やぁ。
僕は久々に怒っている。
今日は文章の構成などは一切無視しているがご容赦頂きたい。
僕の怒りをありのまま聞いてくれ。
恒例行事のごとく障碍者の方々を晒し者にし、涙の押し売りをする番組が今年も放送された。
障碍者の方々を晒し者にするこのテレビ番組は、毎年ネット界隈で批難の対象になるが、今年はネットだけでなく、テレビ番組ですら異議を唱え始めたことが話題になった。
パーフェクトヒューマン
今年は、今まで24時間テレビに興味がなかった僕ですら倫理的に疑問を感じずにはいられなかった放送内容であった。
それはそれは驚愕したね。
「ダウン症の人たちにオリエンタルラジオのパーフェクトヒューマンを躍らせる」
という倫理を揺るがす放送がされたからだ。
パーフェクトヒューマンという曲には「勝者と敗者がいる」という内容が含まれている。
そもそも、24時間テレビが障碍者を出演させることの意図は
「障碍者であっても健常者の人たちと同じように何かに挑戦し、何かを成し遂げることが出来るんだ」
というメッセージを発信する為ではないのか。
それなのに絶対勝者と絶対敗者が存在するという内容の曲を障碍者の人たちに踊らせているのだ。
確かに、障碍者と健常者はあらゆる面で平等ではないかもしれない。
勝者と敗者はいるのかもしれない。
綺麗ごと抜きにするならこれが現実の社会だろう。
しかし
「でも平等な社会を目指そうよ」
というメッセージを発信するのがこの番組の役目ではないのか。
「平等なんて夢物語かもしれないけど、障碍者も健常者と同じように何かを成し遂げることができるんだ。不平等はなくすことが出来るんだ。」
そういうメッセージを、この番組は伝えなければいけないのではないか。
いや、仮にそういう意図がなかったとしても、そういうメッセージを伝える役割を24時間テレビは担わなければならない。
どうせ普段の番組に障碍者の人たちは出演させられないんだろ?
どうせ24時間テレビという特別枠でしか障碍者の人たちを出演させられないんだろ?
分かるよ、視聴率があるもんなぁ?
普段から平等に扱うことは出来ないけど、24時間テレビという枠では、障碍者の人たちにスポットライトを当てようと企画したんだろ?
平等に扱うためにさ。
それなら、「平等な社会を目指そう」というメッセージ性を含んでいて然るべきだろう。
それなのに、上の人間と下の人間は確かに存在するんだ、っていう曲を障碍者自身に躍らせているのだ。
一体彼らがこの放送で伝えたかったことは何なんだろうか。
勝者と敗者はいるんだよ、という誰もが知っていながら解決できない現実を、あえてこの番組で突きつけたかったのだろうか。
ダウン症
ダウン症候群(ダウンしょうこうぐん、英: Down syndrome)、ダウン症は、体細胞の21番染色体が1本余分に存在し、計3本(トリソミー症)持つことによって発症する、先天性の疾患群。
ダウン症候群とは、上記引用の通り、健常者よりも染色体が1本余分に存在することにより発症する疾患だ。
これはつまり、健常者の染色体と比較してダウン症の方々の染色体は完全な状態ではないということを示している。
そのような人たちに24時間テレビは
パーフェクトヒューマン=完璧な人
という曲を躍らせているのだ。
これをイジメと言わずしてなんというだろうか。
そういう意図はなかった?
いじめっ子はみなそう言うんだよ。
いじめっ子はみんな自覚がないんだよ。
君らもイジメをニュースで取り上げるときにいつもそう言ってなかったか?
忘れちまったのか?
だから、制作者側にイジメのような意図はなかったとしても、公共の電波を使って放送している以上、そのように捉える人も必ずいるだろうし、そう捉える人がたくさんいればそれはもう誰がなんと言おうとれっきとしたイジメなのだ。
この放送は皮肉にも「イジメ」および「障碍者と平等」という2つの社会問題を同時に考えることが出来る反面教師となってしまったようだ。
出演者が良ければいいのか
また、一部
「本人たちが楽しんでいるならそれでいいのではないか。」
と言った意見もネットではあるようだが、このような意見は甚だ無責任である。
言葉は悪いかもしれないが、彼らは仮にも「障碍者枠」で出ているのだ。
様々な想いを持った障碍者の方々が全国にたくさんいるにもかかわらず、公共の電波に乗せてメッセージを発信することが出来るのは出演している障碍者の人たちだけだ。
それならば、出演している障碍者の方々は全国の障碍者の方々の代弁者たるふるまいをするべきだ。
そもそも電波というものは公共財だ。
出演者の私物ではない。
もちろん1人残らず納得できる放送内容にすることは不可能だ。
しかし出来る限り多くの人が納得できる放送を目指さなくてはいけないはずだ。
それなのに
「本人が楽しければいい」
という主張は許されるのだろうか。
出演していない全国にいるダウン症の方たち、またはそのご家族の方々、あるいはそういった方々の為に活動する人たちも、同じようにそういった演出に納得できるかどうか、きちんと考えたのか?
もちろん、踊っていたのは子供たちだったので、彼らにそこまで理解することは出来ないし、決して彼らを責めることは出来ない。
しかし、彼らの親御さんたちはそこまで考えてあの企画に賛同したのだろうか。
自分の子供以外の、世界中の障碍者の方々の気持ちも考えた上で賛同したのだろうか。
最後に
番組の制作者はこの番組を企画するときに、扱うテーマがいかにセンシティブでデリケートな問題か、理解した上で取り組んでいるのだろうか。
パーフェクトヒューマンの歌詞をしっかりと精査した上で障碍者の方々に躍らせることを決定したのだろうか。
そもそも「障碍者と平等」という問題は、人類がどれだけ長い時間をかけて取り組んでも解決困難な問題なのだ。
そのような、あらゆる人が真剣に取り組むべきテーマに、あえてテレビ番組というかたちで乗り込んだ以上、パーフェクトヒューマンの件を単なる揚げ足取りで済ますことは出来ないはずだ。
そこまで配慮ができないのならば、その放送は、障碍者の方々が平等に活躍できる社会を作ろうと努力をしている人たちの妨害をしているだけだ。
「障害者の感動的な番組をどう思う?」というアンケートを健常者と障害者それぞれ100人に行った結果を紹介。「好き」と答えた割合が、健常者が45%だったの対し、障害者が10%しかなかった。
24時間テレビを「感動ポルノ」と痛烈批判 NHK障害者番組バリバラに絶賛の声 - Excite Bit コネタ(2/2)
まさに24時間テレビの裏で放送されていた、NHKのバリバラという番組で行われたこのアンケートの結果を、24時間テレビはしっかりと受け止めるべきだろう。
「僕たちはそんなことを世界に伝えたいわけじゃないんだ」
と、歯がゆい思いをしながら、悔しい思いをしながら24時間テレビを見ていた全国の障碍者の方々の気持ちを考えると、僕は非常に胸が痛む。