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イギリスの大手紙「The Guardian」の11日の記事です。拙い訳ですが、いい記事ですのでご一読を。
Only a cruel despot would stop Japan’s emperor retiring | Jake Adelstein | Opinion | The Guardian
一人の冷酷な独裁者だけが天皇の退位を止めようとしている 天皇明仁はその生涯を国民の幸福のために捧げてきた。
その見返りとして、彼は安んじて退位を許される価値がある。 明仁天皇。非常に異例の国民に対する言葉の中で、彼は生前退位の希望を間接的に示唆し、少なくとも7回にわたり彼自身が《国家の象徴》であることにも言及した。
写真:Koji Sarahara/AP 神が引退を望む時、何が起きるだろう?日本の天皇はもはや神ではない。しかしかつては、それもそれほど昔ではなく、天皇が天上も地上も支配していると信じられていた一時代があったのである。現在の天皇である明仁は非常に人間的であり、神であろうという望みは全く持っていない。しかし、日本の政権与党である、安倍晋三首相率いる自由民主党は、戦前の体制を復活させ、天皇を現人神に戻したいと望んでいる。
それは82歳になる天皇自身の希望でもなければ、その後継者たちの希望でもない。非常に異例の国民に対する言葉の中で、彼は生前退位の希望を間接的に示唆し、少なくとも7回にわたり彼自身が《国家の象徴》であることにも言及した。
戦前の軍国主義国家への回帰に反対する平和主義者の一人である明仁は、1989年に皇位に就いたが、占領軍に押しつけられた戦争を放棄する憲法を固く信じている。彼の愛する妻である皇后美智子も同じである。2013年の誕生日における記者会見での彼の言葉は、端的にそれを語っている。《戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています。また、当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います》。それは、伸長中の日本の右翼勢力を不愉快にさせるメッセージである。
明仁は国家神道の復権についてははっきり軽蔑している。国家神道は1945年まで、当時の日本政府によって、帝国の神聖性に対する信用を奨励し、1930年代における日本の帝国主義的拡張政策の根拠となった。天皇の言葉は無謬であった。たとえば《大和民族は優秀である》。第2次世界大戦中、数百万人の日本の兵士が天皇裕仁の名のもとに死に、かつ殺した。
しかし裕仁の息子は、無理強いされた不自然な愛国心とは無縁である。日本最大で右派の新聞の一つである読売新聞社所属記者であるのスコットランド人のマーク・オースティンは、ソーシャルメディアのある紙面で次のように書いた。《2001年の彼の68歳の誕生日における記者会見で、〔明仁〕は彼の韓国人の祖先に言及した。
それは長年のタブーを破壊するものであった。その3年後の春の園遊会において、彼は柔らかく、しかし痛烈なまでに有効な形で、東京都教育委員会の一委員を注意した。その委員は彼に、自分は全教員が確実に起立して国歌を斉唱するように各学校を回ってきたと言った。 《「強制であればよくありません」と彼は言った。
おべっか使いの委員は深くうなだれた。
その会話は評判となった》。
一方で、社会の事件に対して彼が哀れみ深くはたらきかけたり、災害の被災者たちを慰めるために彼が両手を差し伸べてきたりしたことで、国民は彼を慕うようになった。2011年の地震と核災害の後、彼はある体育館に一時避難している被災者を見舞った。彼は両膝を体育館の床に突いて、被災者と対等な立場で話した。その後彼は国民に向けて公式に言葉を発表し、この悲劇を乗り越えるために協力し合おうと呼びかけた。一人の天皇が国民に公式な言葉を発した過去一度きりの例外は、1945年8月15日、裕仁が日本の降伏を主題として発した時であった。
天皇と皇后は貧しい人や障害を持つ人、在日韓国人といった人々に手を差し伸べることは正しいことだと示して来た。その「在日」と呼ばれる人々は、その多くが奴隷労働者として日本に来、経済的な事柄で今も日常的に非難され、公然と嫌がらせを受けている。東京の新都知事である小池百合子は、安倍の指名で閣僚を歴任した経歴を持つ。彼女は在特会と関係を持ってきた。在特会とは、全外国人、特に在日韓国朝鮮人に対する敵愾心を扇動するとの非難を受けている一政治団体である。
明仁の持つ哀れみと人間性は、それとは対照的に国民により高く評価されている。ほとんどの世論調査でも、80%以上の国民が、天皇の生前退位が認められるべきだとの結果を示している。
生前退位に向けた彼の願いに対する国民の支持は、より広範な社会変革に反響を及ぼすかもしれない。カーネギー・カウンシルの近代日本の一専門家であるデヴィッド・スチュワートは次のように記している。《日本は徐々にしなやかかつ個人主義的、つまりは伝統的社会でなくなる方向に変化しつつある。逆説的ではあるが、そうした変化は人々が趣味を追求したり、休息をしっかりとって健康的に暮らすのと同じように、家族たち−これは伝統的価値でもあるが−とより多くの時間を共に過ごせるようになるべきだと感じていることも意味している》。
現行法下においては、明仁は死ぬまで皇位にいなければならないし、憲法の制約により、彼が直接に変更を求めることは法的に許されていない。彼ができることは、ただ示唆するだけである。
無私の奉仕と病気やはかなさとの闘いの生涯を経て、天皇は事実上、彼自身と彼の家族に対する慈悲と哀れみを求めている。いかなる冷酷な独裁者であれば、彼の求める休息と退位を万が一にも拒絶できようか。しかし現首相はそれをしかねない。退位とその議論や法律の見直しは、憲法を改正し、市民の自由を制限し、国家神道を市民社会の中心に再び置こうとする安倍の激しい欲望の邪魔をして、その一旦停止を要求するであろう。
一人の良い天皇であろうとする義務についての明仁の言葉は、私見ではあるが、日本の指導者たるべきものは、自分の事は後回しにしてまずは国民の幸福について考えるべきだと政治家たちに思い出させようとする彼独特のやり方である。それは確かに首相が学ぶべき授業である。
明仁は滔々と説明した。《私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました》。
もし安倍首相が真に日本国民の平和と幸福に配慮しているなら、彼は、国民と、彼自身が神と崇拝している人の願いに実際に耳を傾けることだろう。
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