俳優の高畑裕太氏の逮捕が話題になっています。日本のテレビでは、母親であり有名女優の高畑淳子氏の記者会見が繰り返し繰り返し放映され、視聴者の感情を煽っている様ですが、日本の外から見るとかなり異様な光景です。
加害者親の記者会見は異常
まずはこういう事件が起きたからと記者会見をやることです。 イギリスやイタリア、フランスでも有名人やスポーツ選手が強姦や強盗事件を起こすことはありますが、いちいち記者会見をやりません。
やっても、地上波のテレビや新聞、特に高級紙はそんなものは取り上げません。株式相場や社会保障削減に比べたら遥かに重要度の低いニュースだからです。
イギリスもイタリアも、ワイドショーという番組はないので、たとえ有名人が事件を起こしても、ワイドショー時間枠にこういう事件が垂れ流しになることはありません。
昼間はいつもの通りのデイタイムTV(昼間の時間帯に流れる年寄りや暇人向け番組のこと)で、家の直し方指南番組、アンティーク(ガラクタ)のオークション番組、中年以上の女性中心のおしゃべり番組、セクシー美女が登場する料理番組(これはイタリア)、ドラマの再放送等々です。
芸能ニュースは民放のドラマや映画枠の間に5分ぐらい流すだけ。視聴者はそんなものには興味がなくて、家の資産価値をアップする方法、社会保障、庭作り、パスタの茹で方など有用なことに興味を持っているからです。
ワイドショーを見ている日本の人達は人生の時間の無駄使いをしているわけですが、つまり、人生において、庭のナメクジの撃退方法など、楽しい上に有益なことを考えるのに時間を費やす人達ではなく、他人の不幸や噂話が大好きないやらしくて意地の悪い人が多い、ということです。日本人は表面上は礼儀正しそうに振舞っていますが、人の幸福や人生の喜びが大嫌いな嫌な奴らなのです。
芸能ニュースで大騒ぎする自称ジャーナリストもどき達
次に、高畑淳子氏の会見は長々と流されてるわけですが、 かなり高度な教育を受けているはずのジャーナリスト達が押し寄せて、子供の性癖、育て方、反省したかどうか、そんな馬鹿げたことを真面目くさって質問しています。
性犯罪の原因は様々です。あくまで本人の問題であり、育て方は関係ないこともあります。親が一生懸命育てても、強姦する人はします。
子供を育てたことがある人にはわかると思いますが、いくらシツケをしても、教育をしても、子供には本来の性格や性質というものがあるので、親が何をしても、どうにもならないことがあります。
さらに、本人が口先で反省したって、被害者の傷は一生残ります。反省したかどうかは重要な事ではないのに、自称ジャーナリストもどきの人々は、謝りましたか、面会の様子はどうでしたか、としつこく聞いています。
だからなんだって言うんでしょうか?
この自称ジャーナリストもどきの人々には、フランスの右傾化、アメリカ大統領選、日本円の動き、年金運用損失、シリア情勢、介護支援の削減、そういった、国民の生活を直撃するようなかなり重要なことよりも、性犯罪者が謝罪したかどうか、そして、やった本人ではない親を公の場で虐待する方が重要なのです。
本来ジャーナリズムというのは、権力の監視をする昨日でありますが、政治家の献金、不正支出、癒着、そういったことを追求するべきなのに、強い人間を叩こうとはしません。視聴者が知りたいから代弁しているだけだと言い張っている。でも視聴者はバカではありません。
彼らはジャーナリストを名乗った自己保身主義のサラリーマンに過ぎません。羽織ゴロどころか、叩きやすい人間を叩いて年収1000万円をもらう寄生虫です。彼らは、そんな馬鹿げたことをやるために、延々と受験勉強していたのかと思うと、情けなくなりますね。
親と子供が運命共同体
三番目。大のオトナが起こした事件に対して、親が登場して謝罪することです。何か事件が起きると、日本では大のオトナである犯罪者の親が取材されたり、いちいち謝罪しますが、やったのは親ではなくて本人です。
親が引きずり出されて謝罪させられるのは、日本人のメンタリティーをよく表しています。子供のやったことは親の責任、たとえそれがオトナやいい年した中年であってもです。
つまり、日本の人々は、親と子供を別人格として考えていないということです。
オトナになっても一心同体の運命共同体、子供のやったことは一生親の責任。
しかし、人間とは、受精した時点で全く異なる生命体であり、人格も何も異なる生物です。日本の人達はそれがわかっていない。 人間は一人ひとり違う生命であり、同じ人は一人もいない、それは、たとえ親子であっても。
この「違う」ということの尊重は、人間尊重の基本原理であり、近代民主主義や資本主義の下地である 個人主義の考え方です。
しかし日本の多くの人は、表面上はハイテク国家だ、資本主義国家だと大きな口を叩く割には、頭の中は前世紀的な人間非尊重主義です。
個々を尊重しないから、21世紀なのに集団主義の教育をし、就職活動ではみんなが同じスーツを着て、ちょっと変わった人や奇抜な発想をする人を受け入れないのです。だから、日本ではGoogleのAppleも存在しません。
前世紀的な人間非尊重主義は、日本の家族のあり方、社会保障のあり方、働き方のあり方にも繋がっています。
日本の民法では、生活できなくなった親や兄弟を扶養する「扶養義務」が定められています。血縁扶養義務も、運命共同体なら面倒を見るのが当たり前だと思われているからでしょう。
イギリスやスウェーデン、アメリカの一部では、そういう扶養義務は夫婦の間や未成年の子供に対してだけです。イギリスだと生活能力がない子供を家から追い出す親も珍しくありません。子供は別の人間だと思っているからです。生活に困った人の面倒を見るのは血縁者ではなく役所です。税金を払っているので当たり前のことです。こういうセーフティーネットが税金を払う意味です。
従業員が犯罪を起こしても、イギリスやアメリカ、カナダ、イタリアの会社は謝りません。従業員は家族でも運命共同体でもなく、単に、労働力を提供してもらっているだけの商取引関係にある商売相手 だからです。
職場の上司は部下のお見合いの面倒なんかみませんし、特に仲が良い場合を除き、結婚式にも呼ばれません。転職しても裏切り行為とはみなされません。単に取引条件が合致しなかったので他のところに行くだけとみなされます。ですから出戻り社員も当たり前です。
高畑裕太氏に必要なこと
高畑淳子氏は舞台や宣伝を降板する必要は全くありませんし、謝罪する必要もありません。性犯罪を起こしたのは彼女ではありません。苦労して育てた息子が、他人様に危害を加えてしまったということだけで、大変な苦しみにさらされているのですから。
一方、高畑裕太氏が本当に性犯罪を起こしたのであれば、謝罪するのは被害者に対してであって、日本のマスコミや視聴者ではありません。