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大阪の在日朝鮮人の来歴について

1905年の段階で大阪の在日朝鮮人は、大阪市旭区生江町に柴島水源地の建設や淀川の改修・補修工事に従事した労働者がいた程度でごく少数でした。しかし韓国併合後の1912年には大阪の在日朝鮮人の人口は248人に増加し、更に第一次世界大戦中の1917年には2235人にまで増加する事になります。

1917年当時は第一次世界大戦の勃発によって日本の経済が発達して阪神工業地帯が形成された時期でした。「朝鮮人概況報告」には「欧州動乱ニ伴ヒ俄ニ勃興シタル大阪、神戸、福岡ノ工業地に於ケル各種製造工場及ビ会社ハ先ヲ争フテ(中略)鮮人労働者の募集ニ着手」とあり、更に1945年に法務研究所が編纂した「在日朝鮮人の処遇の推移と現状」にも「移住者の主流を形成した労働者は初めはみずから進んで移住しようとするものが僅少で、多くは内地の企業会社の勧誘に応じてきたものであった。(中略)勤勉で、困苦にたえる体力があり、どんな下等な仕事でもいとわず、とくに労銀のやすいことは、内地企業家の歓迎したところ・・・」とある事から、日本の資本家が安価な労働力を求めて朝鮮半島で労働者の募集を行った事が、大阪における在日朝鮮人の人口増の発端であった事が伺えます。そして

・日本の統治が武断統治から文化統治に移行して(不完全な)同化政策を推し進めた
・外地から内地への渡航を自由渡航制にした(景気の変動で規制→解除を繰り返します)
・賃金や労働者保護法規の有無に見られる外地への差別的な扱い
・土地調査令や産米増殖計画で農民が土地を失った
・在日朝鮮人の人口増で頼れる縁戚が増加した

これらの要因で大阪のみならず日本全国の在日朝鮮人の人口が一気に増える事になります。

日本人側が在日朝鮮人の人口増の原因を作ったにも関わらず、戦前の在日差別に関して平然と「差別されるのが嫌なら半島に帰ればいいじゃんw」と言う排外主義者はあまりにも不誠実であると言えるでしょう。(そもそも本当に在日朝鮮人が朝鮮半島に帰った場合、朝鮮人労働者を低賃金で酷使していた企業は決して無視出来ない打撃を受ける事になるのですが)

歴史修正主義 在日朝鮮人