「海老原先生、“地獄”に足を踏み入れましたね。歓迎しますよ」
昨年4月、今の高校に勤めはじめたと同時に硬式野球部の顧問になってしまった。その際、一緒に顧問を務めるO先生にそう言われた。
野球部はハードな部活の代名詞。週末や夏休みは、丸一日の試合や練習でつぶれる。そんなだから顧問のやり手がなく、小学校から高校まで野球をやっていた新任の僕におはちが回ってきたのだった。
僕は「高校時代のグラウンドに“忘れ物”をしてきた」クチじゃない。むしろ、教師になってまで一日中土まみれというのはうんざりだった。だから、部員や監督の“野球熱”に巻き込まれないよう、なるべく深く関わらないでおこうと誓った。
そのはずだったが、つねに一生懸命な部員を見てるとサポートしたくなるのが人情。部員も「先生、ノックお願いします!」と来る。そこで僕も、いつの間にかヤジを大声で飛ばしながらノックを打つようになっていた。あーあ、こんなはずじゃなかったのに……。
ズルがしこいO先生にムカッとする
放課後は部活指導のあとで授業の準備。学期中は帰宅時間が23時前後になるのがザラだった。1学期、風邪をこじらせながら練習試合を引率した結果、嗅覚に異常をきたし、ステロイド点鼻薬をさすようになった。そして夏をすぎた頃から、下半身には疲労による湿疹ができ、皮膚科にかよった。
同じ部のもう一人の顧問O先生はというと、野球経験者じゃないからグラウンドで汗を流すことはない。けれど、ひそかに「博士」とあだ名されるほど野球にくわしく、野球が大好き。そんな彼の方針もあって、丸一日の練習や試合がぎっしり詰めこまれていた。
学期中や夏休み、僕はO先生よりもだいぶ部活動の負担が多かった。こういうとき、30代までの「若手」「独身」はつらい。「中年」「既婚」で「子ども」がいる教師から、仕事を押しつけられやすい。「若いし独身なんだから、やって当然」。40代半ばのO先生は、その殺し文句が有効だと思ってるようだった。
不愉快きわまる。子どもをつくってくれなんて頼んじゃいない! しかもこっちは一生独身でいるつもりなの! 心中では何度となくO先生を「斬り捨て御免!」と成敗したけど、表むきはオトナの応対に努めた。部活の仕事をやりつつ、顧問としての発言権をじわじわ拡大する作戦に徹したのだった。
それもこれも、部活の中で改革したい目玉が一つあったから。
それは、部員への「坊主」強制の撤廃だった。
改革を決心させた、ある部員の頭
日本人は、高校球児といえばみんな坊主が当たり前だと思っている。でも21世紀の今日、坊主強制ってのはどうか。僕が改革を決心したのは、ある部員の後頭部を見たのがきっかけだった。
その部員は、ふだん野球帽を脱ごうとしなかった。たまたま彼が帽子を外したところを見たら、後頭部がでこぼこだった。小さい頃に受けた手術のあと、こうなったという。
「高校球児といえば坊主」という社会のイメージを部活でもシェアしたあげく、一人の部員の頭のでこぼこが隠されないでいる。これは、あんまりだと思った。
そこで、まずは監督に坊主強制の撤廃について水を向けると、賛成に近かった。でも、O先生との付き合いも長い彼は、ためらいがちに「あとはO先生しだいですね」とつぶやいた。
次に、野球部OBのうち、O先生も尊敬する一人に相談してみた。スポーツ記者であるその人は、「賛成です。もう昭和じゃないんだから、変えるべきものは変えていったらいい」と背中を押してくれた。どうやらO先生にも話を振ってくれたらしい。
そしていよいよ本丸に攻め込むとき。2学期半ば、O先生と監督、そして僕との三者協議の日がやってきた。
静かなる熱闘
O先生:「言いたいことはわかります。でもね、硬式野球じゃどこの高校も坊主です」
僕:「うーん、しかし野球のルールとして決まってることじゃありませんし。たとえば××高校なんて、坊主そのものが“禁止”です」
O先生:「そりゃ強豪校の例でしょう。強豪はそれでもやっていけるんですよ。うちのような実力じゃ、坊主じゃなくなったら、練習試合相手さえ見つからなくなります。わかりますか?」
僕:「それはどうでしょう。坊主じゃなくなってガラが悪くなったらそうでしょうね。でも髪を伸ばして、礼儀をしっかりして野球への誠実な姿勢を見せてれば、試合相手が減ることはないんじゃないですか?」
O先生:「甘い。それに硬式野球部はどの高校でも学校の“看板”だし、社会の注目度が一番高い部活なんですよ。あそこの高校はなんで坊主じゃないんだ…って白い眼で見られるに決まってるんだ。とにかく、来年度は大学まで硬式野球をやってた先生が赴任するというし、たぶん彼はうちの部の顧問になるから、この問題は保留にしときましょう」
僕:「いいえ。その先生が来る前にルールを作っておくのが筋です。実際、部員数の減少と坊主強制の関係は切ってもきれないし、頭の形にコンプレックスがある子にしたら“24時間の体罰”ですよ。今後もし不都合があったら、そのときまた坊主強制を議論すればいいじゃないですか」
おたがい冷静をよそおいつつも熱くなっていた。O先生だって僕だって、部活運営をよくしていきたいとの思いは同じ。ただ、僕より長く現場に足を置いてきたO先生は、高校球児に対する「社会の眼」に敏感だった。野球部をその「眼」から守りたい先生の主張にも、説得力があった。
それでも、最終的にO先生は折れてくれた。そして協議の結果、坊主のほか短髪ヘアスタイルまではOKとすることにした。どこまでが「短髪」かの判断は部員の良識に任せると。
*
そして今年の4月。話に出た新任の先生が野球部の新顧問になったことで、僕はO先生とのコンビを解消することになった(そして僕はお隣りさんの部活、“軟式”野球部に移った)。
先日、坊主強制の撤廃を僕に決心させた部員と廊下ですれちがうと、彼はこう声をかけてきた。
「先生のヤジまみれのノックがなつかしーっす。先生いなくなって試合中のベンチからのかけ声も静かになっちゃって、元気ないんすよ〜!」
ホメるのはそっちか!!
立ち去るそいつを見やると、後頭部は目立たなくなっていた。