど、説明しますね。そもそもプロットも読まずに契約してるというケースはきわめて希だと思います。そういうケースはプロデューサーと原作者が元々知り合いで、親しい関係性にあったりして「口約束的」に契約が交わされたり、あるいは初めましての関係だとしても、映画化に対して理解がある原作者だったりする場合もあります。例えば、これまで何度か映画化された経験がある原作者のなかにはプロットやシナリオを読まずに「いいですよ、好きにやってください」と言ってくれるケースなんかもあるわけです。

しをん あ、それはありますね。プロット読まずに、「あなたに託します。よろしくお願いします」というケース。とはいえやっぱり、シナリオができた時点で読ませてもらいましたが(笑)。もともと気心知れてる相手だったから、シナリオに関するやりとりもスムーズだったし、楽しかった。

三宅 そうそう。そういう感じだったら別に何の問題もない。ぼくがさっき言った状況(プロット段階でキャスティングをしたり撮影場所の許可をとったり)はそういうケースで起きるのではありません。
 例えば、原作者サイドには「企画開発の初期段階のプロット」を読んでもらい、映画化に向けたアレンジの方向性にも「大筋で」「当初は」了解をもらってるような場合です。つまり、シナリオではなくてプロットを元に契約が済んでいるパターンですね。この段階で原作者サイドからの「映画化へのGOサイン」は出たことになりますので、映画化チームは次の段階に進むことができます。ただ、その場合でも、そこからすぐに脚本家がシナリオの初稿に入らせてもらえるとは限りません。例えば、原作者サイドと交わした契約の段階では、プロデューサーと脚本家とでプロットを組み立てていた、と。そのうえで誰が監督をするのかがまだ確定してなくて、あくまで「想定の候補としての監督名」を原作者サイドに伝えてあるとします。
 ところがその後、想定していた監督がなんらかの理由で交代になってしまい、新しい監督が入ることになったとします。結果、その新しい監督がホン打ち(脚本打ち合わせ)に参加するようになり、「いまのプロットじゃ弱い」とか「もっとちがった方向性にしたい」と言ったとします。ようするに、まだシナリオ作業には入らずに、より一層プロットを詰めていく作業に時間を掛けたい、もうすこし内容の検討を重ねたい、と。そういうケースがままあるんです。
 これはこれで無理もない話です。監督は途中から参加したわけですから、その時点でのプロットに自分の意志は反映されていませんからね。「自分が撮る以上は、こういう映画にしたい」と考えるのは当然ですし、その時点でできあがっているプロットに物足りなさを感じることもあるでしょう。

しをん はい、それはそうでしょうね。

三宅 ええ。ただし、そうなると、プロットの方向性が原作者サイドの了承を得たものとは変わってくる可能性がでてきます。そこでプロデューサーは「とりあえず、として」監督の意向を呑んだ、とします。でも、まだ具体的にどう変わるかは分からないわけですから、その時点で原作者サイドに「新しい監督が加わったことで、こないだ読んでもらったプロットとは〈ここ〉や〈あそこ〉が〈このように〉変わります」とは伝えられないですし、中途半端に伝えたら、原作者や出版サイドを不安にさせるだけかもしれないから細かくは伝えない、という選択をするかもしれません。あるいは「少し変わるかもしれないから、新しいプロットを待っててください」と伝えるかもしれない。
 こうなると、原作者サイドは「映画化にOKを出しはしたものの、事実上は、まだプロットを読んでいない状態」に戻ることになります。さきのプロットはもはや機能してないわけですからね。

しをん ふむふむ。

三宅 いずれにせよ、脚本家はシナリオの初稿に着手できないまま、監督の意向に合わせて、プロットの改稿を続けざるを得なくなります。監督が自分でシナリオやプロットを書ける人の場合は、「前のプロットをどう変えたいのか」をふまえたバージョンを本人に書いてもらうのが一番いいですが、ご自分では書けない監督もいます。その場合は、脚本家が探っていくしかない。
 これはこれで仕方がないことです。結果、新しいプロットを書いては打ち合わせ、また新しいのを書いては打ち合わせ、という流れがつづきます。

しをん 聞いてるだけで、息が苦しくなってきましたよ……。

三宅 でも、そうこうしているうちに、当初のプロットとはあきらかに方向性が変わってきてしまった、となる。当然、どこかの段階で「最新のプロット」を原作者サイドに読んでもらわないといけないわけですから、プロデューサーは原作者や出版社の担当者に会いに行きます。もしくはメールで連絡を取る。
 その後、原作者サイドからは「新たな意見」が出てくることになります。彼らはプロットが変質していった経緯に立ち会っていないのだから、当然です。そのうえで、プロデューサーは原作者からの「新たな意見」を呑むとします。場合によっては、呑まないと原作者サイドから原作権を取りさげられてしまうかもしれない、という不安があるのかもしれません。

