6月に帰省した時、伯母は病室のベッドで眠っていた。
母が無理やり伯母を起こそうとするので
「せっかくよく眠っているのだから、起こさなくていいよ。」と制止した。
「そんだって、看護婦さん達もよくこうやって起こすっけがえ。食事だの、薬だの、リハビリの時間になっつぅど。」
そう言って「姉さん、これ、姉さん!」と大声を出しながら強く揺さぶると、伯母はうっすらと瞼を開いた。
「ほら!起きたが。何かしゃべってけどがん!」
急にそう言われても、何を話していいのか解らなかった。
大体、私は伯母を何と呼んでいたのだろうか?
戸惑っているうちに、伯母はまた眠りにつきそうになる。
「伯母さん。お久し振りです。解りますか?」
伯母の耳元でそう言うと、母が怒り出した。
「そんな、気取ったしゃべこどしたって、姉さんが解んねえが!まっとおっきな声出さねえば。」
気取っているつもりは更々なかった。
都会から戻って来た親戚の話し方に、かつての私も感じた事のある違和感。
そんなものが、いつの間にか私にも備わってしまった。
「伯母ちゃん。タンポポだよ。聞こえる?」
伯母はまだ、はっきりとは覚めていなかったが、私を見たその目が少し潤んだような気がした。
「あら?解ったべか?」と聞くと母は
「解ったあふうだ。おそらく、聞こえったごった。」
と言った。
けれども伯母はまたすぐに眠ってしまったので、私達は諦めて引き上げる事にした。
「リハビリの後なので、疲れたのでしょう。」と、看護師は言った。
母は看護師に、いろいろな事を聞いていた。
最近では母がいつ見舞いに来ても、伯母は眠っていることが多いと心配していた。
「時間になれば車椅子で食事室に行き、ちゃんと食事を摂ったり、毎日リハビリをしていますから大丈夫ですよ。」
と看護師は話し、私達はそれを聞いて安心した。
私はその翌日も病室へ行ってみたが、伯母はこんこんと眠っていた。
ボサボサになった、真っ白な頭髪。
歯のない口をぽっかりと大きく開けて。
いつも毅然とした、伯母だったのに。
それが、伯母との最後のお別れになった。
「来年の夏までに、もしかしたら伯母さんが亡くなったとしても
私はお葬式には帰って来れないからね。」
そう母に告げて、東京に戻って来た。
その後、母から聞かされる伯母の容体は、日毎に悪くなっていった。
経鼻チューブと酸素マスクになったと聞いた時には、母も覚悟をしているようだった。
そして8月になり、伯母が亡くなった。
母に告げてきたように、私はお葬式に出るつもりはなかった。
県内に住む姉と、香典の額などを相談している時に
「タンポポも来ればいいのに。」と言われ
「私はもう、あれがお別れのつもりだったから。」と言った。そして
「本当は私、伯母さんが嫌いだから。」
そう言ってから、しまったと思った。
姉も「えっ?」と言ったまま、黙ってしまった。
少し苦手だったとか、あまり好きではなかったとか、他にいくらでも言いようがあったものを。
姉は、今のは聞かなかったかのようにして、他の話題に変えた。
亡くなった人を悪く言うなんて、最低だな…
私は暫くの間、後悔でいっぱいだった。
心がヒリヒリ、チクチクと痛んでいた。
そのチクチクが身体にも出てきて具合が悪くなり、どうやら私は帯状疱疹を患ってしまったようだ。
伯母の火葬の後、姉からラインが来た。
私は身体の痛みが酷く、寝込んでいた。
「これじゃやっぱり葬儀には出られなかったよ。悪口をしたからバチが当たったんだね。」
すると姉からは
「伯母さんは気難しかったからね。タンポポの他にも言ってる人がいたよ。」
と、返って来た。
そして親戚の女達が十数年ぶりに集まったので、いろんな昔話をしたそうだ。
母も、伯母の一人娘である従姉も皆で大笑いして、とても楽しかったらしい。
皆、私よりも不謹慎じゃないか!と呆れてしまった。
親戚が集まって、お喋りをして、母も笑っていたのなら良かったが、葬儀の一切が済んだ後には寂しかろうと思いながら、母に電話もかけられないでいた。
すると、母のほうから電話がかかって来た。
「火葬場で、皆で騒いだんだってね?」
と言うと
「あ~、おもっさがった。あそこさタンポポもいたら、まっとおもっさがったごった。」
等と言う。
「『女子会は楽しいなあ』っておれが言ったっけば、皆が笑ったが。」
「ほんでも、お葬式が終わったら寂しくなったべ?」
と聞くと
「90過ぎれば、はあ、神様なんだあど。」
と、母はあっけらかんと言った。
それはきっと、誰かが母にそう言って聞かせた言葉なのだろう。
「そうだね。伯母さんは、もう神様になったんだね。」
だから、悲しむ事はないのだ。
母から聞いていた伯母の晩年は、決して幸せそうではなかった。
長生きをするのは必ずしも幸福ではないのだと、いつも考えさせられた。
伯母は、長年の悩みや苦しみから解放されて、神様になった。
だから私も、伯母が嫌いになったある出来事を、もう水に流さなければならないのだと思う。