こんにちは。
昨日はこち亀について書いた記事に
多くの反響をいただきました。
僕自身、このマンガが大好きでしたし
40年も連載を続けてきた功績については
もっと賞賛されるべきだと思っているけれど、
やっぱり現在のこち亀についてはそれほど
面白いとは思えない。これは僕の率直な感想です。
いただいたコメントの中に
「最近は面白いエピソードも増えているのに」というのも
あったけど、これはもう読者の価値観の違いなので
ここで「おもしろい」「つまらない」の議論をするのはあまりに不毛。
ただ、「最近おもしろい話も増えている」といった意見を読んでいて
「なんで自分はこち亀をつまらないと思うようになったのか」を
考えこんでしまいました。そして、自分の記憶にある80年代の両津と
現在のジャンプで描かれている両津を比べていて、
「両津って大人になったんだな」と
ふと、思ったのです。
僕の記憶にある80年〜90年代前半の両津って
以下三点において非常に子どもだったように思います。
①金に汚くて、常に小銭程度の金額にも飢えている
②トラブルメイカーである
③自分のひらめきに忠実な行動派である
①〜③は現在でもそうじゃん。って感じる人も多いと思うので
ここで具体的に語っていきましょう。
まず①。
昔の両津って、常に金にうるさいキャラでした。
警官の業務を続けながらはしご車を使ったカレー屋を
オープンさせたり、勤務中にパチンコや競馬に興じたり、
道に落ちているお金に過敏に反応したり、ひどいのになると
葛飾署の署員旅行の幹事を務めた際に限界以上に予算を
値切り、その余った金を着服しようと目論んだり。
もう、ひどいひどい。この頃のこち亀を読むと
両津&お札という描写がやたら多いんですけど、
それも年月を経ていく毎に減っていったような印象があります。
つまり、昔ほどあからさまに「お金」を求めなくなっているといえます。
続いて②。
これはどういう事かっていうと、両津自身を起点とする大きな
トラブルなどが前より少なくなっているっていうことです。
ざっと思い出せるだけでもこういったものが以前ありました。
1、中川の態度に金持ちの驕りがあるとして、中川財閥の中心で
大暴れをした結果、たったの一時間で1兆円の損害を与えたあげく、
そのお金の一部を持ち逃げして香港に高飛び。
2、魔法使いの力で動物にされたりした事を根に持って、逆襲
3、台風の時期を狙って格安で屋形船で宴会を企画。
その結果、葛飾署員全員が大きな被害を被る事になる。
以前はこんな感じに常に自分がトラブルメイカーになり、
ひどく周囲を振り回すエピソードが多く見受けられました。
ところが最近の傾向としては両津じゃなく周囲の人間の
起こす騒ぎ(大阪の通天閣署の面々など)に巻き込まれたり
金持ちで遊び人の大学教授「ジョニー」に連れられて
南国バカンスに出かけていたりなど、行動が以前よりも
落ち着いたものになっています。そのために、トラブルメイカーたる
条件であった両津の超人的な体力の描写なども
小粒になったような感じでスケールが小さくなったと感じました。
現在も、竹の束で月までのエレベーターを作って登ろうとする話など
体力自慢をテーマとするようなオチの話もあるにはあるんだけど、
対人比較ではないためあまりピンときません。昔みたいに
体力を元手に野球、ラグビーチームなどの助っ人を掛け持ちして
お金を稼ぐ!みたいな話があったらいいんだけど。
さらに③
僕の知っている80年代の両津は非常にアイディアマンであり、
クリエイティブ方面でもアクティブでした。オリジナルの漫画
「拳銃(ハジキ)が俺を呼んでるぜ!」を描いて新人賞に
投稿しようとしたり、使い捨てカメラの「写ルンです」
ヒットに乗じて自らもオリジナルの使い捨てカメラ
「てめぇ、じたばたしていると写すぞ!」を作って近所の
中古カメラ屋を抱き込んで売り出したり、独自に
漫画スクールを経営して漫画雑誌を創刊させたり
とってもアグレッシブな起業家でもあったのです。
だけど、これも最近はクリエイターというより、
作中で流行に便乗させた二次作品みたいなものを
プロデュースしてお金を得ようとする
エピソードが増えたように思います。その結果として
熟練の職人並な両津の器用さという特徴も
あまり説得力を持たなくなっていたように感じていました。
こういった比較から、僕は両津を
「以前よりも落ち着いた」「大人になっちゃった」と評したのです。
80年代の両津勘吉はお金に汚いが人情家という性格を持っていて、
アグレッシブな言動で周囲に人間を騒動に巻き込む人物でありました。
僕みたいな「こち亀80年代傑作説」論者はそんな人物がいないと
知っていながらも、両津みたいな大人がいたらという期待や憧れを
「こちら葛飾区亀有公園前派出所」というギャグ漫画に込めていた。
だからこそ現在の落ち着いた両津に対しての淋しさが、
上記の説の根底にあるんじゃないかと僕は思う。
この話、もう少しだけ続けますのでよかったらどうか、お付き合いを。
※僕の少年時代は確かに「両津勘吉」と共にあった。