しをん ううう、胃まで痛くなってきやがったぜ……。

三宅 いずれにせよ、こうなった場合、脚本家は「原作者サイドから出てきた新たな意見」もプロットに取り入れざるを得なくなります。ところが、原作者サイドから出た「新たな意見」は、大抵の場合、「初期段階のプロット」を「良し」としたうえでの意見なので、「現時点でのプロット」とは、もはや本質的に噛み合わない意見だったりもするわけです。
 この時点でシナリオを書き出せるか、というと、できません。監督の意向ですでに形が変わってしまったプロットを元に、原作者からの新たな意見も取り入れたうえでシナリオを書いたら確実に破綻するからです。ということは、まだ初稿には着手できない。脚本家はさらにプロットを直すことになります。

しをん つらい! つらすぎますよ、その状況は!

三宅 一方で、すでに映画化プロジェクト自体は進行しているわけですから、スタッフ集めは日々進んでいきますし、遅かれ早かれ撮影時期も近づいてきます。シナリオができていないんだったら、撮影時期を遅らせれば良いのに、と思われるかもしれませんが、それができない事情があるケースもある。
 例えば、大筋のプロットで主演俳優のスケジュールを押さえることができた場合などです。彼や彼女のスケジュールの都合で、どうしてもいついつまでに撮影を開始しなければならない、と。だから撮影時期は遅らせられない、とする。こうなると、各部署のスタッフはそれぞれの準備を進めなければなりません。
 ところが、その段階でもシナリオはまだ存在しておらず、結局はプロットしか材料がない、という状態になる。だからといって、例えば制作部のスタッフは、シナリオが書き上がるタイミングまでは待っていられません。準備段階での彼らの仕事はロケ場所を選出することだからです。仕方がないので、その時点での「最新のプロット」を元にロケハンをしなければならなくなります。キャスティングディレクターも、同じプロットを元に主演以外のキャスティングをしなければならなくなる。本当はシナリオをベースに作業を進めたいけど、プロットでやらざるを得ないわけです。

しをん ううう、はぁはぁ(息も絶え絶え)。

三宅 でも、プロットはまだ「確定レベル」に達していないうえに、そのバージョンを原作者サイドは読めていない。だから、また内容がひっくり返る可能性も残されている。
 このケースの場合、進め方自体に問題があったわけですが、撮影間近の段階になってそれを言っていても後戻りできない。さっき言ったような状況(原作者サイドがプロットを読めていないけど、撮影の準備は進んでいる)というのは例えばこういうことです。

しをん ああ、なんて苦しみに満ちたお話しだったんだ……。たしかに、当初の想定とはちがうかたが監督を務められたケース、ありました。プロットも変更になったんですが、映画製作者側と原作者側は、常にうまく意思の疎通がはかれていたので、企画は問題なくすすみましたね。やはり原作者が心がけるべき重要なことは、プロデューサーだったり監督だったり脚本家だったり、映画サイドのかたとどれだけ信頼しあえるか、会って話しあえる関係を築くか、ということなんでしょうね。

三宅 そうですね。一方で、これは原作者との関係性云々とはまた別の角度の問題ですが、多くの脚本家はなるべくシナリオの初稿に早く着手したいと考えるものです。プロットばかり直していると、だんだんキャラクターがハネなくなってくるので、「きちんと台詞を書き込めるシナリオ」として書きたい、というのが一番の理由ですが、もうひとつ重要な理由があります。日本の映画業界の一部では、プロットであるうちは脚本家に何度も書き直しをさせていいし、しかもギャラを一円も出さなくていいという不思議な伝統があるから。
 結果として、脚本家はどのスタッフよりも早い段階から参加しているにも関わらず、どのスタッフよりもギャラを支払われるのが遅くなる、というケースもあり得ます。

しをん なんと! それは良くないですね。プロットを書いてくださっているんだから、当然対価が支払われてしかるべきなのに。しかも、脚本家さんへの支払いも遅いことがあるのか……。

三宅 もちろん今挙げたような流れがすべてのプロジェクトで発生するとは言いませんが、そういった構造上の問題が重なって、うまくいかないケースを、ぼくは何度も見てきました。
 いずれにせよ、ひとくちに「プロット」と言っても、いろいろな段階のプロットがありますし、原作者サイドがはじめに読んだプロットが、そっくりそのままシナリオの初稿につながる「中身が確定した段階のプロット」とは限らないんですよね。

しをん お話をうかがっているとなおさら、「原作者サイドは、シナリオを読むまで契約しない」という方針にすればいいのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。

