民進党代表選で蓮舫代表代行の国籍が話題になっています。蓮舫氏は父親が台湾国籍で、本人は17歳の時に日本国籍を取っているので、国籍上は日本人ですが、その際に、 台湾籍が完全に放棄されなかった可能性があるので、台湾の大使館に相当する 台北駐日経済文化代表処に、台湾籍放棄する書類を提出しています。
そもそも一般の日本の人には、国籍や永住権の話は全く馴染みがないので、「籍を抜くとはなんぞや?」と思われたかもしれません。家族に外国人がいなかったり、外国人との付き合いがなければピンと来ない話です。
国籍とはなんぞや?
国籍というものは、19世紀以前は、欧州の場合、国ではなく教会の教区や領地に依存するものでした。そこに所属する民の移動を領主が管理していました。民は領地に縛り付けられ、泥のように労働して、作物を上納するという仕組みだったからです。民の移動を管理することは、富と権利の維持にとってもっとも重要なことでした。旅券(パスポート)が発明されると、「民の移動を管理する権利」が国という単位に譲渡されました。
つまり、国籍とは 「誰がそこに住んで、誰が移動してきて良いか」を国が決める「力」のことであり、「個人と国の法律上の関係」です。1931年のハーグ条約は、誰にその権利を与えるかは、各国が決めることができる、としています。
民に権利があると考えたフランス的な国は出生地主義をとり、その土地で生まれた人には国籍を与えました。国民とは民族であると考えたドイツ的な国は血統主義をとり、親が自国民である場合に国籍を与えました。移民国の多くはフランス的な考え方をとり、独裁国家や権威主義国家はドイツ的なアプローチをとりました。日本はドイツ的な考え方を導入しました。
国籍とは権利と義務の話
国籍があると、国籍を持っている国の保護を受けたり、選挙権や被選挙権などの「権利」を行使したり、旅券を使って他の国に渡航することができます。権利を与えられる一方で、税金を払う、徴兵されるといった「義務」も発生します。
個人と国の関係というのは、ギブアンドテイクであり、単なる契約関係なのです。
これをヤクザの組で考えてみましょう。
「うちの組員になるなら事務所で寝泊まりしていいよ。他の組の人間はドア通るのさえダメだからな。他の組にケンカふっかけられたら棍棒でぶん殴って守ってやるわ。その代わりに、毎朝事務所の便器を素手で掃除してくれよ。あと、カツアゲと屋台の利益の4割は組に上納しろよ 」
組はお国、 下っ端ヤクザは国民、組のバッチは国籍であります。
条件が悪ければ下っ端ヤクザは別の組に移動することだってあり得ます。語学が堪能なら中国ヤクザやロシアンマフィアに加盟するでしょう。
つまり、国籍というのは、アイデンティティ、文化の上での「何人か」というのとは別のもので、あくまで、法律上の関係を明らかにしたものに過ぎず、どこの組に所属するかどうか、というレベルの話です。ガガンボ組に所属しようが、ことり組に所属しようが、山田太郎は山田太郎です。
海外では国籍変更が珍しくない
国籍というのは国との法律関係にすぎませんので、日本の外では国籍を変える、新しい国籍を「追加」する、というのが珍しくありません。
私の周囲で多いのが、イギリス国籍の人がカナダやオーストラリア国籍を「追加」する、中国国籍の人がアメリカ国籍に「変える」、日本国籍の人がイギリス国籍を「とる」、ブルガリア国籍の人がイギリス国籍に「変える」等々です。大変カジュアルなノリで国籍を追加したり変えたりします。
以前勤務していた国連専門機関も、職員や出入りしている外注業者には、重国籍の人が山のようにいました。シリア人だがアメリカ国籍の係長、イギリスとカナダとアメリカ国籍を持っている研究者等。パスポートを複数持っているのが当たり前に近い感じなので、「どれで入国すると一番待ち時間が短いか」という様な会話が繰り広げられます。
イギリスのEU離脱が決まった後には、アイルランド等EU国籍を求める人が大量に出没しましたが、それに対して愛国心がないとか、非国民という避難は起きませんでした。北アイルランドの離脱派国会議員が「あったほうが得だから早くとったほうがいいよ〜」と推奨していたほどです。
日本の重国籍議論は古い
ちなみに、日本では重国籍が犯罪に悪用される、一方の国の利益を代表して投票するので国益が損なわれる等々の議論があるようですが、そういう議論は、イギリスやカナダ、欧州大陸の大半の国からすると、1960年代的な感覚です。
大半の国家は、1960年代ぐらいまでは、国家転覆や犯罪への悪用を恐れて二重国籍を認めていませんでしたが、今や、世界の半分程度の国が重国籍を認めています。
その理由は、国家にとって、人々の移動を促進し、国際的な影響力がある人に自国の国籍を持ってもらったほうが得だからです。
90年代に入ると、重国籍に激しく反対していたアフリカの国々でさえ認めるようになります。グローバル化により人の移動が激しくなったので、優秀な人材に自国籍を保持してもらったり、他国から来た人に留まってもらうために、複数国籍を認め始めたのです。これは先進国に移民した「元国民」や、その子孫との繋がりを維持するためにも重要な事でした。
重国籍は国にメリットがある
重国籍を認めて日本に利益がある例は、「元」日本国籍者がノーベル賞をとったケースでしょう。アメリカ国籍を取得している中村修二教授を、日本の新聞やテレビは「日本人が」と報道しましたが、教授は技術的には「アメリカ人」です。認めていれば、「日本人がとった」と正式に言うことが可能でした。
蓮舫氏の場合、意図的に国籍法を守っていなかったとしたら、 政治家としての致命傷になりますが、この件で、法律違反をしたかどうかを叩くことが盛り上がるのではなく、日本の国籍法に関する議論が高まることを期待しています。(ただしあまり期待はできませんが)
高齢化日本は重国籍で活性化するべき
世界の流れを見た場合、遅れているのは日本の国籍法であることには間違いありません。
世界の200カ国中、 高齢化世界一の日本は65歳以上が26.7%で、イタリアやギリシャの22%のはるか先を行っています。増え方も世界最高で、東京オリンピックが開催される2020年ごろには30%近くになり、2050年には40% 近くになってしまいます。他の国が体験したことがないような未来が待ち受けているのです。
空き家だらけになり労働人口が減る日本に必要なのは、世界から魅力的な人材を引き寄せる「仕組み」です。あれだけ保守的なアフリカ諸国でさえ、自国の経済活性化のために重国籍を認めたのですから、日本も国籍法の見直しを考えるべきなのではないでしょうか。
今や国は優秀な人々に「選ばれる」場所なのです。