私は70歳でエベレストの初登頂に成功しました。多くの方は「年をとったとはいえスキーや登山で鍛え上げた強靭な体だからできたのだろう」と思われているかもしれません。しかし、そのわずか5年前には山に登るどころか医者に「余命3年」と宣告されたほど肉体的に衰えきっていたのです。
そんな状態からいったいどうやって「世界の頂上」を目指したのか、なぜそこまでして苦難の道を歩んだのかを今回はお話したいと思います。
90歳を超えても夢に挑み続ける父の背中を追って
前回お伝えしましたが、私は53歳で世界七大陸の最高峰でのスキー滑降を達成させた後、現役アスリートの生活に一区切りつけようと考えました。そのとたん、いわゆる「燃え尽き現象」に陥り、運動というものをまったくしなくなったのです。朝の散歩さえ面倒くさい。逆に飲み食いの量は増えていく。気がついたら164cmの身長で体重は90kg近い肥満体になっていました。当然のごとく高血圧とそれに伴う狭心症、不整脈を発症し、腎臓も人工透析寸前まで悪化した状態になりました。かなり重度なメタボリック症候群ですね。そして冒頭で触れたように「あと3年生きられればいいほう」と医者に断言されたのです。それが65歳の頃です。
「余命3年」と宣告された時、胸の中にあふれたのは「ずっと夢見ていたエベレストの頂上に登ってみたい」という想いでした。こんな体では、できるかどうかわからない。でも、このまま死んでしまったら悔やみきれないと思いました。
さらに、私の背中を押した人がいました。やはりプロスキーヤーだった父(故・三浦敬三氏)は90歳を越えても世界の名だたる山々でスキー滑走を続けていたのです。後に99歳でモンブラン山系のヴァレブランシュ氷河からの滑降に成功するのですが、90代で3回も骨折しながら「好きなスキーを続けたい。いつかモンブランを滑りたい」という気持ちを生命力に変えて夢に挑んでいました。そんな姿を見て「自分もたった65歳でくたばってはいられない」と思ったのです。
片足10kg、背中に30kgの負荷をかけ鍛え直す
決意を固めた私は、70歳でのエベレスト登頂を目標に、向こう5年間のスケジュールを立てました。最初の2年間はトレーニングに専念し、メタボを完治する。その後、富士山に登ってみて手ごたえをつかんだら、いよいよ本番という流れです。
そして、トレーニングを開始。自宅を構える札幌の市内に藻岩山という500m級の山がありますが、まずはそこに登ってみることにしました。ところが、10分も歩かないうちに息が切れるわ、足はつりそうになるわ、不整脈は出るわ……。休憩しようと丸太に腰掛けたら立ち上がることができなくなり、しまいには遠足の幼稚園児たちにも追い越される始末。「自分はこんなに老いぼれてしまったのか」と落胆する一方で、楽しい気持ちが芽生えて来ました。遠足で行くような低い山さえ登れなかった爺さんが、一念発起してエベレスト登頂を成功させた。そんな奇想天外なエピソードを綴れたら面白いと、改めて意欲を燃やしたのです。
それからは日常のトレーニングとして、靴に1kgずつ重りを付け、背中には10kgの荷物を背負って歩くことにしました。2年目からは片足3kgずつ、3年目はさらに5kgずつに増やして背中の荷物も25kgに。エベレストに出発する1年前からは、片足10kgずつ、背中に30kgの荷物を背負って歩きました。
たとえば、都内にある私の事務所から東京駅までの道のりは約9kmありますが、新幹線で出かける際、電車やタクシーは使わずせっせと歩くわけです。ホームに辿りついた時には汗だくになっています。新幹線に乗ったらトイレで着替えて、それでひと息つくというようなことを続けました。
人間の宿命である加齢に負けないための「攻める健康」
そんな日々の鍛錬に耐え抜くことで、ついに70歳でのエベレスト初登頂を成功させました。高齢者がそこまでハードなトレーニングを行うことに対し、いろいろなご意見があるでしょう。ただし、あくまで私の持論ですが、健康法には2つのタイプがあると思います。「守る健康」と「攻める健康」です。
前者は毎朝1時間くらいウォーキングを楽しみ、ラジオ体操を行い、バランスの良い食事をとって、早寝早起き。お酒は多少飲んでもタバコは吸わないという、定番の健康法です。健康維持のためには良い方法ですが、加齢に伴い体が徐々に衰えていくことは避けられません。しかも、5年も先にエベレストに登ろうとする私は、逆に加齢という人間の宿命をはね返さなければならない。いわば年齢の限界を超えなければ成し遂げられないことに挑むために、あえて「攻める健康」を選びました。
もちろん、すべての方にお勧めできるものではありませんが、「守る健康」を続けている方々も加齢という宿命に負けたくないのであれば、「ちょっと無理かな」と感じるくらいの目標を定め、まずはチャレンジしてみるといいかもしれません。結果的にゴールにはたどり着かなくても、得られるものは少なくないと思います。
次回は、3度目のエベレスト登頂を終えた私の次なる目標についてお話したいと思います。
※このコラムは、保険市場コラム「一聴一積」内に、2016年6月1日に掲載されたものです。
⇒三浦 雄一郎さんコラム「生涯現役 ― チャレンジし続ける人生」第1回を読みたい方はコチラ
⇒三浦 雄一郎さんコラム「生涯現役 ― チャレンジし続ける人生」をもっと読みたい方はコチラ
PROFILE
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう)
プロスキーヤー、クラーク記念国際高等学校校長
1932年青森県生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセに日本人として初めて参加、時速172.084kmの当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。1970年エベレスト・サウスコル8,000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画 「THE MAN WHO SKIED DOWN EVEREST」 はアカデミー賞を受賞。1985年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太氏)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7カ月)樹立。2008年、75歳2度目、2013年80歳にて3度目のエベレスト登頂(世界最高年齢登頂記録更新)を果たす。
※この記載内容は、当社とは直接関係のない独立した執筆者の見解です。
※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。