三宅 まぁ、そうですねぇ……。ただシナリオの状態になっていたからといっても、その後で監督が変わったり、キャストが変わったり、何らかの事情でリライトがつづいてすっかり中身が変わってしまうこともありますし、逆にプロットの状態でも、中身が確定している場合もある。
 もっと言うと、一旦シナリオの形になっていても、なんらかの事情が発生して、またプロットの状態に戻して内容を探り直すケースもあるので、どの段階で何をもって契約とするかがそもそも難しいところなんだと思います。だからその問題をあやふやにしたままプロジェクトが進んでしまう、ということも起きているのかもしれない。

しをん そうか……。確かに、曖昧な部分はありますね。お互いにとって、どうするのがベストなんだろ。それこそ信頼の度合いとか、時間的な余裕とか、企画によってケース・バイ・ケースで、「こうすれば確実!」っていう基準はないから、難しいですね。

こんがらがった果てに、キャラもだんだん死んでいく

しをん 私の場合、過去の映像化を思い返してみると、形になったものはすべてすごく良い作品にしていただいているので、幸福なことだなと思っています。企画が最初からうまくすすんだものって、お話をいただいた時点でプロデューサーさんとお会いしていることが多いですね。

三宅 やっぱりそうですか。

しをん はい。顔をあわせて、そのプロデューサーさんがどんな感じの方なのかを見て、「この人だったら大丈夫だ」と思ってすすめていただいたものは、本当にスムーズでしたね。

三宅 だから『初級篇』でも書いたことですが、すごくシンプルな話、脚本を書くにせよ、映画制作全般にせよ、問題が起きたら「最小単位」のところまで戻ると解決するんですよね。

しをん 最小単位、ですか。

三宅 そう。つまり、人と人とが絡む瞬間のことです。いつの間にかねじれすぎてぐちゃぐちゃになっている毛糸の玉をほどくには、最初のねじれの「きっかけ」を発見しないと始まらない。
 ぼくが脚本家としてではなく、スクリプトドクターとして呼ばれるときには、シナリオがもう第17稿とかになってて、すっかりこんがらかってることが多いんですけど……。

しをん 17稿って、すさまじいな!  映画制作にかかわっているのも「人」ですけど、映画の登場人物たちも、作品のなかで生きている「人」じゃないですか。17回目の書き直しとかになったら、登場人物本人たちも、何がなんだかわからなくなってそう……。「私、どんな人格だったっけ?」みたいな。

三宅 もう『ウォーキング・デッド』なんじゃないかっていうね。一回死んでるでしょ、という勢いですね(笑)。

しをん そこを、「あなたはこういう人だったんじゃないですか?」と解きほぐすのは、手間もかかるし、大変なご苦労がおありでしょうね。

スクリプトドクターの仕事はダメ出しではない

三宅 スクリプトドクターが手間のかかる面倒な仕事なのはたしかです。そういえば、スクリプトドクターについて「ざっくりと」ラジオで話して以降、「ぼく、脚本家になるのは無理だけど、ドクターには向いてると思うんです。たとえば最近観たあの映画はここがダメだと思ったんですけど、どうですか?」と言ってくる人が何人かいたんですよ。

しをん おお。

三宅 でも、映画ファンのひとたちが居酒屋で「最近クリストファー・ノーラン調子乗ってんじゃないの?」と酒飲みながら話すのとはちょっと違うんだぞ、と(笑)。

しをん うん、「ノーラン調子乗ってるんじゃ疑惑」は、とりあえず置いておいて(笑)。たんにダメ出しすればいい仕事ではなく、『ウォーキング・デッド』状態になってしまった登場人物やストーリーを、どうやって瑞々しく生き返らせるかを考えなくてはいけないんですものね。

三宅 そうなんです。でも、『初級篇』でスクリプトドクター業務の具体的な内容を書いてからは、「俺、ドクターに向いてるぜ!」って言ってくる人はほとんどいなくなりました(笑)。

しをん あはは。

三宅 ほんとに大変ですからね。個々のプロジェクトが抱えている問題を加味して対処しなくてはならないし、脚本家やプロデューサーのメンタル面にも意識を向けながら進める作業なので、そうそう甘くはないですよ。

しをん 私も自分が読者だったときは、「ここはおかしいよ」とか「なんじゃこのクソのような話は」と憤ることもあったんですよ。

三宅 タイトルはくれぐれも言わないよう……。

しをん いかん、お口にチャックを……(笑)。
 でも、自分が実際に小説やエッセイを書くようになって、あらゆる創作物を見る目が、すごく温かくなりましたよ。実作する側にまわってみると、「きっといろんな事情があったんだね……締め切りまでギリギリだったとか……。いや、これはこれでいい味だと思う!」なんて。

三宅 まあ、映画ファンや小説ファンの人は、そういう裏事情をわざわざ汲む必要はないんですけどね。

しをん 一切ないです! 作り手の事情など忖度せず、もちろん自由に忌憚なく感想を言っていいのです。それが作家を鍛えていくってこともありますし。ただ、自分の書いたものを弁護するわけじゃないんですが(笑)、「どんな作品でも、頑健な顎で噛み砕いておいしく味わい、いいところを探す」っていう姿勢のほうが、創作物をより楽しめて、建設的だなとも思うようになったのは事実です。

