「真田丸」出城の可能性示す絵図見つかる
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戦国武将の真田幸村が築いたとりで、「真田丸」が取り壊されたあとの詳しい様子を描いた絵図が松江市で見つかりました。専門家は、「真田丸」が独立性の高い大坂城の出城だった可能性を示す資料だと注目しています。
この絵図は、松江市にある松江歴史館の所蔵品の中から見つかりました。縦およそ28センチ、横40センチ余りで、真田幸村の名で知られる戦国武将の真田信繁が、大坂冬の陣で築いたとりで「真田丸」が取り壊されたあとの堀の跡や敷地の様子が描かれています。真田丸の南側には、惣構堀という外側の堀が記されています。また、北側の大坂城に近い場所には真田丸の出丸として小さなとりでがあったと記されています。
松江歴史館によりますと、真田丸の姿を描いた絵図は多く残されていますが、取り壊されたあとの詳しい様子を描いたものは珍しいということです。資料を分析した奈良大学の千田嘉博学長は「真田丸が独立性の高い出城だった可能性を示す貴重な資料だ」と指摘しています。この絵図は、ことし9月から松江歴史館で公開されます。
松江歴史館によりますと、真田丸の姿を描いた絵図は多く残されていますが、取り壊されたあとの詳しい様子を描いたものは珍しいということです。資料を分析した奈良大学の千田嘉博学長は「真田丸が独立性の高い出城だった可能性を示す貴重な資料だ」と指摘しています。この絵図は、ことし9月から松江歴史館で公開されます。