三宅 悪いところより良いところを探すほうが楽しいですからね。いずれにせよ、本当に本気でプロを目指して脚本学校に通う人とか、自分が作り手になりたいという人たちには、純粋に作品だけに向き合うのではなく、物作りをする側の裏事情と向き合わなきゃいけない日が遅かれ早かれ必ず来るということを知っていてほしい。

しをん あ、そうですね。その観点は重要ですよね。

脚本は書き上げても終わらない

三宅 それと「脚本」という創作物には、小説やマンガよりも複雑なところがあって。一番大きなちがいは、書き上げた時点では「完成品」と言いがたいということ。小説やマンガは、商業ラインに乗って他の人の目による編集や校閲を受けるにしても、書き手がエンドマークを打った時点で一応は「完成品」ですよね。
 でも、脚本は脚本じゃ終わらなくて、映画にならないといけない。

しをん 確かに、そこは小説家とは全然違いますね。『スクリプトドクターの脚本教室・中級篇』では、ホラー映画の『ラストサマー』について詳細に分析されていましたが、とてもおもしろかったです。リライトの提案をいろいろなさっているんだけど、三宅さんは本の中ですら、お金のかからないアイデアを優先するんですもん。

三宅 そりゃそうですよ(笑)。現実に撮影されることを前提にリライト案を出すのがドクターの仕事だから。マンガや小説など紙媒体で終わるものであれば、「俺ならこうする!」という個人的な観点や好みをベースに議論してもいいかもしれませんが、脚本に関しては、リライトのクリエイティビティの最大値を斟酌しながらも、こうするとロケ日数がふくらまないとか、エキストラさんの食費がここで下げられるとか、考えなくちゃならない。

しをん 食費まで! 三宅さんは真剣なんだけど、「そんなところも考えに入れるものなのか……!」と、読んでてちょっとおもしろかったです。家計簿を前に頭を抱えてる、のび太のママみたいだなと(笑)。

三宅 映画づくりの大半は「政治と経済」です。これは必ずしも「しがらみ」という類いのネガティブなものでもなくて、映画を作るうえではただ単に当たり前のこと。脚本家志望者もそのことはわかってないといけないはずなんです。そうじゃないと、いざデビューしても、とても対応できない。

しをん なるほど。それでいくと、マンガ家さんにも多少の「経済」は必要でしょうね。「こういう背景にしちゃうと描くのが大変になって、締め切りまでの日数がきつくなるしアシスタントさんの人数も足りないから、こうしよう」みたいな。
 小説はそういうのまったくないからいいですね。「これまで誰も目にしたことのない、スペクタクルな戦闘が繰り広げられたのであった」とでも書いときゃいいんですから。紙とペンがあれば書けるし、人員も必要ない。資料代や取材費以外、予算なんてほぼ考えなくていいし。楽ちんですよ。

三宅 楽ちんってことはないと思うけど(笑)。まあ、「大変さの質」は表現媒体によってそれぞれ違いますよね。

しをん はい。三宅さんのご本を拝読して、「私は絶対にスクリプトドクターにはなれない!」と思いました(笑)。

次回「脚本家として成功したいなら、現場に行ってはいけない!?」は9/20(月)更新予定。

構成:平松梨沙 協力:ジュンク堂書店


『スクリプトドクターのものがたり講座』が開講! 


日時:10月1日(土)~12月3日(土) 毎週土曜 13:30~16:00(全10回)
場所:新宿NSビル NS会議室「3-N」 詳細はこちら

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この連載について

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脚本のお医者さんと罠にハマる原作者?—三宅隆太×三浦しをん対談

三浦しをん / 三宅隆太

ストーリー作りとは「自分探し」である! 心理カウンセラーとしての資格をもち、脚本のお医者さん=スクリプトドクターとして活躍する三宅隆太さんが、創作者が自らの「心の枷」をはずしながらシナリオが書けるようになる実践的な脚本術をつづった『ス...もっと読む

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コメント

ScriptDoctorMR 更新されました!→ 約2時間前 replyretweetfavorite

shuka_matta めっちゃ勉強になる対談。 約3時間前 replyretweetfavorite

itie19 辛い話ですけど希望のある着地でよかったです 約3時間前 replyretweetfavorite

sarirahira 今回のトピックは、 ・なんでシナリオ読んでから実写化契約しないの? ・改稿の果てにゾンビになるキャラ達 ・つくる側にまわると創作物にやさしくなれる ・エキストラの食費こわい って感じです https://t.co/U9JkepSCVd 約3時間前 replyretweetfavorite